見出し画像

【代官山リトリート③】誰もが創造的な存在

7月の日曜日に3回シリーズでマインドフルネスヨガ&ダイアローグを行います(詳細リンクは末尾)。それに関連して感じていることを少し。

開催概要の説明文の中で、妻の未央(心理カウンセラー)が

頭をやすめて、体と心の声に気づき対話をする時間は、自分自身を大切にする時間です。頭が「足りない」と言っているから何かを足そうとするのではなく、体と心を通して、自分の中を見てみましょう。
外からの何かで埋めるのではなく、自分の中にスペースを作れば、そこから気づきや創造が生まれます。
あなたは今のあなたのままで大丈夫。すべてあなたの中に持っています。

と、書いています。

この点、最近の自分自身の探求ポイントでもあるのですが、何かが「足りない」と捉えて「足りないから足す」という行動を昨年までいっぱい積極的に取っていました。具体的には、仕事にあると良さそうなスキルや知識をとにかく集めに行く、学びに行く、資格を取ろうとする、などなど。

今年は逆に、「すでに全て(自分の中に)ある」と捉えて、日々を過ごしています。そう心がけているというよりも、その立場で物事を捉える方が心地よく感じており、自分自身がそうしたいと思っているようです。講座や勉強会にも参加することはありますが、「足りないから」埋めにいく、という感覚ではないのです。

多分、実際に足りないことがあるかないかは、あまり今の自分には重要ではなく、「足りない、足りない、もっともっと」ではなく、「足りている、足りている、すでにある」の立場と立ち位置で、世の中を見よう、自分を見よう、相手を見よう、としているようなのです。

(春に行ったハワイ島のKONAの夕焼け&父のリクエストに応える長男。僕はここで「生まれ変わり」ました)


話が少し飛びます。

今年に入り、「変化の激しい1年になる」と様々なところから言われ、年初が過ぎ、春が過ぎて、仕事でも個人としても様々な出会いと別れ、気づきがありました。結果、2018今年のテーマが、遅ればせながら、自分自身の"spirituality&sexuality"を探求する年(=自分自身を探求する年)なのだ、と思い至りました。

「スピリチュアル」・・・危険な言葉です。

スピ系の話をすると、ドン引きする人がいるかもだし、拒絶反応が強い人もいるかもだし、「ああ,べっぷさん、そっちの人になっちゃったのね(独特の笑顔)」、という、こちらの真意が伝わらずレッテルを貼られる可能性のある、、、、、

そういう意味でイベントや企画をデザインする側からすると、リスクのある言葉。

なので、以下のような表現をするかどうか迷いましたが、本質では繋がっていると感じているので、恐れを手放して出してみようと思った次第。

そういう意味で、自分にとって、ここ最近でヒントになった書籍を紹介。

何か怪しいツボを売ろうとか、
特定の宗教に勧誘しようとか、
一切そういう意図はありませんので、
ご安心を^^。


あくまでゴールは「マインドフルネス」になって
気づきをシェアする場、です^^。


さて、"spirituality&sexuality"の探求の話に戻すと、、、いろんな気づきがあるのですが、まだそのプロセスの渦中なので、改めてシェアしたいなあと、「自分を知る」という意味でも、40代にこそ大事な話な気がしています。

その探索の中で、以下の本を読んでいて出会ったのは、

冒頭のテーマである「人は全て、生まれながらにして創造的な存在」ということを日々のワークに落としこんで誘(いざな)い、気づかせてくれる以下の本でした。全ての人の中にアーチストが住んでいます。ただしそのアーチストは最初は「子ども」なので、大切に育ててあげないといけない、と。

ちなみに、1冊目のスピ系の本では、3人の偉大な先達たちが、「スピリチュアルに生きる」、とは「まず自分自身を知り、自分自身に(必要なものは)全てある」「ありのままの、今のままのあなたのままで大丈夫なのだ」、ということを知るプロセスである、と説きます。

山川亜希子 結局、私たちが訳す本というのは、アメリカでもちゃんと「Who am I ?」がテーマになった本なんですよね。「私は誰か」という本だから、私たちにしてみれば、やはり「自分自身が何者かを深く知っていく」「それを通じて本当の幸せを生きる」ということが、スピリチュアルの本質だということなんですよね。
山川亜希子 宗教上の教えよりも、もっと直接的な「神と自分」「大いなるものと自分」とのつながり、あるいは、自分自身がその大いなるものの一部である、という理解が「スピリチュアル」なんです。(中略) 「宗教性」「スピリチュアル」というのは、人間が生きるうえで最も重要になるものなのだと、いまでは本当にそう思っています」
雲黒斎 スピリチュアリティは、もともと僕たちひとりひとりの中にしっかり内在されているものですから、本来は「教える(与える)」「教わる(受け取る)」といったものではないのです。(中略) そもそもスピリチュアル・宗教性の気づきが人生に何をもたらしてくれるかと言えば、「自由」や「安堵」などといったものでしょう?


自分が2冊の本から受け取った理解は、とても同質・同様のものでした。「自分が、そのままの自分で、自分が求めていることにたどり着ける創造的な存在である」と感じられること、信じられること。その背中を押してもらったような感覚がありました。

クリエイターさんや、作家さんに限らず、全ての人がこの感覚で自分を捉え、世界を捉え、相手を捉えて行ければ、なんだか絶望的に描かれやすい日本という国の人口動態に伴う近い将来や、世界中の諸問題や、人間関係のもつれや、家族内でも起こるような、身近な切ない問題にも、別の見方や姿勢で向き合うことができるようにも思います。


前述した「足りない、足りない」という見方を「欠乏モデル」と最近呼んでいます。日常的なことでも、社会的・ビジネス的なことでも、「欠乏モデル」から発想するのではなく、「充足モデル」=すでにある、手元にあるもので大丈夫。そこから発想・出発してみる。そんな風に今年は過ごしたいなあ、と。

あ、ここまで書いてIDEO Uで学んだことのパワフルなメッセージの一つが 

"Creative confidence is everything"

だったことを思い出しました。そうだった、そうだった。。。

自分が本来、Creative confidence(何かを作り出す自信、自分は創造できる、という自信)と共にある存在である、と思い出す、気づく、信じられる、感じられる、そういうことが大切なのだなあ。

(ハワイ島の標高2900メートルで見たお月さま。表面の凸凹くっきり)


以下の代官山リトリートでは、それぞれの探求者によるリード&サポートで行う本格派のヨガと、ダイアローグ(自分の「内なる声」を大切にしながら気づきを語り合う、シェアする)の場、を通して参加したみなさんが、自分自身の「充足モデル」のあり方を探る場にしたいなあ、とも思っています。

男性も女性も、ヨガ初心者も未経験者も、老若男女問わず、、、ダイアローグって何すんのさ?って方も、ご縁のある方との出会いを楽しみにしております^^。

(お申し込みはこちら↓)

【代官山リトリート】
体と心のマインドフルネスヨガ&ダイアローグ


(地元の小学校裏に咲いていた紫陽花。梅雨の初期に、若々しい感じで、新人さんみたいな感じで、初々しい感じで咲いている紫陽花が好きです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?