研舟

こんにちは。一隅庵の庵主を務める研舟です。 庵の名称は察しの通り最澄和尚から借用させて…

研舟

こんにちは。一隅庵の庵主を務める研舟です。 庵の名称は察しの通り最澄和尚から借用させていただきました。 国宝ならずとも一隅を照らす存在でありたいとの思いを込めました。 日常で感じたこと、城を巡る旅の思い出、本の感想や趣味のウォーキング などを書き留めていきます。

最近の記事

2024.2 異臭

月に一度、病院に通っている。厄介な病気を抱えていて、生涯のパートナーとしてこの先も連れ添っていくしかない。腐れ縁という奴だ。仲良くしようぜとよく話しかけている。  先日、定期の受診日で病院に行った。開院前に着いたので十分ほど並んで待つ。片道に2時間ほど掛かっていて、開院して機械で受付を済ませると真っ先にトイレに向かった。  トイレに入って「はて」と感じたのは、するはずのない食べ物のにおいがしたからだ。人の姿はない。個室からなのか、肉系のにおいが漂っている。たとえばハ

    • 2024.1 七尾城の思い出

       北陸3県の城巡りをしたのは5年前の夏になる。猛暑の2日間だったのを覚えている。新潟から富山に入り高岡城に立ち寄り、そのあと氷見市に入って能登半島を北上した。  海沿いの国道は左側に漁村のような家並みが続き、右側はきらきらと陽射しを反射させた富山湾が広がっていた。海面の澄んだ青色が美しかった。ここに生まれ育ったなら、都会になど出ずに漁で生計を立て、海を眺めて老いていくのも悪くないなあと思った。退屈さなど感じないだろう。  氷見を走り抜け車を止めたのは七尾城のふもとだった。

      • 2023.11 桂浜の竜馬

         11月の後半に高知を訪ねた。11月15日は坂本龍馬の命日で、「龍馬まつり」があるというので、人込みを避けるために日程を後半にずらした。久しぶりの飛行機に緊張して、着く前にぐったりするほど疲れてしまった。  レンタカーで真っ先に向かったのは桂浜である。高さ8.2㍍の台座の上に立つ高さ5.3㍍の銅像を見上げる。和服姿、右手を懐に入れ、足元はブーツ。目を細めて太平洋の大海原を見つめている。視線の先にどんな世界を想像していたのか。桂浜に立つ坂本龍馬は秋の陽ざしを浴び、潮風を受けた顔

        • 2023.10 加藤教室に学ぶ

           毎年夏になると戦争に関する情報に触れる機会が多くなる。ふらりと入った書店では、新潮文庫の100冊が店頭に平積みされていて『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が目に留まった。著者は加藤陽子さん。歴史学者で東大の教授である。  その名前は3年前に覚えた。日本学術会議の新会員候補に推薦されながら、他5名の候補とともに当時の菅義偉首相が任命を拒否したからだ。その理由について首相は「総合的かつ俯瞰(ふかん)的に判断した結果」と答えている。この答えに任命拒否された6名は恐らく納得して

        2024.2 異臭

          2023.9 まったり感

          「甘さはあるけどさっぱり爽やかな感じが最高。あーおなかも心も満たされる」とはネットで見つけたレモンケーキの「まったり」食レポである。  まったりという表現は見たり聞いたりはするものの、自分の口から発した記憶はない。表現としての印象もぼんやりとしていて、特に正しい意味を知ろうとこれまで意識もしてこなかった。  普段は男一人の自炊生活で、その語感からはなんとなく食の貧しさがつきまとう。平日の夜ならなるべく手早く、ささっと食べられて洗い物もほとんどないのが理想である。まったり感が

          2023.9 まったり感

          2023.8 村田門左衛門の報告書

           7月3日に朝日新聞で小さな記事を目にした。 「薩摩藩を探れー熊本藩の『密偵』報告書」。熊本大永青文庫研究センターの調査により、熊本藩の密偵が薩摩藩に潜入して十八か条にまとめた報告書が、藩の家老松井家にあった文書から見つかった。  内容は「鹿児島城の石垣の一部が洪水で流された」や「弾圧していた一向宗の信者を島流しにした」との重要情報や、「虫害による不作で年貢の取り立てが十分にできない」などの財政状況、なかには当主の島津光久が猪狩りばかりしているとの生活ぶりが記されている。

          2023.8 村田門左衛門の報告書

          2023.7 誰よりも青春

           鮮烈な登場だった。  長い髪の女子高生が真っ白なユニフォームに身を包み、ノックバットを片手に甲子園のグラウンドに現れた。  今春のセンバツ大会。3月22日の城東高校(徳島)の試合前、野球部マネージャーの永野悠菜さんがホームベース近くまで駆け寄ると、相手チームのベンチ、グラウンドのセンター方向に向かって一礼した。  内野のボール回しが終わると、補助者からボールを受け取り吉田正尚ばりのフォロースルーでサードから順番にノックをはじめた。 不慣れな感じはない。いかにも普段通りという

          2023.7 誰よりも青春

          2023.7 「無人島のふたり」山本文緒著を読んで

           この本は医療ものだがいわゆる著名人の闘病記ではない。本人が「お別れの日記」と書いている。  山本さんは2021年4月に体の異変を感じて病院で検査を受け、膵(すい)臓がんと診断されたときはすでにステージ4bになっていた。もう完治する見込みはなかった。  抗がん剤治療で3か月ほどの延命が期待できたが、受けてみるとあまりに辛く、1回で中止してしまう。残った選択肢から在宅での緩和ケアを選んだ。夫とふたり、無人島に流されてしまったかのような日々が始まる。  余命は4か月。120日。「

