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2022.6 子ども時代

 私は母子家庭に育った。
 十代だった頃の記憶はひもじい思い出が占めている。母は生命保険の外交員をしていて家を留守にすることが多かった。収入は不安定だったのか、なんとなく家にはお金がないと感じていた。なぜそう感じたのかは、いつも家に食べ物がなかったからだ。
 
 特に辛かったのは夏休みで、朝起きてゴロゴロしてご飯ができるのを待っていると、母はいつの間にか出勤していることがたびたびあった。当たり前だが夏休みは給食がない。朝食がなく、昼食もなく、夜になっても連絡はなく、水ばかりを飲んで我慢していた。
 ときには早く帰ってきて夕飯を用意してくれたが、「ご飯だよ」と言われて食卓につくと、目の前にはご飯と千切りキャベツしかない。「おかずは」と聞くと、「マヨネーズをかけて食べなさい」と言われて落胆した記憶は数え切れない。たまに肉屋のコロッケがあればごちそうだった。
 当時はコンビニやファストフードの類いはまだ珍しく、近所にないこともあって身近な存在ではなかった。カップヌードルの発売もその頃になるが、手軽に調理できるとうわさでは知っていても値段はかなり高かったように思う。安く手に入るようになったのはしばらくしてからだ。
 
 「子ども食堂」は最近よくニュースで耳にする。子ども食堂のはじまりは二〇一二年からとあるから、わりと最近のことである。
 「あの頃にも子ども食堂があればなあ」と兄に話したことがある。そこに訪ねて行けば快く受け入れてくれ、温かい食事が提供される。週に一回だとしてもとても待ち遠しい時間になったにちがいない。好き嫌いなんて言う余裕はなかっただろう。
 いまは認知症となり施設に暮らしている母だが、「母親のことは恨んでないよ」と兄が応じた。いやいや、母を恨む気持ちなんて自分にもさらさらない。今日まで生きてこられたのは、母が丈夫に生んでくれたおかげである。


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