素直におめでとうと思えるために
年末に同窓会で会った友人と後日会う約束をしていたのですが、やっと会えました。
私は「今度会おうね」とか「また遊ぼうね」っていうのが社交辞令だとしても本気に受け取ってしまうタイプです。
社交辞令でご飯行こうとかちょっと意味わからないなって思っちゃいます。
果たせない約束はしてはいけません😐
じゃあ、逆にあんまり一緒にご飯に行きたくない相手に誘われたらどうするかって…
「今度ご飯行こう!」
「うん!」
うん!っていうかもしれないです。
それならいいですよね。
行くとは行ってないし。
だめですか?
あんまり行きたくない相手に誘われたことがないのでわからないです。
でも、自分から社交辞令で誘うようなことは絶対にしません。
たぶん。
だから、社交辞令でご飯行こうねって言ってくる人の気持ちがわかりません。
わかりにくいから言うな!!!
って思ってます。
まあこういうように、「また会おう」なんて言葉は簡単に言えますが、こうやってちゃんと予定合わせて会ってくれるのって本当に嬉しいことだなって思います。
だって、いくらでも逃げられるじゃないですか。
社会人なら休みが合わなくてとか急に出勤しないといけなくなったとかを永遠に乱用していけばいいだけですからね。
だから、予定を合わせそうとしてくれることは少しでも私に会いたいって思ってくれてるんだなって思えて嬉しいんです。
仕事以外で人と喋る機会がほとんどないので、こうやって友人と会う時間というのは私にとって凄く貴重な時間です。
さっきまでとにかく喋り倒してたわけですが、
楽しかったーー!ほんとに。
ただご飯食べてしゃべっただけなのに、この満たされ方、すごいですね。
今日あった友人は私と同じ管理栄養士の仕事をしている子なので、仕事に関して共感できる部分が多くあって、なんか色々、すっきりしました。
彼女とは高校3年間、同じクラスではあったのですが、いわゆるいつメンという関係ではなかったんです。
それでもこうやって10年の時がたった今でも会っているんですから、不思議ですよね。
大学生までは大体の人が学校行ってバイトしてみたいな似たような生活をしていると思います。
でも、社会人になると今までとは違った差が見えてくると思うんです。
恋人とか、仕事とか、結婚とか。
稼いでいるお金も違えば生活してる環境も違くて、それぞれの人生の差が大きくなると思います。
優先順位が仕事の人もいれば、家庭の人もいるし、趣味の人もいます。
人から見えるのって幸せな部分だけじゃないですか。
多分SNSのせいだとは思うんですけど。
だから、気づかないうちに卑屈になってしまうんです。
みんなはあんなに充実してるのに、なんで私はこんな人生なんだろって。
いいなって、羨ましいなって思ってしまうんです。
嫌だったら、全てを見えないようにしてしまえばいいのですが、見てしまうのが人間の性なんですかね。
今日あった友人も先日結婚しました。
20代後半にとって結婚って、結構敏感な話題だと思うんです。
実際、あの人が結婚したらしいよって聞いたり、SNSでの結婚の報告を見たりする機会が多くなっています。
こういう知らせを聞いたとき、正直おめでとうって気持ちよりも「いいな」って気持ちの方が大きかったんです。
でも今回みたいに直接会って友人と話をすると、いいなって気持ちよりもおめでとうの気持ちの方が出てくるんだなって感じました。
目の前で起こっている幸せよりも、SNSで見える幸せの方が妬む気持ちが生まれやすいのかもしれないです。
結婚に限らずSNSで近況みたり、別の友人から話を聞いたりして、人の人生に勝手に嫉妬してしまうことってあると思うんです。
でも、定期的に会っていい関係が築けていると素直におめでとうって思えるんだなと思いました。むしろ、あの頃学生だった友人がこうして進んでいるのを見るとなんだか感慨深くてじーんとしました。
これは今の私がまだ結婚とは程遠いところにいるから嫉妬するところまで達していないというのもあるかもしれないので、私の状況が変わったら気持ちが変わる可能性も十分にありますが。
結局人の幸せをおめでとうって思えるかどうかは相手との関係性と自分の状況次第なんだと思います。
人の幸せを心からおめでとうと思えるように、周りの人を大事にして、自分の人生も充実させないといけないですね。
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