見出し画像

note

noteで、好きな文章を書く人たちの新着記事を読むのが、日々の楽しみのひとつになっています。ここには本当にたくさんの文章があり、好みの文章を見つけるたび、思考の深さや表現力の豊かさ、巧みな構成に圧倒されるばかりで、なんだか読めば読むほどに、自分が書きたいようなことは、自分が書かなくても、自分以外の誰かが上手に書いてくれているのだから、自分はこのまま読む専門になるのもいいなあ、と思えてくるほどです。しかし、それではやっぱり何か物足りない、私もみんなみたいに何か書きたい、と揺れながら、下書きのページを開いて、ちょっとだけ書いてみて、自分の文章のつたなさに半笑いして、やれやれと閉じるのを繰り返している毎日でした。

私はどちらかというと、元気いっぱい前向きなものよりも、心の奥へ奥へと潜って、その暗闇で限界まで目をこらしているような静かな文章を好んで読むのだけれど、では、それを自分が書けるかというと、私という人間には、そもそもそんなに潜れるほどの深みがなく、目をこらせども浮かぶ言葉は安っぽく、日々浅はかな思考と野放図な感情で暮らし、勢いだけでここまで生きてきた人間なので、自分が読みたいような文章を自分で書くことはできないのです。

だから、自分の読みたいものを自分で書こうとするのは、諦めようと思いました。そう思ったら、気が楽になりました。私は私の書ける範囲のことを、自分に無理のない文体で書いて、そんなふうにしてなんとかかんとか、自分の文章を書くことを、諦めない人でいようと思います。