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署名集めてます

 空耳か? 見知らぬ人の口から発せられた音がうまく脳で処理できなかった。
 九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の20年運転延長の是非を問う県民投票実現に向けた署名活動が始まった。私自身、鹿児島市の山形屋前で毎日1時間、署名を集めている。思ったより、署名をしてくれる人が多い印象だ。「原発の~」と原発を出すと途端に嫌な顔をする人もいる。まぁ、それも仕方がない。とにかく、集めるだけだ。
 「一人で決めた方がいい」
 いつものように山形屋前で署名を集めていた時のことだ。「原発のことをみんなで決めようという署名を集めています」と説明すると、そんな言葉が返ってきた。一瞬、何を言っているのかわからなかった。これは、独裁国家を希望しているということだろうか? 原発に限っては、という留保付きの意見なのだろうか? 今となっては真意はわからない。その後も署名を集めはしたものの、「一人で決めた方がいい」という言葉が頭から離れない。どうしても取り除くことができない、喉に刺さった魚の小さな小さな骨のように。
 「一人」というのが、そもそも何を指すのだろうか。首相のことか? 政府か? よく言えば、政府が信頼されていると言える。確かに、自分が描く社会を築いてくれている政府であれば、百歩譲って、そう言えなくもない。
 それでも……。それでも、と言わなければならない。思考することを他人、それも権力者に委ねてしまえば、私たちは、言われたことをただ遂行するだけのロボットになってしまう。ロボットになってしまえば、権力者の言ったことをただ受け入れ、それがさも自分の考えたことのようになってしまう。自分と権力者が一つに溶け合ったような状態。権力者=自分。誰も彼もがこのような状態であれば、社会としてはハッピーなのかもしれない。
 ん? そんなことありうるのだろうか? 一人残らずそのような状態になるはずがない。なぜなら、既存のシステムから疏外、弾かれる人は必ず存在する。「一人で決めた方がいい」と言った人は今、そういう立場にないかもしれない。しかし、そうなる可能性は誰にでもある。
 もし自分がその立場になったら……。そのように想像することが、社会で生きるということなのではないだろうか。やはり、私は「一人が決めればいい」とは言えない。一人が決めればいいと考える人が増えれば増えるほど、社会から色が失われていくように思えるから。

≪……驚くべきことですが、私は長いこと、国家が私を圧迫していると思っていましたが、今や、まさに国家こそが私の心を表現していると理解したのです……(略)》

「人生と運命2」p92

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