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ヘンテコ洋風建築『古城』が実はヘンテコとか言っていられないほど貴重な近代建築だったっぽい

練馬区に現存する大正15年に造られた洋風建築『古城』。

前回前々回の記事ではヘンテコだおバカ建築だなんだと結構な言われようだった『古城』。

だいたいヘンテコだおバカ建築だなんだと言っているのは私ひとりであり、実際のところ古城には心の中で「ゴメン」と思っている。
反省は(ちょっと)している。

こんなに大好きなのに!
スキな子にいじわるする小学生かよ!

ということで今回は!

古城も本気出したら結構スゴイ近代建築なんだぞ!
と、アピールしてみます。

古城にはこれからも残って欲しいんだ!

豊島園開業時から唯一遺っている建造物である

まずはコレでしょ!
豊島園が部分的にオープンした大正15年9月15日から唯一現存している建造物が、古城です。
豊島園がこの場所にあった証のモニュメントとして、これ以上もってこいなものはありません(よね?)。

既に工事中の『睡蓮の瀧』手摺は保存されるのか不明。2022年11月時点で現存。ライオンの吐水口ははずされて保管・展示されている模様。
ライオンの吐水口と手摺、練馬城址公園のどこかで使ってくれたりしないかしら…と妄想。

国内最古級のお城フォリーである

前々回で述べた『古城=フォリー説』があながち間違いではなかったとすると、現存する西洋風お城フォリーとしては、もしかすると国内最古かもしれません。(これは引き続き要調査)
少なくとも最古級であることは間違いないかと。
また『遊園地のお城建築』としても、現存するものでは国内最古と思われます。(『遊園地のお城建築』自体は、明治時代より存在)

国内において廃墟をイメージして造られた近代建築は古城だけである

これも引き続き要調査ではありますが、他にそのような近代建築は聞いたことがありません。(もしありましたらお知らせください。)
そもそも大正時代に廃墟をイメージして造られた建物なんて、アバンギャルド過ぎる!
造園家として廃墟フォリーを知っていた戸野琢磨先生くらいしか造ろうと思わなかったのでは?(恐らく建築家には廃墟という発想すらなかったのでは。)

しかも給水塔であった

まったく古城ってば、欲張りなんだから!
前々回の記事にある通り水塔の役割も目的のひとつとして建てられ、塔に給水タンクを隠したそうです。
つまり給水塔です。
古城は『旧給水塔』と言えます。
これはもう、給水塔愛好家の方達も黙っちゃいられませんよ!(などと給水塔愛好家さん達の気を引こうとする、あざとい筆者)

当時の最先端技術が窺える建設資料的価値

一般社団法人 日本建築学会関東支部 建築歴史・意匠専門研究委員会 様が2021年3月31日に各機関へ提出した『としまえん木馬の会事務所建物(旧「古城の食堂」)についての見解』によりますと、

調査を要するが、構造は 1923(大正 12)年の関東大震災後を契機に普及し始めた鉄筋コンクリート造で、外装には擬石などが用いられたと見られる。

擬石も、コンクリート同様にポルトランドセメントの普及に伴って普及した人造石の一種で、当時の技術の進捗を反映している。

前記したように陸屋根の屋上を全面的に採用している点、稜堡状に迫り出しや塔の 2 階に上る外階段を片持ち梁(キャンチレバー)としている点は、鉄筋コンクリート造の特徴を活かしたものと言える。

また、こうした最新技術を用いることで、古城の雰囲気を良く作り出している点にも注目される。

外装材を工夫しつつも、テラスを兼ねた陸屋根や片持ち梁など、この構造形式ならではの技術を用いて、古城の風情と求められる機能性を巧みに融合させた他に例を見ない建築となっており、この当時、最新技術として用いられ始めた鉄筋コンクリート造による表現の幅の広さを端的に示す遺構として、希有な価値を有している。

ということで、震災後間もない鉄筋コンクリート造建築としての価値を謳われています。
建設技術的に貴重な資料だったとは露知らず、目から鱗でした。
プロの視点はすごいな。プロかっこいい!

さらに

藤田好三郎がこの土地を開放して豊島園を開設するのは関東大震災が契機であり、この建物は、震災の記憶とも繋がっている。そのため、防災公園としての性格を持つ新しい公園において、意味ある記念碑たり得る。

ああ、そうだ!
元々は藤田好三郎さんが邸宅を建てるつもりだったところを「このご時勢でそれもちょっとなァ」(←超意訳)と思い直し、土地を庶民に開放すべく豊島園を創設されたのでした。
関東大震災を意識し、当時の最先端技術を駆使したこの鉄筋コンクリート造建築は、防災公園のモニュメントとしても、まさにもってこいだったわけです(よね?)。

戸野琢磨氏の作品である

豊島園の造園設計を担当したランドスケープ・アーキテクトの戸野琢磨氏は、造園分野では日本人で初めてアメリカの大学で学位を取得し、帰国後日本初の造園設計事務所・ランドスケープコンサルタントを設立した人物です。
古城は国内におけるランドスケープ・アーキテクトの先駆者として著名な戸野琢磨氏が手掛けた作品として、造園分野でも貴重な財産と言えます。

戸野琢磨氏については、日本建築学会関東支部 様の要望書(記事の終わりにリンクを貼ります)や、いつも貴重な資料・情報を快く共有してくださる『豊島園「古城の塔」保全・活用キャンペーン』様のnote記事に詳しいので、ワタクシの出る幕はございません。
下記リンクよりぜひご覧ください!


