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とるにたらないこと2023/08/01

思い出したいと望む者は、二度と思い出せなくなる危険を冒し、思いがけないことから記憶が立ち現れる可能性に賭け、忘却に身を委ねなければならない。

モーリス・ブランショ

満月の一日手前、さよなら28歳、こんにちは29歳───今年は単身赴任先でひとり誕生日を迎えた。
誕生日の前日、僕は家族の平穏を頼みに友人の眠る場所へ行ったりもした。
運がいいのか、これまで、祝ってくれる誰かと常に一緒に居たのだが、こうしてひとりで粛々と迎えるのも悪くないものだ。
これから一年、どう最後の二十代を走るか。
25歳の時、結婚する一年前、遠距離恋愛だった当時の妻にフラれそうだった僕は、彼女に偉そうな目標をいくつか語っていたような気がする。

私の辞書に不可能という文字はないのだ、とか豪語していた。

30歳までに達成したり到達したり開始しておきたいことは出来ただろうか……。

彼女に彼女との夢を語っていた25歳だった頃の僕から今どれくらい変化しただろう。
家族と今助け合って生きているだろうか?

振り返ると、25歳から怒涛の人生のターニング・ポイントだらけだ。誰かが言っていた。

25過ぎると、時間があっという間に過ぎていく。

そのときは、ふうん、そんなものなのか、としか捉えていなかったのだが、今思えば、25歳だった頃が昨日の出来事のようにすら思う。特に子どもが生まれてからは日々が何かしらの珍事件の連続で、決して同じではない《何かしらの出来事の反復》の稠密な集合体=日常だ。

首の皮一枚でギリギリフラれず、遠距離恋愛を辞めるために転職を決意して地元に戻って結婚した25歳。
コロナも流行し始めた。

妻と大喧嘩して寝袋を作業場に常備するようになったり、娘が誕生したり、新たな出会いから大きく仕事内容が変わっていったりした26歳。
コロナ禍のウッドショックに多方面的にかなり大変な時期だったがくぐり抜けたり。

ラッパーをしている友人から自己表現でストレス解消的なことを教えてもらって散文を書き始めたり、再び読書するようになったり、地域で子ども読書会をするようになったり、妻の母国の情勢が変わった27歳。

お隣の国でコロナ禍での海外単身赴任や更に方向が変わって行ったり、小説を刊行したり、出張が増えた28歳。

ほとんどが25歳のときに豪語していた事ではなく、当時は予期せぬ事だった。
ひととの出会いや新たな生命の誕生によってなだらかに円弧を描いて、僕という惑星の軌道は常に少しずつズレて行き、湖に投げ込まれた小石が湖面に波紋を描くようにして広がってもいく。

出逢いというのは単なる偶発的事象にすぎない。その偶発的事象の選択と共犯を重ねて、必然あるいは運命となり、時代という風が吹く中で僕らは事象ごとあらゆる重力に引き摺り込まれていくのだろう。そうして螺旋の渦に巻き込まれながら、ひとは、社会のなかで他者を通して行動してこそ変化を認識し、自己を作り上げていける。
行動しなければ、すべては机上の空論でしかなく、勇気を持ち、手を握り合って一歩踏み出し、行動してようやく何かを得られるのだ。それは、ごく当たり前のことでもある。
勇気がないひとがいたなら、勇気と余力のあるひとが手を引いて背中を押してあげればいい。

じぶん自身を作り上げている最中の僕が得たさまざまなものを29歳にしてどう他者に今度は還元していけるだろうか───出来れば僕は常に力なきひとたちに僕の出来る範囲で手を差し出せる強さと優しさを博愛のために展開していきたい、スピノザのように水平な目線で惑星《私》を取り巻く星々を見つめながら。

将来の夢は25歳のときに妻に宣言したときと変わらずナポレオンである。
必ず妻と娘と妻の故郷でみんなでバック・ダブルバイセップスする。

最近、筋トレ出来ていないんです。

目を閉じる。
青草の香りと夏の夜のしじまの中、風と星々の囁きに耳を傾ける。
瞼の奥、忘却の彼方に輝くはくちょう座のデネブを見つめると誰かの声が聴こえた───あなたって孤独なアラサー中二病になったのね、と。

その夜は彼にやがてどんな別の夜よりも暗く怖ろしいものに見えてきた、あたかもその夜が、もはや思考しない思考の傷口、思考以外のものによって皮肉にも思考として捉えられた思考の傷口から、現実のものとして生まれ出てきたのだとでもいうように。それはまさに夜そのものであった。夜の闇を作り出しているさまざまな像が、彼の周りに充ち溢れていた。

『謎の男トマ』 モーリス・ブランショ

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