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冷戦世界はどのように作られたのか

ソ連が崩壊する1990年頃まで、世界の大部分が「東西冷戦」という対立関係を軸に動いていました。
この時代を知らない人も多くなってきたかもしれませんが、60年代~70年代に生まれた人なら、身に染み込んだ実体験として理解しているはずです。
僕は、その1990年直後に、まさに東西冷戦のスキームの中で生まれた、航空自衛隊の「次期支援戦闘機」開発のために働きました。
そんな中で、あの「東西冷戦」は「現実」であり、かつ「虚構」であったのだ、という思いを強くしてきました。

冷戦の始まり

第二次大戦が連合国とソ連の勝利に終わった後、必然的に「東西冷戦」が始まったように受け取られがちですが、実は終戦から冷戦の始まりまでには、中国の共産化と朝鮮戦争という大きな出来事があり、東アジアにおけるこれら一連の事件が「共産主義陣営」と「自由主義陣営」の対立という「物語」を生み出したのでした。
このことは、戦後日本という新しい国家の成立にも大きく関係しています。

連合国に占領された日本は、天皇を主権者とする封建的な君主国家から、国民を主権者とする民主国家に変わりました。同時に、戦争を放棄し、軍隊を持たないことを宣言したのでした。
これは「日本を弱体化するため」ではなく、アジア地域の軍事的な緊張を生み出さないためであり、戦争の惨禍を味わった日本国民にとっての悲願だったのです。

朝鮮戦争

しかし、朝鮮戦争の勃発がこの事態を変化させました。
38度線を挟んで朝鮮半島の北側で建設された北朝鮮が、1950年に南側へ軍事侵攻し、あっと言う間に朝鮮半島のほとんどを制圧したのでした。
日本植民地下の朝鮮半島では北部に開発が集中していたため、北朝鮮の方が圧倒的な力を持っていたのです。
その後、アメリカを中心とした国連軍が参戦し、今度は中国との国境まで北朝鮮軍を撃退します。このとき、ソ連は中国の国連加盟をめぐって国連をボイコットしており、拒否権を行使する常任理事国はなかったのです。
しかし、今度は中国の義勇軍やソ連の軍事顧問団などが北朝鮮を支援し、最後には38度線付近で睨み合いとなって休戦に至ります。

このような経緯の中、アメリカを中心にした西側では、朝鮮戦争は軍事力による「共産主義の拡大」を狙ったソ連の画策だとか、中国の参戦はソ連が唆したのだという考えが生まれ、これが「米ソ対立=東西冷戦」という世界を生み出したのです。
しかし、ソ連の崩壊後に公開された資料などが明らかになるにつれ、21世紀の現在では、金日成が計画した侵攻を当初はスターリンが制止していたことや、毛沢東の決断がソ連の意を汲んだものではなかったことが、明らかになっています。

冷戦における日本の役割

アメリカは共産圏の拡大に対抗しなければならない、という確信のもとで「東西冷戦」という構図を描き、日本に対しても朝鮮戦争への参戦を求めました。しかし、憲法で戦争を放棄していることを理由に、吉田茂首相はこれを拒否し、政府としてはあくまで日本国内での後方支援に留まります。
アメリカは、このときから日本の改憲を強く望むようになり、それが現在の自民党を生みました。アメリカの意を汲んで憲法を改正するのが、自民党の党是です。

独立した他国の憲法を、自国の都合で変えさせようとは言語道断ですし、憲法を遵守すべき政党が「改憲」を前提に政権運営しているのも変ですが、これは「東西冷戦」下でアメリカが望む「日本の役割」のためでした。
言うまでもなく、そのことが現在の我々にも強い影響を与え続けています。冷戦構造によって作られた「反共意識」が、既に資本主義化した「中国」や「ロシア」といった旧共産圏に向けられているのは、滑稽を通り越した悲劇でしかありません。
(ソ連による「共産化の恐怖」など、もうどこにもないのです!)

想像から始まった冷戦

この「東西冷戦」という構図は、紛れもない「現実」として半世紀にもわたって世界を動かしてきました。
しかし、そもそも「共産主義が拡大してくる」から「防がねばいけない」という「ストーリー」は、資本主義社会の支配者と大衆が抱いた恐怖感を伴う「想像」が出発点だったわけです。
この「想像」がどのように「現実」になっていったのか、朝鮮戦争当時の人々や政治家の言動を通して分析しているのが、『人びとの中の冷戦世界』という一冊です

ちょっと高価な本ですが、政治家からの一方的な発信によって「冷戦」が現実化したのではなく、大衆の「恐怖感」や「差別意識」などが政策を動かし、相乗的に「反共」意識の生成が加速されていった様子などが描かれています。

我々はなにを考えるべきなのか

私たち人類は、第二次大戦で多大な戦禍を味わったにもかかわらず、その後も冷戦構造の中で多くの戦争を経験しました。
日本に関係の深いアジアだけでも、朝鮮戦争やベトナム戦争という大きな戦争がありました。日本は米軍の最重要拠点であり、戦略爆撃という大量殺戮の発進基地となり、今では自衛隊が米軍と一体化した敵基地攻撃を口にしています。

そうした軍拡の後ろにあるのは、常に「敵が攻めてくる」という想像であり、そうした想像が東西冷戦を生みました。
ロシアは、冷戦終結にもかかわらずNATOが東方へ拡大することに恐怖を抱き、ついにウクライナ侵攻という暴発に至りました。
もちろん、NATOの拡大はロシアへの攻撃を意図したものではないはずです。むしろ、旧東側諸国や旧ソ連諸国がロシアに脅威を感じたことが、その背景にあるのです。
しかし、互いの恐怖と不信が、悲惨な戦争を招く結果になりました。

外国人に偏見を抱き、外交の解決や防衛を武力に頼る姿勢は、必ず悲劇に繋がるのです。

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