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創作者に襲いかかる「傲慢さ」と「劣等感」への処方箋とは?

みなさん、こんにちは!

創作支援サイト『作家の味方』管理人らぴと申します!


創作についてなにかを語ってみた時に、なぜかあらぬ方向から批判が来たり。


劣等感が故に、創作活動に未練がある状態で断念してしまったという経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。


というわけで、今回は創作者に襲いかかりがりな無自覚な「傲慢さ」と「劣等感」に対する考察と処方箋について展開していくことにしたいと思います。


具体的な事例があったほうが話も伝わりやすいかと思いますので、例からみていくことにしましょう。


たとえば、小説の書き方にしても副業の始め方にしても、あらゆるビジネス書に書いてあることを要約すると「とにかく、まずは行動してみましょう!」というものだったります。


しかし、言わずもがな「行動できない人」のほうが多数派というものです。


逆に、行動できている人なのであれば、すでに小説も書いているし副業も始めているので書籍や講座の読者ターゲットにはなりません。


となると、「行動できない人」に「とにかく、行動してみましょう!」と言ってみても、アドバイスとして何の役にも立たないでしょう(プロからすれば、現状認識を他人と照らし合わせて補強するくらいでしょうか)。※責めているわけではありません。


これが自己啓発本が情報商材詐欺だとか、批判される主な要因なわけですが、この問題はシンプルに「その道のプロほど、教え方がわからない」ということに原因があったります。


感覚でなんとなく出来てきた人からすれば、何がわからないのかがわからないから教えようとしても上手くいかないということですね。


要するに、優秀なトレーナーと、優秀なプレイヤーの素質は別物だということです。


もし何かの分野でプロであるのなら、初心者に対しては「教えてあげる」といった傲慢な態度は捨てましょう。


お互いに損しかしません。教えるのが面倒であれば、専門学校やスクールを紹介してお金に変えたほうが時間も節約できてWin-Winなのです。


なぜなら、こういったケースでは「教えてほしい側」も聞き方がわかっていない状況にあることが往々にしてあるからです。


たとえば、自分の専門ではない分野であればカメラを始めてみようとしても「カメラってどうやったら上手くなれるんですか?」というピントのぼけた質問を飛ばすことしかできないときだって人間にはあるのです。


カメラを勉強したこと無い人が、いきなり「屋内のF値と野外のF値って、どれくらいの設定にしていますか?カメラレンズの型番は〇〇社のタイプ〇〇です」みたいな的確な質問の仕方ができるわけがないのです。


初学者の頭のなかはF値と言われただけで、きっとパンクして「別の人に聞こう」となるか、「僕には才能がないのかも知れない」という劣等感を生み出す温床にもなるでしょう。


もちろん、「指南書を読んだりしてから、人に聞けばいいではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。


それはごもっともな意見ですし、正論です。まったく否定するつもりはありません。


とはいえ、正論とは「発している言葉」と「言外の意図」が噛み合っているという前提のもとに成り立ちます。


要するに、「小説の書き方を教えて下さい!」と言葉ではいっていても、相手の言外にある意図は「あなた流の小説の書き方が、どんな書き方なのか教えてください」なのです。


そもそも意識の階層に「書きたいもの」があるのなら、すでに書いているはずなのです。


ということは、そういう質問をしている初心者の意図は「どうすれば自分のわくわくを見つけられるのか」であって、その参考文献として既にその道で楽しんでいる人から「わくわく」を聞きたいのではないでしょうか。


議論以前に「やりたいことがあるからやる」という段階にいる人と、「やりたいことがわからなくて探している」という段階の人がいて、両者の話は想定している話の前提が揃っていないということです。


加えて、何をいいたいのかといえば。優秀なトレーナーと優秀なプレイヤーは別物であり、餅は餅屋であるということです。


努力家のプレイヤーであれば両立も可能でしょうけれど、プレイヤーはトレーナーの分野で自分がプロだと錯覚し無自覚に傲慢になりやすく、初心者は初心者で質問の仕方が意図と噛み合っていないのです。


どちらにしても他人の落ち度をあら探して、責めることには何の意味もありません。


プロ以外の人が教えることに違和感を抱くのなら、プロで努力型の人に教われば良いだけでしょう(忙しいと思うので、煙たがられなければですが)。


僕が一貫して主張したいのは、他人を責めるのも、自分を責めるのも人生損するだけの行為でしかないということです。


正論を振りかざすのも、感情論で八つ当たりするのも人間であれば無自覚であるだけで誰しもやるのはずです。人間は完璧ではありません。ですから、僕も誰かに完璧はもとめていません。


ただ、個人的にはもうすこし「寛容な精神」と「言外の意図を汲み取れるような言葉」をうまく扱える創作者が増える未来を、みんなで楽しく創り上げていければいいですね。


ご精読ありがとうございました!創作活動応援しています!

体力的に、サイトを辞めるか本業に従事するか、そのうち決めるときが必ず来ると思います。もしサポートがあれば、そのとき独立するための原資として使用したいと思います。