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導師ハリーは独立琉球の夢を見るか?

”ヤマトゥンチュはいちころさ
その真南風(マハエ)にゃ勝てぬ”

今や、本土(ヤマトゥ)ではほとんどの人は意識さえしないが、沖縄を琉球と呼ぶ場合、そこには特別のニュアンスが込められている。このかつて沖縄の地に存在した王国に由来する名前は、“沖縄”県という日本の一部として扱われる場合とは違う、独自の文化と人々の意識があることを強調した地域名として使われているのだ。

細野晴臣がYMOでブレイクする以前、70年代半ばに発表した”泰安洋行”という魔訶不思議なアルバムがある。南海の浮きたつようなリズム感に原色のオリエンタルエキゾチズムのスパイスをたっぷり振りかけて出来たこのアルバム、その中にRoochoo Gumboという、なんと歌詞は沖縄語=うちなー口、三線こそないが、代わりに鈴木茂(?)に三線の音色とフレーズを模したようなギターを弾かせ、後のにネーネーズのような女性バックコーラスが付いているという沖縄音楽の影響を色濃く感じさせる曲があるのだが、このRoochooとはそもそも何なのだろうか?

アルバムのどこを見ても、その解説はない。この時代の彼の作品を集大成し、作品の背景を詳しく語った資料満載の2007年のCD Boxセット、”ハリー細野 クラウン・イヤーズ 1974-1977"でも同様だ。実はこれ、“琉球”の沖縄語=ウチナー口読みのことなのであり、沖縄音楽とニューオリンズR&B(=ガンボ)を混ぜ合わせた”琉球ガンボ”という音の意図をそのまま曲名にしたものだ。それにしても、なぜ、”沖縄ガンボ”でもなくば”ウチナーガンボ”でもなく、さらには”琉球ガンボ”でさえなかったのだろうか?

この頃の彼は、袋小路のような現実から幻想の楽園への脱出願望を何とか音楽を通じて表現しようと苦心惨憺していた。そんな彼にとって、飛翔の羽となったのは、カリブ海やハワイといった島々、あるいはブラジルにまでゆきつくトロピカル特有のゆったりと体も心も揺さぶるリズムのスイング感と、そして海を通じて四方八方からもたらされる、様々な文化の混淆の中で育まれた、ここのようでもあり、同時にあそこのようでもあり、でも結局はここでもあそこでもない極彩色のエキゾチズムだった。もっとも、細野晴臣の音楽的探究がそこまでのものであれば、その音楽は、フュージョンの台頭とともに、特に70年代後半から日本でも盛んに作られたリゾートミュージックのようなものになってもおかしくなかったろう。(盟友鈴木茂の同時代に発表したこの曲と比べてほしい。)

だが彼の音楽はそれらのものとは大きく違い、全く似ても似つかないものにさせてしまったもの、それは世界をありきたりのイメージに閉塞させてしまうのでなく、自分自身でさえ地上に降り立った異星人のように感じさせ、足元までグラグラと不安定に揺らした挙句、時空を飛び越えてさせてしまう、幻覚的なトリップ感覚を伴う異化作用の強さだった。

久保田麻琴細によれば細野晴臣と沖縄音楽との出会いは1975年に沖縄旅行をした久保田麻琴が買ってきたシングルレコード、喜納庄吉とチャンプルーズの”ハイサイおじさん”に彼らが腰が抜けるほどの衝撃を受けたことから始まったという(Roochoo Gumboのエンディング部分ではハイサイおじさんをそのまま引用している)。

当時、彼はハワイで生まれた日系人、ハリー細野という架空の人格からみたエキゾチックな日本、人工着色された原色の東洋という視点での音楽も既に作り始めていたが、なんと、そんな彼の目の前にナチュラルにエキゾチックでトロピカル、日本人、細野晴臣をそのままで異化させてしまう音楽が突然に目の前に現れた。それが沖縄音楽だったのだ。

沖縄では歴史も文化も、人々のあらゆる面が常にふたつの方向に引っ張られ、大きく揺れ動いている。ひとつはあまりに強力で身近でもある北方の本土(ヤマトゥー)の方向へ。もう一つは、いくら共通で、起源を同じくするものがあっても、決してそれに収まりきることができず、細野晴臣が憧れたカリブ海やハワイの島々、そして南海の港町と同様に、海の彼方からやってくる様々な異文化を取り入れ、チャンプルーしてしまう南方志向の非日本的な琉球性の方向に。日本人が沖縄に感じる最大の魅力は、沖縄の持つ琉球性そのものという以上に、この二方向のどちらの要素も同時に混淆し、大きく揺れ動くダイナミクスではないだろうか?日本人にとっては、自分に似ているようでも自分でなく、日本人としての自分自身さえ否応なく異化してしまう沖縄の存在は、アメリカ人にとってのマーチン・デニーらのハリウッド製エキゾチック音楽とは全く違う天然自然なもので、しかも、カリブ海音楽と同質な土着と洗練の混淆であっただけに細野晴臣にとっての衝撃は大きかったろう。

