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廃止された公立高校総合選抜入試の思い出

※この記事は池上が武田塾勤務時代に書いた記事「在りし日の思ひで…廃止された『公立高校総合選抜入試』について」を加筆・修正したものです。

かつて阪神間地域で実施されていたが、現在はすでに廃止された公立高校入試の「総合選抜方式」についての雑感を書き記しておきたい。

私自身が総合選抜時代の県立高校出身だが、今と昔で阪神間の公立高校の雰囲気が大きく変わったように思う。
様々な批判があったために廃止された総合選抜方式だが、改めて考えてみると良い点も沢山あった。


公立高校入試の「総合選抜方式」とは?


――俺がこの高校に入学したのは学区割という制度の仕業だが、
そこから涼宮ハルヒという未確認移動物体と出会っちまった――

(谷川流『涼宮ハルヒの分裂』より)


住んでいる場所と学力の二本立てで合否が決まった

簡単に言うと「総合選抜入試」とは、住んでいる場所学力二本立てで受験の合否が決まる制度のことだ。
実際のところは、主に住んでいる場所で進学することになる高校が決まる制度となっていた。

かつて兵庫県では公立高校の総合選抜入試が広く実施されていたが、2010年までに但馬地域を除いて廃止された。

『涼宮ハルヒ』シリーズの作者である谷川流も、総合選抜の時代に兵庫県立西宮北高校(兵庫県立甲山高校との統合により来年から兵庫県立西宮苦楽園高校と改名される)に進学した一人で、上記の引用のように小説の中にその影響が見られる記述があったりする。


学力による進学35%、居住地域による進学65%

総合選抜入試では、まず居住ブロックごとに公立高校合格者をすべて決めてしまう。
その後に、生徒の希望や成績、居住地域(学区割)等で進学先の高校を割り振るという形で、進学する高校の選抜が行われていた。

例えば、私は阪神間の伊丹市・川西市・猪名川町の2市1町のブロック(伊丹学区)で高校入試を経験した。
このブロックでは、成績が上位35%以内の生徒は志望した高校へ進学し、残りの65%は住んでいる地域によって近くの高校へ進学が割り振られた。

この割合はブロックで異なっていて、西宮・尼崎・宝塚の3市ブロックでは成績優先が10%、居住地域優先が90%だった。
成績優秀者10%のことを「テンパー」と称える風習もあったとのこと。

私の場合、住んでいる地域で割り振られる高校(学区割の高校)は兵庫県立猪名川高校だった。
当初は私も猪名川高校への進学を考えていたが、私が中学3年生になる直前に、ニュースでも話題となった「必履修科目未履修問題」が発覚する。
近場の高校では猪名川高校だけが「未履修」科目があったことが判明したので、隣の兵庫県立川西北陵高校を受験しようということになった。

そのため、北陵高校を受けに来た生徒の中で上位35%以内の成績を修める必要があった(ちなみに私は辛くも合格することができた)。

合格通知書には伊丹学区総合選抜の文字が

また、このブロックには兵庫県立川西緑台高校という割と有名な進学校があった。
私の時代の総合選抜入試では入学試験の点数と内申点が1:1だったため、中学校の通知表が芳しくない私の場合、緑台高校は受験したとしても合格は難しかっただろう。

ただ、私より明らかに学力が低く、内申点も低そうな同級生で緑台高校に進学した輩がいた。
何とその輩は、親族のツテか何かを頼ってだろうか、入試の前に緑台高校の学区割に含まれる地域に引っ越していたのだそうだ。


居住地域で割り振られた高校を受験して、不合格だった場合

居住地域により割り振られる学区割の高校ではなく、ブロック内の別の高校にチャレンジした私のような生徒の中で、残念ながら不合格だった生徒はどうなったのか。
実は、こういった生徒たちは(成績が極端に悪かった場合を除いて)、学区割の高校に進学できるシステムになっていたのだ。

例えば、学区割の高校は猪名川高校なのに、北陵高校を受験した私がもし不合格だった場合には、猪名川高校が拾ってくれていたのだ。

このように、より人気の高校にチャンレンジした生徒の中で、成績が及ばなかった者も学区割の高校が拾ってくれていた。
そのため、ほとんどの生徒が公立高校に収まるような制度になっていたので、滑り止めの私立高校を受験しない生徒が多かった(私も然り)。

