こういう人間

自分の目の前にいる人を、いい人だと思い込みたがってしまう、全力で信頼したがってしまうところがある。スーパーのレジですら、それが発動してしまうから、ちょっとそっけない対応を取られただけで、大きなショックを受ける。そして、攻撃的な気持ちになる。もちろん本当に攻撃はしないけれども、心のなかで毒つく。勝手に期待しておいて、いい迷惑だ。

よくいわれるように、「いい人」というのは自分にとって都合のいい人でしかないわけで、実際、みんなそれぞれ事情を抱えて生きていて、都合のいい人でいられるときもあれば、いられないときだってある。最近それが、ようやく分かってきた。
だから今は、どんなときも、目の前にいる人を、なるべくいい人だと思い込まないように、心掛けている。そんなふうに極端にしか、人と向き合えない。これはもう、小学生のころからの性分だ。それでも笑いかけられると、簡単に「いい人!」と心が緩んでしまう。そしてその後その人が「いい人」の範疇から少しでも外れる言動をとると、とたんに裏切られたと感じて、勝手にどんよりするのだ。

そんなふうだから、自分自身も、いい人であらねばと構えすぎて、その結果、すべての自分の行いに自信がなく、目も合わせられず、おどおど無駄にへらついて、ものすごく疲れる。だから、人付き合いをどんどんしなくなる。今は田舎暮らしで、仕事も在宅ワークなので、本当に家族以外との付き合いがない。たまに学校関係の行事が生じると、それだけでどっと疲れる。

これからも私は、ずっとこんなふうなのだろうかと、怖くなる。現実世界ではガチガチに自分を閉ざして、物語の世界に潜り込んでは自由に息をして、生きていくのだろうか。ここまで変われなかったのだから、これからも変われないのだろうか。家族と平穏に暮らしていければほかに望むものはないので、それ以外の人間関係を深めることはほとんど諦めているけれど、いまだどこかで、中学生のころに思い抱いた、誰とでも気さくに話せる人気者の自分という理想像は、ずっと心の底で消えずにいる。