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古草紙昭和百怪 「夜泣く女 無人屋敷の怪」(「話のタネ本」 昭和39年)

 今回も又、「MANGA 話のタネ本」。「話の特選コーナー 第2会場」所載の「夜泣く女!? 無人屋敷の怪」(昭和39年4月7日 62~3頁 写真3点 挿絵1点 日本文芸社)、目立たぬ惹句に曰く「障子に映る女の影! 階段の足音! いまや名物になった幽霊屋敷の怪異とは…」。
 「岐阜県は大垣市の観光名所となった幽霊屋敷…。大垣市の中心、繁華街を南北にわって、つっ走る国道二十一号線。国鉄大垣駅前の商店筋とクロスした辺りは、市でも目抜き通りで、商店、映画館、官庁がひしめいている。大垣警察署もその辺り、二十一号線に面してたてられているが、この大垣署から、ものの二〇〇メートルも行ったところに奇妙な廃屋が三軒ノキをつらねている。なにしろ、バスや自動車が行き交う国道に面しているうえ、すぐ東隣はにぎやかな飮み屋街。西通り、向こう側も一流どころがズラリ建ち並んでいる。日曜や土曜の夜ともなるとどっと人が出る、メイン・ストリート。」
 「その真ん中に立派な洋館が一軒、日本建築のしもたや二軒が誰も住む者もなく、見すてられているのだから、奇妙な話。この三軒は、市内で地酒をつくっている…醸成のもち家。戦前から建てられていた、しもや屋…、借家としていろんな人たちが住みついてきた。なにしろ一等地とあって、借り手はひきもきらず、一階の土間を利用して、お好み焼き屋を開業、ちょいとしたもうけをはじき出す借家人もいるほど。戦前は、幽霊の出る噂などなかったが、戦後長らく東の一軒に…興行師が…お好み焼き屋と同居、西の一軒に三世帯が住んでいた(真ん中の洋館は貸さず、…従業員などをすまわせていた)のが、…時同じくして、出ていってしまってから、騒ぎが起こった。大垣は工業地帯で、空襲で破壊されつくしていたから…。…、住宅難時代、五世帯そろって出ていったから、世間の関心を集めたのだ。」
 「…若衆が、夜な夜な障子にうつる幽霊(若い女)を見たという。『…国道に車が絶えた深夜になると、床がミシミシといって……、洋館には一間巾ものバカでかい階段があるんですけど、…人が上下する足音がするんですよ。戸がひとりでに開いたり、閉ったり。そりゃァ広い家だからスキマ風やら、表の方をトラックが走ったら、裏の方にいれば、そんなふうに、響くんだとは考えられないじゃないが、そんな音と足音を聞きまちがえることもねえすら。…』…。とても気味が悪く、寝ていられないと、出ていってしまったという。」
 「実は家のすぐウラは墓地で、これらの家は墓をつぶして建てているとか、いろんな話が尾ヒレをつけて流布された。五世帯が出たのは二十三、四年ごろだが、その後、電気通信管理所につとめる…一家が…何も知らず洋館に住んだが、一年足らずで、『どうも気のせいか、夜ねられなくて……』と出て行ってしまい、その後アカの他人では借り手もないところから、親族の…一家を入れたが、この入居時も、わざわざ神主におハライをしてもらう有様。それにもかかわらず、一年ほどで引っ越してしまった。…。…その後は誰も住む者はなく廃屋のままになっている。…。ここを通る名古屋の観光バスが、『右に見えますは、大垣名物の一つといわれます幽霊屋敷でございます。今も夜な夜な怪しい物音がするとかで、今日でも誰も住む者はありません』とアナウンスするものだから、…評判は輪をかけた形…。はるばる北陸、大阪から見物にやって来る連中が絶えず、入り込んで夜を過ごす者もいるのだが、満足に一晩ねられた者はないという。」
 序ながら、隣の「現代科学も見離した死の村」は公害被害の報告です。
皐月朔(水)

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