細野晴臣は当時も、今に至るまで沖縄音楽を正面切って論じたりはしない。私の知る限り、あっても極めて断片的なもので、そこでもRoochooの種明かしもしていない。盟友、坂本龍一のように沖縄音楽そのものをとりあげることもほとんどない。しかし、沖縄音楽の衝撃は確実に彼の中で続いている。ただ、それを決してストレートにそのままでなく、彼の中の他の音楽的要素と混ぜ合わせ、溶かしあってチャンプルー化することこそが、彼の沖縄音楽の特性への最大限の敬意なのだろう。
泰安洋行の次のアルバム”はらいそ”では沖縄民謡の大スタンダード、安里屋ユンタをカバーした。この曲は、彼が沖縄音楽そのものを全面的に取り上げた唯一の例外。もっとも、この曲、もともと八重山諸島、竹富島にあった民謡を、”沖縄だけでなく日本全国で聴いてもらえるように”というレコード会社の要望で、西洋音楽の楽理を十分に理解している地元石垣島出身の大作曲家、宮良長包が大胆に作り変え、詞は原詞とはかけ離れた標準語詞をつけた、という実は純粋な沖縄民謡とは言い難い複雑な出自を持つ曲。戦前のオリジナル録音には三線などの民謡楽器は一切使われず、代わりにピアノとヴァイオリンで伴奏されている。細野晴臣もそうした雑種的な成り立ちに惹かれてこの曲を取り上げ、レゲエ風のリズムやハリウッド風ストリング、マーチン・デニー風ヴァイブなどを付け加えたのだろう。

そして、YMO時代には、第二作”Solid State Survivor”で沖縄音楽を全面的にテクノ・ディスコサウンドに消化させたAbsolute Ego Danceを提供している。

彼がこの時代に他のアーチストに提供した作品の中にも沖縄音楽の要素を垣間見せる作品も多い。そして1985年には全篇に沖縄語を使い、日本語字幕がついた本格的沖縄映画、高嶺剛監督の”パラダイス・ビュー”に役者として出演、その映画音楽も担当することとなる。(ありゃまあ、映画全編がYouTubeでアップされている!ええんかいな?申し訳ないけど自分で探してください)
この映画音楽の中の一曲に再びRoocho Jazzという曲が存在する。

その後も彼は折に触れ沖縄音楽の要素を垣間見せる曲を発表し続けている。彼にはもう一曲、Roochoo Divineという曲(神聖琉球とでも訳すべき題名か?)があるが、この曲は音楽劇”万国律梁”の提供曲で、万国律梁とは多くの国との架け橋という沖縄、いや琉球の理想と悲願を表す言葉のことだ。
ただ音楽的にはもう単純な沖縄っぽさは素人には感じられず、それこそ琉球王朝成立以前の古代神女(のろ)の儀式歌のようだ。

ここまでくれば、彼がRoochooに拘る理由が見えてくる。細野晴臣にとっての沖縄の音楽、そして土地と人々は、あくまで日本の一部としての沖縄でもなくば、青い海と癒しの島々といったイメージに縛られた本土ご用達のリゾートでもない。その沖縄をウチナーと沖縄色を強めてみても、それで用をなすわけでもない。それは日本とは別個な文化を持ち、同時に日本を異化してやまない琉球のほうが絶対的に相応しいのであり、しかも彼にとっては琉球でさえない。なぜなら彼の地の人々にとって、その名はRyukyuuでなくRoochooと呼ばれていたはずであり、その上、彼が求めていたのは現実にある沖縄、いや琉球をさらに超えた、彼の心の中にだけある見果てぬパラダイスだからだ。もうほとんどの人が忘れてしまったかもしれないが、1995年に細野晴臣が遊佐未森、甲田益也子、小川美潮と結成したユニット、Love, Peace &Tranceでは、Hasu Kriyaという明らかに琉球音階を使用しているが、ますます現実の沖縄を飛び越えた幻想のRoochooというものを三人の女性ヴォーカルゆえによりポップに表現した曲がある。(YouTubeにはなし)

細野晴臣はその後も、沖縄音楽にかぎらずあらゆる種類の音楽を彼なりに消化させてこの見果てぬパラダイスを追求しつづけることになる。

P/S
実はこの文章は1年ほど前に書いたものを、改めてこちらで発表するものだ。そこで、少々、文章の書き直しや増補を行っている。ただ、沖縄=琉球では最近、続けざまに耐えがたいほど情けなく、悲しい出来事が続いている。ひとつはもちろん、日本政府による強権的で欺瞞的な代執行による辺野古基地建設強行、そして八重山諸島で進む、中国の脅威を煽っての軍事基地強化、さらにはこれも米軍基地増強とリゾート開発を名目に進む浦添東海岸の埋め立て。沖縄の美しさは単に海がきれいとか日本的基準とは別次元のリゾート的雰囲気なんてところにあるのではない。この土地にはハリー細野が感じたように、足元がゆらゆらと崩れるように、自分から魂(まぶい)が抜けて、地上から天上に上ってゆくような神聖さ、超越性を感じさせる場所があちこちにあるのである。そういった日本にはもはや求めえない神聖さは基地とか本土の卑小なエピゴーネン的リゾートホテルが出来るたびに失われ、それは同時に沖縄の植民地化の進展を表す。それが何よりも日本の勝手によりエゴイスティックに進められるのが悔しく、残念だ。細野氏がこうした状況をどう思っているかは知らないが、絶対に確実なのは、そして細野氏にとってのRoochooもどんどん失われてしまうだろう、ということだ。それは何としてしても、止めなくてはならない。そして私も琉球独立の夢を見たい。

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