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【沖縄戦:1945年2月6日】天号作戦の大陸命が発せされる─沖縄方面航空特攻作戦は「沖縄救出」のためのものなのか

天号作戦と航空特攻作戦

天号作戦 
 本土決戦を控えるなかで打ち出された「帝国陸海軍作戦計画大綱」は、つまるところ本土決戦の前段階の作戦であり、本土を防衛し、本土に侵攻する敵兵力に少しでも損害を与えるための本土前縁作戦であった。その作戦計画大綱においては、東シナ海での航空作戦が想定されていたが、この作戦は「天号航空作戦」(天号作戦)と呼称され、天号作戦こそは作戦計画大綱の第1着手であった。
 なお、天号作戦は、沖縄方面での航空作戦を天1号作戦、台湾方面での航空作戦を天2号作戦などといい、天4号作戦まであったが、実際の戦闘の生起や軍の力点の置き方から考えても、沖縄方面航空作戦である天1号作戦を天号作戦そのものと見なしていいだろう。
 軍中央としては、フィリピン攻略後の米軍がただちに日本本土に上陸を目指すとは考えられず、おそらく前進基地を確保し、本土空襲をおこない、橋頭保を築いて本土に上陸するものと考えた。そして、そのための米軍の進出方面が東シナ海方面であり、具体的には沖縄であるとされた。
 天号作戦は、こうした米軍の動向を狙い、この機に乗じて米機動部隊や輸送船団などに大打撃を与え、前進基地の設定を阻み、本土防衛をはじめとする作戦全般に寄与する作戦であった。
 そうしたなかでこの日、天号作戦に関する大本営陸軍部命令(大陸命)、大本営陸軍部指示(大陸指)などが発せられた。

航空特攻作戦 
 天号作戦の主力となる兵力は、陸海軍の航空兵力とされた。このため海軍では2月10日に第5航空艦隊が編制され、米軍来襲後は沖縄方面航空作戦に従事した他、陸軍では第6航空軍や台湾の第8飛行師団が沖縄方面航空作戦に従事した。
 とはいえ、このころの陸海軍の航空兵力の実態は目も当てられないほどの貧弱なものであり、必死必中の航空特攻作戦を用いて米艦隊に打撃を与えることが企図された。特に海軍は米機動部隊、陸軍は米輸送船団を狙うとされた。
 そうしたなかで、はからずも、この日の大陸指に基づき3月1日に確定された「航空作戦ニ関スル陸海軍中央協定」には、

一 方 針
 陸海軍航空戦力ノ統合発揮ニ依リ東支那海周辺地域ニ来攻ヲ予想スル敵ヲ撃滅スルト共ニ本土直接防衛態勢ヲ強化ス
 右作戦遂行ノ為特攻兵力ノ整備並之カ活用ヲ重視
  [略]
(十)両軍ハ愈々特攻精神ヲ昂揚シ其兵力ヲ可及的ニ増強シ且其戦力ヲ従前ニ発揮シ得ル如爾他兵力ノ整備ニ努ム
  [略]

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

と記されている。まさしく天号作戦、すなわち沖縄方面航空作戦、沖縄方面航空特攻作戦とは、沖縄に侵攻する米軍を撃滅し、本土を防衛するためのものだった。
 沖縄戦で九州や台湾から出撃した航空特攻は、ときに「日本軍は沖縄を救出したのだ」「沖縄戦は捨て石作戦ではないのだ」といった歴史修正に用いられることもあるが、こうした軍全体の作戦から見ていくと、沖縄方面航空特攻作戦が「沖縄救出」といったようなものでないことは明白である。
 また、この日、航空特攻作戦に向け、大本営は特攻要員の教育について示達(「と」号要員学術科教育課程表)しているが、そこには操縦などに10日、爆撃に10日、航法に2日などと教育日数が配当されてあり、1ヶ月にも満たない教育をかたちばかり施され、ただちに死地に赴かされた状況が看取される。
 また、特攻要員は志願が大原則だが、他方で特攻要員の人数など部隊編制は上層部が策定しており、志願を建前としつつ部隊編成を完結するためには特攻要員を確保しなければならず、志願はあくまで建前となり強制的な特攻要員の確保がおこなわれていった。

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陸軍少年飛行兵 よく知られた写真であるが、この写真は彼らが沖縄方面航空特攻に出撃する直前に撮影された:産経新聞2015年4月6日

参考文献等

・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・同『沖縄・台湾・硫黄島方面陸軍航空作戦』

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沖縄洋上で航空特攻を受けて大破・炎上する米空母バンカーヒル:沖縄県公文書館所蔵【写真番号111-10-2】