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定年後 729 日目 生成AIのウィークポイント、かもしれないこと。

人間はいろんな道具や機械を作ってきた。それらは何らかの形で人間の能力を拡張するツールだったのではないかな。ハンマーは握りこぶしを拡張するツールだしクルマは人間の足を拡張するツール、メモ用紙は記憶を拡張するツール、みたいに。

道具は人間の能力を拡張してきた

この考え方でいけば、コンピュータは頭脳を拡張するツール、芸術は感情を拡張するツールといえるかもしれない。

芸術は感情を拡張するツール

生成 AI で作られるモノを見ていて、感情を拡張するツールとしての役割も大きいと感じている。だとするとちょっと気になることがある。


芸術には多様なジャンルがあるが、人の五感で分類すると視覚と聴覚によるものがほとんど。
芸術に詳しいわけではないので知らないだけかもしれないけど、触覚、味覚、嗅覚による芸術というものは思い当たらない。
生地の肌触りとか、一流シェフの料理とか、フレグランスなどは洗練された世界ではあるものの、一般に「芸術」には分類しないよね。

「彫刻は触覚の芸術」という説もあるけど

聴覚に関する芸術は音楽だけかもしれない。視覚に関するものはいろいろとある。
単純に見て感じる絵画、写真、映像。文字を読むことによって感じる文学、書(「書」が文学か美術かという議論はちょっと置いておいて)など。

文学は文字によって表現されるものだけど、それ以外の芸術は文字に頼らずに感情を拡張しようとするものではないかな。逆にいうと文字では表現できないものが文学以外の芸術なのでは?


生成AIは今のところ基本的にプロンプトを必要とする。
画像も音楽も映像も、本来は文字に頼らずに表現する芸術。文字では記述できないことを表現する芸術なのに、生成 AI では文字による指示という制約がある。

プロンプトの例 (画像 : SeaArtより)

これは本来文字から切り離された芸術分野であっても、生成 AI の世界ではそれが通用しないということになる。

このようなことは生成 AI に限らずこれまでも生じていたことではあるんだけど。
例えば画像や楽曲の作者やタイトルがわかっていれば、それらを検索することは容易。しかし全く無名のものを探そうとするとイメージに一致するものを見つけるまでかなり苦労する。

そのうち頭に貼りつけたセンサーから感情をダイレクトに測定したりして、文字ではないプロンプトとして取り込む生成 AI なんていうのもででくるかも知れない。
それでもプロンプトプログラマーが生成 AI を牽引していくことに、しばらくは変わりない気がする。

なんだか YouTube からは離れた話題になってしまっているけど、最近の生成 AI の進展の様子を観察していると、YouTube の世界も生成 AI の影響を受けて急激に様変わりしていくのではないかと感じている。


どなたも興味はないと思うのでここで終わっていただいていいのだけど、じゃあ自分はどうするのかについてもちょっとだけ。

繰り返し書いているように、私の動画は自分が見るための Vlog。自分の生活の中で、自分が何を見たのかを記録するのが目的で、自分のための絵日記のようなもの。

「僕はVlogが作れない」シリーズは90本になった

創作ではないし、エモい動画やバズる動画を目指しているわけでもない(そもそも目指せる技術がない)ので、どんなに生成 AI が浸透してきても基本的に影響を受けることはない。
映像のクオリティを上げたいと思ってはいるけど。

生成 AI という近年稀に見る技術が興味深いのとともに、映像制作を生業にしている知り合いたちが今後どのようにたち振る舞っていくのかとても気になるので、いろいろいと思いを巡らせている今日このごろ。



2024 / 3 / 29

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