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メンタルの強さとは「我慢強さ」ではなくて

 農産物の輸入の仕事をしています荒川防火水槽研究会と申します。

 #メンタル の強さが必要なのは、逃げられない状況で結果を出さなければならない時です。

 先日、我々が結果を出さなければならない状況で、本社の官僚主義によってどうにもならない状況に遭遇しました。部署のメンバーが(同じく被害者である)私にも当たり散らしていい迷惑を被りましたが、メンタルの強さがないと #他責 的になって周りに害悪を撒き散らすので地球環境に良くないです。だから私はメンタル強い人でいたいです。


 ただ、そのメンタルの強さって「我慢強さ」ではないように思います。我慢するというのは、今の状況の解釈を外部に委ねてしまっていることだから。

 外部環境が私に迫る方法その通りの考え方で考えてしまったら、外部環境にグリップされてしまっている。

 逆に、状況の理解を自分の文脈で解釈すれば、今やっていることに意味が生まれて来ます。意味が生まれれば、打開する気力が生まれる。「夜と霧」みたいに、今のクソな状況を打開する経験を誰かに伝えるという意味を見出すと、戦場レポーターのように状況を客観的に見ることができる。


 また、自分の思考法をグリップされないためには、脳の中に誰も立ち入れない「自分の庭」みたいなスペースが必要だと思います。限界に来たら、この庭に逃げる。

 この庭では、美しく正しく善いと自分が考える方法で、思う存分に思考する。辛いことがあっても切り替えられる人は、こういう庭をちゃんと持っている人のように思います。

 #ゴーゴリ の小説に「ネフスキイ通り」という話があります。正確な話の筋は違う気がするけど、私はなぜかこの話を「イヤなことがあったけど通りを歩いているうちに忘れてしまった話」と記憶しています。

 生きているとそういう瞬間に出会うことが確かにありますが、それはたぶん脳の中に庭を確保できているからこそ。 #芸術 って、現実と全く違う文脈が頭の中にあるのを気づかせてくれるという意味で、生きていく上で不可欠の存在と思います。

 

 

 

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