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愛について語る時に私が語る、映画とこれまでの人生の事

映像文化への目覚めとしては小学校低学年、祖母がうたた寝しながら観ていた火サスやX fileを一緒に観ながらミステリーもの謎解きの気持ちよさを知った事からスタートしている様な気がしている。うつらうつらと寝ぼけながらも推理しては稀に謎の速度で犯人をピシャリと当てる祖母の姿に憧れた。ばぁちゃんはカッコ良かった。ハードボイルドに憧れる様になったのは、ばぁちゃんの影響が大きいと思う。何故犯人を当てられたのかについては後にめちゃくちゃ擦り切れるほど再放送を観ていたからだと判明するのだけど。

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母子家庭で遊び相手も居らず、田舎だった事もあり映画館に行くのも難しく、ひたすら家で洋画の予告を舐めるように観てストーリーを妄想して楽しんでいた幼少期。今思うとその予告をどんな媒体で観たのか謎であるが恐らく家にあったダビングビデオかと推測される。その予告で得た知識を(公開日、主演やストーリー)割と当時は鮮明に記憶していて家族に披露しては悦に入る内弁慶だった。そこから時が経ち、中高生の時分にはグレてしまっていて、何年か荒んだ気持ちで過ごしていた。それでも学校帰りにGEOに寄り、自室で1人映画を観続けていた。週3〜5、1度に3枚〜ペースでレンタルを利用していた気がする。ジャンルは戦争モノが多く、人間ドラマ・恋愛・変態村等の一風変わったユーロホラー等が好みで、殆ど洋画だった。その頃は映画の中に日本人が出ていると覚めてしまって夢を見た気持ちになれなかったのかも知れない。だから少しずつ邦画を見始めた今でもまだまだ邦画には疎い。

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この時期に未だに自分の中での生涯ベストワンの1本。ガスヴァンサント監督の「エレファント」と出会う。きっかけは鮮やかな黄色ベースのジャケット写真と奇妙なタイトルに惹かれてだ。男子高校生2人が学内で銃を乱射し、多くの生徒が犠牲になった実際のテロ事件の映画化作品だ。その事件についてはマイケルムーア監督作のドキュメンタリーで知ってはいたが同じ題材でこんなにも違う作品(劇映画とドキュメントだから違うのは当たり前なのだけれど)になるのかと衝撃を受けた。映画はこんなにも自由で、残酷でも良いのかとショックを受けました。人物がただ歩く姿を後ろから撮影しているだけのシーンに胸のざわざわが止まらなかった。枯れ葉が舞い、低く鈍い雲が映し出されるだけで自分の中の1番知られたくない寂しい気持ちを暴かれた様な気がした。淡々と確実に悲劇の予感が高まっていき、完璧という他ない地獄のラストシーンで幕を閉じる。こんなにも悲しい映画を観たのは初めてだった。理由を上手く説明出来ないのだけど、本作を観終わった後からプロットは度外視の音と映像至上主義へと傾倒していく。表現方法は違うとはいえ、ロックンロールの過激さと自由さを本作から感じ、もっと深くこの手のものに触れてみたいと思ったからかも知れない。

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暴力の持つ悲しみや人間関係の齟齬、ままならなさについて描く映画を探求していった。一抹の希望を見つけられるかどうかは自分次第で凄惨なものが多かったが、長い思春期に喘いで、自分と同じ様にもがく人物を観ては癒されもしたし、そこから生きる術を作品内に見出したりもした。そして季節は巡り、高校を卒業後、接客業に就き、仕事をしつつ映画や芸術の話を交えて会話をする楽しさを覚えた。DVDだらけの自室からよちよち歩きで社会に出たのだ。

今振り返ってみると、人生の様々な場面で映画に支えられてきたのだと分かる。嫌な事があるとゾンビをぶった斬る姿に癒され、恋に敗れると似たようなシチュエーションのもので涙したり、友人と馬鹿笑いしながら年の瀬にわざわざテレクラキャノンボールを借りて観たりしていた。地元で8年ほどミラーボールの下で働いた末に当時の恋人が住む街、札幌に移住した。結局色々あってその人とは別れた。地元を離れてから今では3年目、都会に少しずつ馴染めている様な気もするが、それでもまだまだ旅行者気分が抜けないでいる。ブラック企業で痛い目を見たが、命からがら抜け出せた。周囲にめちゃくちゃな迷惑もかけたが、命があれば丸儲けって事にして欲しい。映画のお陰で友人も出来、まさかその繋がりから同性と同棲する事になるなんて思ってもみなかった。よく生きてきたねぇ。27CLUBに厨二病らしく憧れて、27歳までに死んでやると息巻いていた10代の頃の自分にはきっと信じられないと思う。

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人生は何が起こるかマジで分からない。映画も実は似たようなモノだから振り回されても愛し続けてしまうのかも知れない。ジャケに騙され、オチに顎が外れて、めちゃくちゃ退屈な内容だったとしても、それでも映画を見てしまう。映画が法律で禁止されてなくて助かったぜ、もしそうだとしたら下手すると、ウッカリのたれ死んでいたかも知れないな。

たかだか映画、ガタガタ抜かすな。

鑑賞本数で人を判断するな、そんなもの幻だ、愛し合え。映画についての会話でスノッブになり過ぎて会話のグルーヴを損なうな、もっと相手を観察し尊重しろ、愛し合え。似たような映画を繰り返し見ても良いが見聞を広めろ、アメリとララランドと人生フルーツはもう充分だろ、愛し合え。映画だけじゃなく芸術全般から学べる事は多い筈なのに、それでもギスギス他人を攻撃する奴が多くてがっかりだ、文化人を気取る前に愛し合え。嫌悪を顔に出す程、サブカルに精通している私の様な若造が気に入らないのか。おっさん、他人を揶揄する前に、自分でまずは理解する努力したのかよ、愛し合え。呆れられても傷付けられても私は自分の好きなものを純粋に追求してきただけだ。詳しくなるのも当たり前なんだよ。身体中に愛がみなぎっているからね、おたくと違って。でもそんなおっさんとだって私は愛し合いたいと思っているよ。愛し方が分からなくて傷付け合うのは映画の中だけで十分だろ。

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もし傷付いて途方に暮れているのなら、ニコラスウィンディングレフン監督のドライヴを観ろ、あの映画は愛と孤独で生成されている。悲しみを乗り越えた数だけラストシーンは沁みるはず。そして今後も数え切れないほど孤独な夜を超えて生きていかなきゃいけない、だとしたら私達に出来る最善の方法はきっと一つしかない。




愛し合おう。
愛し合おう。
愛し合おう。





今年は沢山の文化人が自死を選んでいる。

愛し合える可能性を私達は秘めている。

私は生き続けたい。

君もそう願ってくれているといいのだけれど。

答えはいつも風に吹かれている。

とにかく、愛し合おう。

それしか残された道は無い筈だ。

死ぬな、愛し合え。

私達が置かれている現実を変える事が出来るのは私達だけだ。


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