キングオージャー第44話は善悪二元論では語れない あなたはゴローゲを馬鹿にできるのか?

キングオージャー第44話「王の証!真の六王国同盟」、良かったですね〜。

と同時に、この展開ではSNS上でまた議論が起こるんじゃないか、、?とも思いました。実際ラクレスとヤンマの言動に疑問を覚えた人を多く見かけました。

ラクレスは結局良いやつ?悪いやつ?

結論:どっちかに決めんな!どっちでもあるし、どっちでもない!

はい、これで解決でしょう。

脚本の高野氏が喋り倒しているPodcast『無限まやかし』を無限に貪り続けている私は、キャラクターの善悪を二元論で白黒つけようとする視聴者の風潮に、高野氏が違和感を持ち続けていることを知っています。今回の描き方で高野氏が意図しているところも(調子に乗るなと言われればそれまでですが)感じ取れたつもりです。

キングオージャー視聴者の我々はラクレスの善性を10ヶ月近く信じ続けてきました。そして最近になってようやくラクレスはその期待に応えてくれたのでした。今までの残虐非道な行ないは全てダグデドを倒すためという「大義」のもと行われており、ギラが「邪悪の王」になるずっとずっと前からラクレスは「邪悪の王」だったのだ、と。

当然我々は「キャーーーー!!ラクレス様ーーー!!!」とスズメのような反応をすることになりましたし、それ自体は自然なことであろうと思います。

ただそれはそれとして、私はヤンマが殺されそうになったときのあのラクレスの態度に対しては依然として疑問を抱いていましたし、あの瞬間のラクレスの心情はどうだったのか結論を出すことができずにいました。

そこで今回の第44話。はっきり言って痺れました。ヤンマが殺されそうになったとき、ラクレスはなんと興奮していたと本人に自白するのです。「ラクレスは善であって、今までの自分の残虐非道な行ないにずっと心を痛め続けてきたのだ」という視点のみでラクレスを見ていた人はきっとハシゴを外されたような気分だったのではないかと推測します。SNSで違和感を表明している方も概ねこういった方達だったのではないか。ラクレスは善!と振り切らせてもらえない。

人は「大義」を持つと暴走する。人は権力を持つと暴走する。この側面は否定できぬものです。ラクレスの根本の動機はもちろんダグデド打破にあるわけですが、その大義に酔いしれて自らの加虐性に歯止めがかからなくなっていたのも事実。

とはいえ、じゃあ今度は「やっぱりラクレスは悪!」なのか?それについては、今回の自白がヤンマの暴走を諌めるためになされた点も考慮すべきでしょう。今回のラクレスの自白は、ヤンマの奥底にある加虐性を今までのラクレスの加害的な側面と強制的に重ね合わせることで、ヤンマに六王国同盟を結ばせんとするものでした。当然そこではラクレスのこれまでの加虐性を強調する喋り方をするに決まっており、それだけを切り取って「やっぱりラクレスは悪だった!」とするのはやはり浅はかと言うほかないでしょう。

ヤンマは結局洗脳されてたから暴走したの?

これも半分半分でしょう。今回はリーダーを決めることが「大義」として必要になったシチュエーションで、ヒルビルの洗脳があったわけです。テッペンを取るようにおそらくヒルビルはけしかけたようですが、それは必ずしもあのヤンマの暴走に直結するわけではありません。テッペンを取る(リーダーを決める)という「大義」のためなら加害してもよいという回路がヤンマの思考の中にはあるのです。

ラクレスと全く同じで、ヤンマの感情が加虐的なものだけではないのは明らかです。今回はヒルビルによってその面だけが強調されたわけですが、決してヤンマは100%加害的なわけではなく、また決してヒルビルによって100%植え付けられたものでもない。半分半分なのです。

あなたはゴローゲになってはいないか?

ゴローゲはシュゴッダムの愚かな国民代表として描かれています。愚かであるというのは私の主観ですが、だから悪いと言っているわけでは決してありません。大衆とは平均すれば皆愚かであり、極端にいえば人間味とは愚かさそのものであるとも思っている私の、主観です。

ゴローゲはいつも極端に二元論を振りかざします。「ラクレス様最高!」「ラクレスふざけんな!」、、、を繰り返しているのはみなさんご存知の通り。

今回の件で「ラクレスは結局善悪どっちなの?」と思ってしまう心理は、ゴローゲの振りかざすような善悪二元論に飲み込まれてしまってはいないでしょうか?たまたま演技が過剰でなくてデブでない(かは分かりませんが)だけのゴローゲなのではないですか??

愚かであることそれ自体は人間味であり責められるべきではありません。しかし、それを前面に出して加害的なことをするのは責められるべきでしょう。二元論に陥ってしまうことは誰しもあり得るわけですが、その思考のまま直接作り手の見える場所でディスを繰り広げることは無自覚な加害の第一歩なのではないでしょうか。

ラクレスとヤンマは自らの加害性を「自覚」し、その上で前に進もうとしています。人間の善悪併せ持つ性質を肯定し前に進もうとする王たちから、我々は学ぶところがあるのではないか。そんなことを感じた第44話でした。

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