          2023.7 「無人島のふたり」山本文緒著を読んで

          姫路で出会ったユニセフ案内人

           4月30日姫路駅の駅前にて。  この日は半日掛けて世界遺産の姫路城を見て回りへとへとに疲れていた。  駅に戻って荷物を引き取り、ホテルに向かおうとしていた。  青いジャンパーを着た女性が駅前で行き来する人に印刷物を配っていた。受け取る人はほとんどいない。みんなGWに入って気分が高揚としているように見える。ジャンパーにunicefと文字が見えたので、私は応援の気持ちで差し出された印刷物を受け取った。  「ユニセフのマンスリーサポートプログラムの活動はご存じでしょうか」  受

          姫路で出会ったユニセフ案内人

          2023.2 岡田さん

           「こんにちは、岡田です」  「あー久しぶり」  夕方に掛かってきた電話の相手は数ヵ月前に退職した岡田さんだった。いまは旦那さんと一緒に住み込みでマンションの管理人をしているはずだ。在職中は「掃除のおばさん」として社員から親しまれていた。  「いま入院しているの」  「えっ、どうして。大丈夫なの」  そう応答して壁の時計を見る。もう宅配のドライバーが集荷に来る時間だ。荷造りはまだ手をつけてない。受話器を持ってない手はガムテープを握ってうずうずしている。 「ごめん。これから荷物

          2023.2 岡田さん

          2023.3 Iさん

          同僚のIさんはもの静かな人である。あいさつの声は小さく、表情の変化も少ない。人と話していて笑い声を立てたり、大きなしぐさでなにかを訴えたりすることもない。職場の仲間には陰気に感じている人もいるだろう。  同僚と仕事の打ち合わせをしている姿は見かけるが、仕事の合間に雑談しているところは見かけない。  休み時間は一人でいるようだ。昼休みの終わりに駐車場の方から戻ってくる。車の中で休んでいるのだろうか。  一人でいて悪いわけじゃない。一人が好きな人もいるだろう。スマホがあれ

          2023.3 Iさん

          2022.11 涙のわけ

           今から5年前、勤務先では、ある大手メーカーとの取引が始まろうとしていた。その営業担当に自ら手を挙げた。サラリーマン人生は残り少なくなり、その締めくくりにしようと意気込んだ。  取引契約書の取り交わし、企業調査書の作成、並行して次々を舞い込む見積依頼、仕様の打ち合わせ、試作。毎週2時間を掛けて相手先に通い、購買課、研究所、組立工場を一日がかりで回った。  自分と若手の製造技術者。この二人が両輪となって残業、休日出勤とフル回転した。  ところが立ち上げからうまくいかない。  書

          2022.11 涙のわけ

          2022.9 情報の壁

           個人情報の保護が法律で定められて年月がたつ。急に世の中に登場して目にしたり耳にしたりする人がいて、その人を知りたいと思っても以前ほどは簡単に情報が取れなくなった。  新聞の記事に学者や専門家の意見が掲載される。簡単な紹介として経歴が付記されているが、最近は生年や最終学歴などが省かれていることも多い。  書かれている文章を読めば、その人の考えやそう考える理由、指摘する問題点などはわかってくる。ただ生年や出身大学名などがあれば、その人の背景まで知ることができて理解が深まるように

          2022.9 情報の壁

          2022.8 新潟、そして山形でも

           今年のお盆休み、早朝4時過ぎに家を出て関越道を北に向った。すぐに日が昇り、青空が広がった。年に数回の旅に出るが、雨の記憶はほとんどない。今回も晴れ男の本領発揮である。  渋滞を避けるために出発を早めたので、関越道から上信越道に入っても流れは順調で軽快に走り続けた。  更埴ジャンクションを過ぎたところで燃料計を見ると、四分の一が減っている。早めの給油をするためにサービスエリアに入った。  近づいてきたGSの店員に「満タンで」と告げると、若い店員は気づいてないようですけどという

          2022.8 新潟、そして山形でも

          2022.7 え、まさか

           休日の朝、川沿いの遊歩道をウォーキングしていると「ヴォ―、ヴォ―」とウシのような鳴き声がして腰を抜かしそうになる。  「いったいなに」  周囲を見回してもその姿はない。「よしてくれよな」の独り言も語尾がふるえている。  遊歩道は堤防上にあり、片側は一級河川、反対側は丘陵の急斜面が迫っている。辺りに人家はない。遊歩道の前後にも人はいない。  鳴き声は川側ではなく、反対側の急斜面と築堤の間の窪地から聞こえる。木が茂りよく見えないが、湿地になっているようだ。  太く大きい声は明ら

          2022.7 え、まさか

          2022.6 子ども時代

           私は母子家庭に育った。  十代だった頃の記憶はひもじい思い出が占めている。母は生命保険の外交員をしていて家を留守にすることが多かった。収入は不安定だったのか、なんとなく家にはお金がないと感じていた。なぜそう感じたのかは、いつも家に食べ物がなかったからだ。    特に辛かったのは夏休みで、朝起きてゴロゴロしてご飯ができるのを待っていると、母はいつの間にか出勤していることがたびたびあった。当たり前だが夏休みは給食がない。朝食がなく、昼食もなく、夜になっても連絡はなく、水ばかりを

          2022.6 子ども時代