魂の重さは21gらしい

松葉杖をつきながら必死のパッチで自宅前までたどり着いた私だったが、
自室へ入室するまでに更にいくつかの困難が待ち構えていた。

まず、私は安アパートの1階にかれこれ10年近く住み続けているのだが、
このアパートへ入るためには道路から2段の段差を越えねばならないのだ。

だが私は楽観視していた。
なぜなら、帰りのタクシーの中で事前に松葉杖による階段の上り方なる動画を予習済みだったからである。

私はいつも、この時折襲ってくる三歳児のような謎の万能感に何度も痛い目にあわされているのだが、
今回も例にたがわず先ほど自宅前までの道のりで血反吐を吐いたことを忘れてよゆーよゆー行けるっしょ!の精神を発揮した。
動画で見た通りに、痛くないほうの足側の松着き葉杖から先に一段上に挙げて地面に着き・・・
着き・・??
着いた松葉杖の杖先ゴムの部分が地面にななめに接地してるんだが????
あってる???

とりあえず、左の松葉杖も一段上に挙げて、地面に着き・・
ねえあってる?ほんとに??
両肩が上がってボディビルでいうところのフロントリラックスポーズなんだがこれ正解??

いや、ワンチャンこの松葉杖には隠されしスペックあって、この底のゴムんとこがものすごい吸着力だかグリップ力だが抵抗力だかなんかよう知らんけどとりあえずめちゃくちゃ滑りにくいようになっていてんでもってこの松葉杖の杖んとこが棒高跳びの棒よろしくものすごーくしなってひょんと段差に飛び上がるとかなんかなよう知らんけど!!

高校物理非選択の私でもわかる。
ここに体重をかけたら確実に松葉杖が前に滑る。
転倒の恐怖に身が竦む。
動画ではこんなこと教えてくれなかった。
だがこの段差を越えねば家に入れない。
おうちにはかわいい猫ちゃんが2匹、私の帰りを待っている。

ではどうするのが正解か?
まず杖先ゴムを地面に対して直角になるように
なるべく松葉杖を体と離れすぎない位置
(近すぎるとつま先が段差にひっかかるので入念な位置取りが必要)
にセットして、例のフロントリラックスポーズから
ヤー!と一声、腕の力で体を垂直に引き上げるのである。

コツをつかんだときには、
事前学習など不要・・・やはり力、力こそすべてを解決する・・!
と謎の感動を覚えたものだが、初日~2日目までは普通に四つん這いで段差を越えていた。
アパートの入り口で四つん這いで息を荒げ(四つん這いめっちゃ体力使う)お尻を左右にブンブンふりながら必死で段差を越えようとする不審者がいるとご近所で噂になっていないか心の底から心配している。

何とか共用通路まで這い上がったものの、今度は四つん這い姿勢から立ち上がらねばならない。
しかし、これは意外とすぐにできた。
両手で松葉杖のグリップを握って両膝立ちの姿勢になり、けがをしていないほうの足を立てたら、グリップを地面に押し付けるようにして体を上げていくのだ。
もし、私の握力と上半身の筋力、脚力がもっと貧弱であったら、愛しいネコチャンと別れて入院生活になっていたのかと思うと背筋が凍る。

なにはともあれゴキブリのようにカサカサと共用部を移動することは免れた私、ついに自室のドアへとたどり着いたのだが、次の問題に直面する。
松葉杖をつきながら、この外開きのドアを、僕たちはどう開けるか?

力技である。

松葉杖の使用上の注意として、脇あてを脇に当てないように、腕と体で松葉杖を挟むイメージで使用するように指導されるのだが
(脇には神経や血管が多く、昔のように脇に当てて体重をかける使い方をすると肩や腕を痛める原因となるそうだ)、
そうはいっても片足で立ちながら松葉杖を倒さないようにしつつ鍵をカバンから取り出して鍵穴に差し込み重たい右開きのドアを右手で手前に開けるという作業量の多さを前に、
整形外科看護師のお兄さんのありがたいアドバイスは霧散した。

脇に全体重とバランスを預けつつ、鍵を取り出し松葉杖を倒さないようにしつつフロントリラックスポーズで鍵穴に鍵を差し込み力技でドアを開き、
自重で閉りゆくドアに、負傷したほうの足が挟まれないよう右半身を滑り込ませる。
しかもうっかり忘れていたのだが、共用通路と玄関の間には、ちいさな段差があるではないか。
この微妙な段差が憎い。
閉まりゆくドアに背を押され、狭い玄関ポーチで松葉杖があがらない。
室内ドアの向こうでネコチャンがにゃあにゃあと騒いでいる。
結局、転がり込むというのはまさにこのことよと謂わんばかりのダイナミック帰宅をかましたのだった。


松葉杖を使用して実感したのは、
人間のデザイン、バグッてないですか神様ァ!!
ということだ。
前述したが、二足歩行がだめなら四足歩行でいいじゃなーいと松葉杖を墓地に送り特殊効果で1歳児に退行、四つん這いスキルを手にしたものはいいものの、四つん這い移動はめちゃくちゃ体力を使うのだ。
手のひらと膝小僧と肩と首と背中に全体重がかかる。
肺がうまく広がらなくて息が吸えない。
私は今、私という肉の重みを感じている…私という人間の重みだけが鮮明で思考が溶けていく…なんかちょっと危ない扉が開きかけたような気がもするが、人間という種に成人後の四つん這いスキルが含まれていないことに絶望していた。
クジラのように陸から海へ戻った生物もいるのだから、緊急時には二足歩行から容易に四足歩行に戻るくらいのスペックは残しておいてもいいじゃないかと真剣に神様を恨む。
後日、見事に色素沈着した膝小僧と両肘を見るまでは。


神様、もし今後、成人人類に四つん這いスキルを付与するときには、ぜひもとも色素沈着へのデバフもセットでお願いします。









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