ライブハウスよ永遠に。

 以前からずっと心にひっかかっていることがある。人はなぜライブをするのか。したいからする。自分にとってはその理由だけで十分なのだが、例えばこれを理解できない人にどのように説明すればいいのか、なかなか難しい。

一番わかりやすいのが、

「いつか有名になるため」

わかりやすいなぁ。”ああ、なるほどね、がんばってね”で終わる。

 だけど僕が今まで見てきたライバーで、有名になりたくてライブをやっているんだなと思った人は一人くらいしかいない。その人も、今はどうなんだろう。

最近、これではないかという答えがパッと思い浮かんだ。

「素の自分を見せたい」

そして見たいのだ。僕はこんなです。あなたは?

 世界はどこかちがう、こんなんじゃないと思ってる人たち。人生に勝ち負けがあるとしたら僕はそれは仕事に前向きな人かどうかじゃないか、と思うことがある。僕は常に逃げ出したい。でもとても前向きな人がいる。常に心はアグレッシブ。今の立ち位置で将来はこうしたい、という明確なビジョンがある。それが叶わなくても与えられた仕事をうまくこなす度量がある。他の人をけなす余裕もある。うわぁ。その人にも悩みはあるのだろう。でもそれを凌駕するほどのエネルギーがある。エネルギーは僕にもあるが、そのエネルギーはライブにまわしたい。

 ライブのMCでしゃべっている人を見るのは本当にうれしいし、楽しい。それはその人の正直な気持ちだからだ。そこに仕事にありがちなおべっかや忖度はない。「会社のために」、「売り上げを上げるために」なんて前提もない。ただ単にこんなことがあったという喋り、やっちゃった話をぶつ人、今世の中こんなことになってるけど僕は私はこう思う、という人。どの人も本当に魅力的だ。その証拠に、一度しか名刺交換した事ない人はすぐ忘れるけど、一度対バンしたことのある人は絶対に忘れない。

 さらに素晴らしいのはどんなMCを言っても否定する人は今までの経験上、ライブハウスには一人もいない。かといって激しく肯定もしない。肯定する人は自分の中で激しくうなずくだけである。

こんな優しい世界があるだろうか。

 何の仕事をしているかも、年齢も、時には性別も、分からない。分からなくていい。そんなことを聴く人もいない。なぜなら、ライブハウスに来る人は歌を聴きに来ているのだから。でも実は人を見に来ているのだ。演者も、それを知っている。だから、うれしい。ここに居場所を求める。

 簡単に暗い流れに身をもって行かれがちなこんな情勢、それでも、輝いている人は輝いている。相変わらず仕事熱心だ。僕らは資本主義社会に生きている。そこに順応できる人はいい。でも出来ない人もいる。出来なくてもいいよ、その分ここで思う存分吐き出してね、というのがライブハウス。

 無用の用。食べることができない花のように、ライブハウスはなくてはならないものなのだ。今だからなおさら。

こんな世界だから、僕は何度でも言う。ライブハウスLOVE、ライブハウスLOVE、ラブハウスライブ、バウハウスライ、、、。

いてっ 舌噛んだぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?