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赤い糸(ショートショート)

 同じ会社の同じ部署の3歳年下のボブカットの宮下弥生さんのことが以前より気になって仕方がなかった。いつか飲みに誘いたいと思っているのだが、営業と事務の違いで、退社時間がずれて、一緒に帰る機会がない。
 そこで玉砕覚悟で思い切って誘ってみた。同じ部署とはいえあまり会話もかわしたことがないので、本当に当たって砕けろだった。
 答えはYES。心の中で小躍りしながら、待ち合わせ場所と時間を指定して、会社の退社時間が来るのを待った。さすがに今日は残業の依頼があってもキャンセルする強い意志を持って仕事に挑んだ。
 退社時間である。彼女は既に退社しており、待ち合わせのファミリーレストランにいるはずだ。俺も急いで帰る支度をして、上司に声をかけられぬように、スーパーソニックで会社を出た。
 ファミレスに着くと、彼女はちゃんと待っていた。
「ごめん、待っただろう」
 俺は常套句のようにそういった。彼女は首を横に振り「全然」と答えた。
「どこかに食事に行こうか」
「ここでいいですよ」
 そういわれたので、俺は彼女の向かい側に座り、メニュー表をみた。
「もう何か頼んだ」
「コーヒーだけです」
 2人はおのおの軽い食事を注文した。これから飲みに行くつもりだからだ。
 あまり気取ったバーとかに行くのも妙だし、気軽に飲める居酒屋に誘って、お互い酎ハイを注文して乾杯した。
 会社の話とか趣味の話とかいろんな話をして盛り上がった。
 これはなかなか脈があるな、と俺は心密かにほくそ笑んだ。
 気づけば、彼女はもう6杯目の酎ハイを飲んでいた。トイレに向かう時なども体はしゃんとしているところをみると、かなりの酒豪のようだ。ただし目はいささかトロンとしていて、色っぽかった。
 俺もペースに巻き込まれ、同じくらい飲んでいた。いかん、初のデートで、このままでは酔っぱらってしまう。
 おや、なんかこういう場面、一度経験があるぞ。ふと、俺は思った。よくあるデジャブであろう。彼女がいった。
「何か初めてな感じがしないですね、佐藤さんと飲むの」
 佐藤というのは俺の苗字だ。彼女も同じようなデジャブを感じていたのだ。これは運命かもしれない。そんなことを思っていると、急に彼女は酔っぱらったのか態度を急変させた。
「思い出したわ。アンタと私は前世で夫婦だったじゃない」
 おっ、なにを言い出すのかと思えば、何かいい雰囲気になりそうだ。
「あの頃、どんだけ私は苦労したと思ってるの。他に女作って、碌にかえってきもしないで、カネも女に貢いじまって、2度とこんな男とは結婚なんぞするものか、と心に決めたのに、生まれ変わっても出会うなんてさ」
 なんか、すごい思い込みと勘違いをしているようだ。酔っ払いのいうことだ。
「俺は違うよ。君の前世の夫ではないよ。何を勘違いしてるんだい」
 俺はしなくてもいい弁解をした。
「何が違うのよ。忘れてなんか、いないわよ。結婚式の当日もどこかの女と遊んで遅れてきたんでしょう。紋付もドロで汚してきたじゃない」
「あれは違う。水たまりに足がはまったんだ。女とも会ってない」
 あれ。俺は何をいってるんだ。えっと。そうだ。俺は確かに結婚式の当日、別の女と会っていた。別れ話のもつれだった。思い出した。こいつは俺の女房だった。大正の頃だ。お互い生まれ変わって出会ってしまったのだ。道理で気になる存在だった訳だ。
 俺は正直にいった。
「悪かった。確かに他の女に貢いだこともある。生まれ変わってもいわれるんじゃあ、こっちはたまらん。死ぬ間際にもちゃんと謝ったじゃないか」
「そうだったかしらね。あたしゃ、アンタが死んでも涙の一つも出やしなかったよ」
 怒り口調で酎ハイをがぶ飲みしながら彼女、いや女房はそういった。
「前世のことだ。ここはどうか水に流して、もう一度やり直さないか」
 思わずいうつもりのないセリフを喋ってしまった。
「何だって。アンタ、本気でいってるのかい」
「本気だよ。愛してるのはお前だけだよ」
「もう騙されないよ。2度も人生で失敗したとあっては笑いじゃすまないからね」
 女房は立ち上がり、椅子に片足を掛け啖呵を切った。
 俺は椅子から立ち上がると、無意識に土下座をしてしまった。
「許してくれ。俺と一緒になってくれ」
 その光景を見た店主が割って入った。
「何があったかしりませんが、ここは他のお客様もいらっしゃるので、穏便にして下さいよ。さもないと出ていってもらいますよ」
 といわれたので、すかさず俺は店主に行った。
「申し訳ないです。大丈夫です。これも前世では日常茶飯事のことだったんで。酎ハイだけに”しょっちゅう”(焼酎)なんですよ」

 

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