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読書法を変える「歴史とは何か」

「ブログ見ました!」という言葉を聞いて、冷や汗をかきました。

柳沢中学の部活指導中、新しく赴任してきた先生から「お仕事は何をされてるんですか?」と聞かれたので、柳沢駅前で・・・古本屋を・・・と答えたところ、先生にこのブログがバレていることが判明しました。これはもう迂闊なことは書けません。気を緩めずにブログを書きたいと思います。

そして今朝も子供たちが登校する前に、グラウンドで「歴史とは何か」 という岩波新書を読んでいました。この本は名著として有名な本で、その内容は難しめ。でも、気軽に想像力を働かせながら読んでいます。

とはいえ、最初は読むのが苦痛でした。歴史を論ずる本ということで聞いたことがない人名な地名が多く、知らない言葉も沢山書かれており意味がほとんどわかりませんでした。

しかし、先に書きました通り、想像力を働かせるとなんとなく読めることがわかりました。難しい文章も、「きっとこういうことが書いてあるに違いない」と予想を立てて読み進めれば、読めないことはない。

これはつまり、「木を見て森を見ず」ではなく、「森を見て木を見ず」の読書です。前後の文章や、話の流れや、言葉の雰囲気を直感的に感じ、個々の言葉を完全に理解せずに読み進んでいるのです。

このような読書法は、店主は今まで邪悪なものだと考えていました。じっくりと石橋を叩いて渡るような(渡れないことも多々ありましたが)読書こそが正しい読書だと思っていました。

しかし、本によって読書法はどんどん変えていいという時点で考えると、完璧に近い理解を目指し、ブログに要約した文章を記録する読書は、ある意味で理想的ですが、そうではなく、難しい本だとしても、著者の伝えたいことを少しでも感じることが出来れば、それと読書ではないかと思いました。

というわけで、さして賢くもない古本屋の店主が今日もブログを書きました。せっかくブログを書いているので読んでもらいたいとおもいますが、知り合いの方や、仕事先の方、そしてお客さんに読まれたら恥ずかしい。その店主の真意は自分でもわかりませんので、このブログを読んでくださった方々の想像にお任せします。

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