昭和初期の人々のライフスタイルを今に伝える建造物である

前回前々回記事の引用となりますが、

活動写真に見る庭園は其物語に伴って意味がある。然し自分を其の主人公に代らせて其庭園に散策させても、実際見ない迄は殆んど其気持ちが解らない。其んな意味に於て、実物背景を遊園地に造り、其内に種々な人をして遊ばしめることは各々其人の環境に依って与えられる感じは違っても、何か有意味であれば結構である。

誠文堂『綜合園芸大系 』第11篇 “遊園地の設計と施設”| 戸野琢磨

そういった思いを込めて、古城・噴水・滝・音楽堂など海外の「実物背景を遊園地に造り」

「今ほど簡単には海外に行けなかった時代の庶民でも、気軽に異国の雰囲気を楽しめる場所」を目指し、海外を見てきた戸野氏が、自分が見知ったものを再現して楽しんでもらおうとしたのでは?

練馬区に現存する大正時代の洋風建築について | 弊著(note)

噴水も滝も音楽堂もなくなってしまいました。
しかし、古城が残っています。
震災から間もない昭和初期、庶民がどのような娯楽を求め、そして楽しんだのか。
活動写真に、異国情緒を楽しめる遊園地。
古城は当時の人々のライフスタイルを今に伝える建物と言っても過言ではないように思います。

練馬防空監視哨だった可能性がある

防空監視哨 ぼうくうかんししょうとは戦時中、敵機来襲を監視した施設のことで、練馬城址にも設置されていました。

古城は練馬城址に建てられたコンクリート造の頑丈な建物で、展望台としても使われていたから防空監視哨にはお誂え向き。
そんな古城の脇にわざわざ物見台作る必要ある?…ないよね? という発想から「古城が練馬防空監視哨だったのでは?」説が浮上。

既存の建物を防空監視哨として使用していた例として、群馬県伊勢崎市にある『板倉屋薬局』が挙げられます。

板倉屋薬局(群馬県伊勢崎市)

実際現地へ行ってみるとナルホド現代においても周囲の建物よりポコンと高い。現存していることが頑丈だった証拠で防空監視哨に任命されるのも納得な建物だな、と思いました。

…てゆーか、

板倉屋薬局かっちょええ… (オイ

板倉屋薬局が防空監視哨であったことから、古城が防空監視哨であった可能性も充分考えられます!が、練馬防空監視哨がどのような建造物であったのか、なかなか記録が出てきません。
こちらも『豊島園「古城の塔」保全・活用キャンペーン』様がコツコツと調査を続けていらっしゃいますので、下記の詳細なレポートをご参照のうえ、是非応援してさしあげてください!


古城は貴重な近代建築でした

散々「ヘンテコ」「おバカ建築」「近代建築と呼べるのかどうか」などと申してまいりましたが、大変申し訳ございませんでしたぁ!
日本建築学会 様だって近代建築として要望書を出されているんですからね。
古城よ、あなたは立派に貴重な、近代建築です!

近代建築ヘンテコ部門、優勝!(全く懲りてない)

そしてあの謎の続報

前回記事の冒頭で語った「お絵描きアプリの四角い消しゴムでシャーッとやったような」パラペットの不可解な形状の謎。

パラペットぎざぎざ

なんだか似てるの発見したのですが…

アニック城パラペット

てっぺんの凸凹(クレネレーション)がわりと不規則です。
古城と比較してみるとどうでしょう?

比較画像_クレネレーション01

古城では簡略化されているものの、凸凹の起伏っぷりが似ていませんか?
この不規則クレネレーションを持つお城、また例によってイギリスはノーサンバーランド州アニックにおわします、その名もアニック城。ガチ古城

戸野氏は「古城それも英国風」と述べているわりに、意匠の引用元となったお城はランカスター城だけで、あとは教会や図書館であることが不思議でした。(それにランカスター城、引用元としてあまり自信ないし…。)
しかしアニック城も引用元となると、「英国風古城」を唱えるのもまぁ納得です。

アニック城、どうなのさ!?

アニック城が古城の引用元入りすると、グッと「英国風古城」の呼び名がふさわしくなると共に、とあることが起きます。

それは…

古城は、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』ロケ地であるアニック城の意匠を(ほんのちょっぴり)模倣した「英国風古城」となります。

としまえんの北側は現在、ハリー・ポッターのスタジオツアーを建設中です。
そこでふと思い出す

「活動写真に、異国情緒を楽しめる遊園地」

奇しくも、今後のこの地にも当てはまるキーワードではありませんか。

戦後生まれの我々が見てきたとしまえんは一旦閉園したかもしれません。
しかし戸野氏が思い描き、目指した豊島園は、実はまだまだ続くのかもしれません。(デパ屋程度の乗物があると遊園地みが出て更にイイんだけどなー)ボソッ


イギリスにある色々な建造物を魔法のようにがっちゃんこした、ヘンテコ近代建築『古城』。
豊島園のはじまりと、さらにこれからを繋ぐモニュメントとしても、これ以上もってこいなものはありません(よね?)。


便乗上等じゃーい! (オイオイオイオイ
古城よ残ってくれ!!



TOP画像提供:buttobi 様(2020年8月末撮影)

一般社団法人 日本建築学会関東支部 建築歴史・意匠専門研究委員会 様が提出された『としまえん木馬の会事務所建物(旧「古城の食堂」)の保存活用に関する要望書』および『としまえん木馬の会事務所建物(旧「古城の食堂」)についての見解』は公式Webサイト( http://kanto.aij.or.jp/ )で公開されており、こちらリンク先
210331:としまえん木馬の会事務所建物(旧「古城の食堂」)の保存活用に関する要望書
からPDFにて閲覧・ダウンロードすることができます。
ぜひご覧ください。

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