見出し画像

批判・反論の前準備としての「疑問をもつ」訓練:社説を題材に

 批判・反論をするには、まず「疑問をもつ」ことが大事である。疑問は批判の原材料になり、場合によっては疑問をそのまま批判にすることもできる。

 「議論の力」を得るためには、第一歩として「疑問をもつ」訓練をすることだ。いきなり「批判文を書く」「反論文を書く」というのは難しい。対象とする文章全体の論理構造を把握する必要があるからだ。
 一方で、「疑問をもつ」のは一文単位の小さな部分を読めば十分にできる。簡単である上、丁寧に読む練習にもなる。そして間違いなく批判・反論を作る原材料として使える。今回は読売新聞の社説を題材として、その実践例を示す。

実際に「疑問」を出してみた。

◆出生数86万人 想定以上の少子化を憂慮する(読売新聞, 2019/12/26)

 まずは記事を一読してもらいたい。それから、自分なりに感じた疑問を列挙してみてほしい。疑問のクオリティを気にする必要はない。あくまでも批判・反論のための前準備である。思いつくままに列挙すればよい。低質だと思えばこっそり捨てればよいだけだ。

 私の感じた疑問は以下の通りである。1~2段落ごとに引用しながら疑問を並べていく。(個人的に「クオリティが低い疑問だ」と思ったものもあえて残してある)

 予想を上回るスピードで少子化が進んでいる。政府は現状を深刻に受け止め、もう一段の対策を講じる必要がある。

 従来の『予想されたスピード』はどの程度だったのか。誰がどのように予想していたのか。また『(予想を)上回るスピード』とは、具体的にどれほど上回ったスピードなのか。0.1倍程度なのか、それとも2倍や3倍も上回ったのか。
 『政府は現状を深刻に受け留め、』とは、実際には何をどうすることを指すのか。緊急の臨時国会の開催か、それとも党内議論を行う会議を開く程度でいいのか。

 2019年に生まれた日本人の子供の数が86万4000人になることが、厚生労働省の人口動態統計でわかった。90万人を割り込むのは1899年の統計開始以来、初めてだ。
 最大の要因は、若い女性の減少である。人口が多い団塊ジュニア世代が40代後半になり、25~39歳の女性は毎年約20万人減っている。出生数の減少が長期的に続くのは避けられまい。

 『最大の要因は、若い女性の減少である。』という根拠は何か。少子化が進む要因としては、成婚率の減少、子供ひとりあたりの養育負担の増加、貧困率の増加など複数考えられる。そのなかでも「若い女性の減少」を「最大」とした根拠はなにか。また、「若い女性(25~39歳)が減少」しているのは、25~39年前の少子化が原因であろう。「過去の少子化によって現在が少子化になっている」は分析的記述といえるのか。

 憂慮すべきは、想定より出生数の落ち込みが激しいことだ。国立社会保障・人口問題研究所は86万人台になるのは21年と推計していたが、2年も早まった。

 ここで前出の疑問に一応の回答があった。『国立社会保障・人口問題研究所は86万人台になるのは21年と推計していた』ようだ。しかし、この団体による推計が、要するに甘かっただけではないのか。なぜ推計を外したのか。たとえば、公的機関であれば、「政府による少子化対策がうまく機能するはずだ」と前提せざるを得ず、いわば政治的な事情から「加点」した推計になってしまった可能性もある。他の団体は推計していなかったのか。

 出会いの機会が減り、経済的な不安で結婚をためらう若者が少なくない。晩婚化が進み、希望しても子供を持てない現状もある。政府は少子化の要因を分析し、次の一手を考えるべきだ。

 『出会いの機会が減り、』というからには、「出会いの機会」を誰かが経時的にカウントしていて、それを報告した統計資料があるのか。それに基づいて書いたのか。それとも、出会いの機会が減ったというのは、筆者の当て推量に過ぎないのか。
 『経済的な不安で結婚をためらう若者が少なくない』も同様に、どういった統計資料に基づいているのか不明である。「少なくない」という書き方も漠然としている。誰にも否定できない逃げ口上である。
 『晩婚化が進み、希望しても子供を持てない現状もある』と筆者は指摘する。だが、通常「晩婚化」とは、平均初婚年齢の上昇を指す。2016年のデータなら29.4歳(女性)である。30年前は23歳(女性)だった。「希望しても子供を持てない」ほど高齢なのか。筆者は熟年結婚と間違えていないか。
 『政府は少子化の要因を分析し、次の一手を考えるべきだ』その通りだが、具体的にどのような分析が必要か。少子化の要因を分析した論文は、いくつもの公的機関・民間機関から多数出版されている。既存の分析では不足があると考えるなら、どのような分析が不足しているのか指摘するべきではないか。

 出産に二の足を踏む背景に、子育ては大変だという認識の広がりがあるのは間違いない。

 逆にいえば、平成、昭和、大正、明治と時代をさかのぼるほど、一般国民は相対的に「子育ては容易である」と認識していたのか。筆者は『間違いない』と啖呵を切るが、それほどの根拠があるのか。

 働く女性が増え、仕事と育児を両立する制度が整う一方、家事や育児が女性に偏る風土や、長時間労働を求める企業文化は根強く残る。一人で育児を担い、孤立感を深める母親もいる。
 出産を機に、女性が仕事をあきらめなくて済む制度を充実させる。男性も含めて、勤務時間の柔軟化など、働き方改革に取り組む。子育て世帯の負担を和らげる施策を進めることが重要だ。

 『女性が仕事をあきらめなくて済む制度を充実させる。』における「充実」とは何か。どの指標がどうなっていたら「充実していない」ことになり、どこまでいけば「充実した」ことになるのか。
 『勤務時間の柔軟化など、働き方改革に取り組む。』のはいいが、「など」の中には他に何があるのか。「など」を使うなら、最低限、2つは挙げるべきではないか。勤務時間さえ柔軟化させれば、子育て世帯の負担が顕著に和らぐのか。それほどの効果が「勤務時間の柔軟化」にあるのか。また、業種によっては勤務の時間帯を柔軟化できない場合もある。というより、柔軟化できる業種のほうが限られている。たとえば居酒屋が忙しい時間は夕方から深夜にかけてである。「柔軟に」早朝や昼に業務をしたいと言われても、対応できない。また私自身に関連することで言えば、工場における生産ラインに携わる人も、ひとりだけ別の時間帯にはしてあげられない。複数人が同じ場所・同じ時間帯にいなければ、生産ラインが稼働させられないからだ。

ここから先は

1,398字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?