発言

 「(同性婚カップルが)隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」。首相秘書官(当時)の発言は、到底、受け入れられるものではない。なぜ、こんな暴言が口から出るのか。しかも、政治家の口から。もしかすると、政治家は、国民を「個人」ではなく、「国民」という集合体でしかみていないのではないかと考えざるを得ない。そして、集合体としてみることで、一人ひとりの痛みを想像することができなくなっているのではないだろうか。
 首相秘書官の発言が出た時にたまたま読んでいたのが、ウクライナ生まれの作家、ワシーリー・グロスマンがスターリングラード攻防戦を舞台に描いた歴史小説「人生と運命 1」(全3部)だった。

 ファシズムは独立した個人という概念、《人間》という概念を拒否して、すべてを巨大な集合としてあつかっている。(…)ファシズムとは人間は共存できない。ファシズムが勝利するとき、人間は存在を止める。残るのは、精神を歪められた人間の形をしたものだけである。しかし自由と理性と善良さを持つ人間が勝利するとき、ファシズムは死に、ファシズムに屈していた人々は再び人間となるのである。

(「人生と運命 1」p124)

 首相秘書官の発言に先立ち、岸田首相は同性婚の実現で「社会が変わってしまう」と述べている。首相秘書官とおなじように、彼も個人を「巨大な集合」とみているのだろう。その彼の頭の中にある「社会」というのは、権力者が決めたことにただ従うひとびとの群れで成り立つ「社会」なのだろう。

 私は、今日この夜に、あごひげを生やした心配そうなお父さんたちや、ハネーケーキとガチョウの細長い首の形をしたクッキーを作ってくれる口やかましいおばあさんたちのこの賑やかな世界全体が、(…)永久に地中に消えてしまうということ、戦争の後に再び生活は賑やかになり始めても私たちはいない、私たちはアステカ人が消えたように消えてしまうということを、はっきりと想像できました。

(「人生と運命 1」p120)

 一人ひとりにそれぞれの人生、それぞれの生き方がある。それを尊重せずに否定するような人が政治家や官僚であってはならない。しかし、だ。そんな政治家を選んでいるのは、私たち有権者でもある。わたしたちはこのことを、今こそ真剣に考えなければならない。暴言や理解不足で片付けられるような問題ではない。

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