高校入試にかかる費用的負担が少ないことは、親には有難かったようだ。


一部には公立高校に不合格となる生徒も

以上のように、総合選抜入試では①まずブロックごとに公立高校の合格者全員を選抜し、②その後に生徒の成績や希望と居住地域で進学先を割り振る、という制度だった。
しかし、一部には公立高校に不合格となる生徒もいた。

とはいっても、ほとんどの生徒(体感95%くらい)はどこかの公立高校か、あるいはよりハイレベルな有名私立や国立の高校などに進学していた。
滑り止めの私立高校を受験していたのは、公立高校合格が危ぶまれる一部の生徒に留まっていた。

兵庫県立西宮北高校前の、いわゆる「ハルヒ坂」


総合選抜入試の良かった点

高校入試のプレッシャーは少なかった

総合選抜の時代には「地域の高校が拾ってくれる」という安心感があった。
だからこそ中学3年生たちの高校入試に対するプレッシャーはそこまで大きなものではなかった

とはいえ、近場の公立高校数校を見ても特色の違いは多少あった。
また、比較的ゆるやかではあったが高校ごとの学力差も確かにあったので、より良い高校を目指して受験勉強を頑張ることも自然に行われていた。

ちょうどいい感じの高校受験の緊張感があることも、総合選抜入試の良いところだったように思う。


高校内で学力の幅があった

入試のプレッシャーが小さかったことも良かったのだが、何より良かったのは当時は「地域の高校に行くのが当たり前」という雰囲気があったことだ。そのため、飛びぬけて優秀な生徒でも学区割の近場の高校に進学することが珍しくなかった。

だから、ブロック内の高校間に学力差はあったが、現在に比べると比較的ゆるやかだった。
ランク的には下と位置づけられる高校に通う生徒も、極端な劣等感を抱くことは少なかった

私の通った北陵高校も、緑台高校より下のランクと認識されていたが、だからと言って緑台高校に大きなコンプレックスは感じていなかった。

もちろん総合選抜の学区割システムゆえに、成績の悪い生徒が全ての公立高校に一定数入ってきていた。
ただ、私の考えるところでは、この学力の幅こそ総合選抜の最大の魅力だった。


総合選抜終了後に極端に進学実績が悪くなった高校も多い

阪神間で総合選抜が終わってから、すでに十年の月日が流れた。

地域の高校が当たり前のように拾ってくれる、という安心感が無くなり、身の丈に合った高校を受験する生徒も増えた
結果として、以前は緩やかであった高校間の学力差は拡大し、現在では同じような学力の生徒が高校ごとに固まるようになった。

例えば、私の通った北陵高校でも、当時は毎年数名の神戸大学や大阪大学への進学者を輩出していた。
緩い高校入試で入学した高校にも関わらず、努力すれば自分もそういった大学に入れるという、漠然としたイメージを生徒たちが抱けていたのだ。

体育会系の教師の締め付けが厳しかったこともあり、私の母校は(今はどうなのか知らないが)クソつまらない高校だった。
だが、進学実績バリバリというわけでもなかったが、それでも緩い入試で阪大や神大を狙える高校に進学できたということは有難かった。

現在の北陵高校では、神戸大学や大阪大学への進学者は毎年ほぼゼロで、数年に一度なんとか一人くらい輩出している状況になってしまっている。
高校によって進学先の大学のレベルが固定化してしまったのだ。


あの時代の常識はもう通用しない

高校入試のプレッシャーがそこまで気にならず、公立高校の中でも学力に幅があった総合選抜入試。
一般的な単独選抜入試で生徒たちに競争させることが奨励されいるせいか、世間には悪く言われがちだ。

ただ、私の個人的な感想ではあるが、進学した北陵高校自体はクソつまらなくて嫌いだったが、この総合選抜という制度の元で公立高校に進学した事実だけは誇りに思っている。

きっと悪い制度ではなかったのだと思う、知らんけど。


参考文献

・谷川流(2019)『涼宮ハルヒの分裂』角川文庫


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