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The Swamp, 1900 クリムト

The Swamp, 1900──ベートーヴェンのピアノソナタno.32 C mor. op.111 第二楽章を聴きながらクリムトの秋の絵を観ていた。

あらゆる動植物はひとりで生まれ落ち、ひとり死ぬ。
孤独という概念を生み出した我々ホモ・サピエンスは、ひとりぼっちで生まれて、ひとりぼっちで死ぬという極めてシンプルな事象に耐えきれなかったのかもしれない。

ベッドにひとり眠ることを恐れていたフランソワーズ・サガンは、こんなことを言っている。

人間はひとり孤独に生まれて、ひとり孤独に死ぬのです。だからその間はなるべく孤独にならないように努めるのです

フランソワーズ・サガン

孤独との激しい対峙を経験することもあるだろう。僕は、何かを書いているとき、常にひとりでこれまで邂逅した事象や不条理な社会と対峙しひとりで対話しつづけていることがある。

悲しみ、苦しみ、懐かしい誰かの声、歓喜したあの感情、思うようにゆかず堂々巡りとわかっていても考え続け、ひとり歩き続けた海岸線。遠くにヨットが浮かび、灯台が遠くをぼんやりと照らす。

それほど多くない友人や家族たちが乗るひとりに一つずつのヨット──僕はそれらに手を振り、ありがとう、愛しているんだ。と心を込めて呟く。

僕の中でいつまでも消えない灯台が照らすあの水平線を砂浜から見ていると銀杏の葉、ブナ、ナラや栗の木の実たちが鳶の高らかに歌う声と潮風に乗せられて、落下してゆく──あの黄金が滴り落ちる時刻に。

すべての邂逅した景色たちがその落下によって滲み続ける。
原型をとどめなくなるほどに、淡い印象派の水彩画のようになったその景色は、もはや、波のあいまにわずかに見える落下した際の波紋の残骸と似ている。

波紋は小さく広がり、寄せては返す波の飛沫によって消されて、星々の囁きだけが、汗だくで愛し合った時の残響のように静かに広がり、また消え、誰かのもとへと向かうヨットへその波紋が届くことを僕は願うことしかできない。

もしも、それらが届くなら──届かなかったとしても、僕が記憶を手繰り寄せるあいだは、熟した木の実がやがて虚構の柔らかな土のある大地に辿り着き、芽吹くであろう。

僕は、誰かに、上手いと、言われたいわけじゃない。
僕は、愛するすべてを、記憶するために、記録しているのだ。
僕は、水平線をじっと見つめ、あらゆる時代と空間と不在者たちに優しくしていたい。その優しさは、彼らがくれたものであり、溢れるほど僕に注いでくれた優しさと愛情を僕は、いまの僕の大切なひとたちや声にならない声で叫び続ける者たちに分けてあげないといけない。

僕にとって書くとはそのようなものであろう。

読むことは生きること、書くことは愛すること──僕の消えたミューズが教えてくれたこと。

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