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ボーリング

 大学生というものは、試験前には、コピー機の前に群がり、それ以外はアルバイトしたり、遊んだり、酒飲んだり、女の子を追いかけたりと、世の中でこれ以上、気ままな存在はないというくらい気ままな存在だった。バブル期に入ろうという時期である。
 今の大学生は聞くところによると、真面目で遊ぶ余裕などないようにみうけられる。おまけにコロナで、まともに学校へも行けず、遊ぶことも出来ず、八方塞がりの状態だという。何だか申し訳ない気分である。
 朝は授業も受けずに二日酔いで昼まで寝て、昼飯食べに学校へ行って、サークルに顔を出す。それでは暇だからボーリングでもいきましょうか、という話になる。そう、大学時代、僕らはボーリングに凝っていた。
 みんな上手かった。僕は下手くそだったが、やっていくうちに、だんだんサマになってきた。丁度新日本プロレスの長州力を中心とした維新軍団をまねて、維新軍団と名乗り、K先輩とコンビで上手な人たちに対戦して熱戦を繰り広げた。
 酒は飲むし、ボーリングはするし、それでよくおカネが持ったものだと思う。ほとんど先輩のおごりだったので、今更ながら恐縮である。
 ボーリングといえば、S君である。同じサウスポーなのだが、センスがよくて、200upをポツポツ出していた。ある日、ソフトボールで利き手の左肩甲骨を骨折したにもかかわらず、何と今度はギプスをはめたまま、右手でも200upを達成したのには驚いた。
 I君はパワーボーリングである。投げたらレーンの半分くらいのところまで、飛んで行って落ちる。転がすのではなくて、文字通り投げていた。
 大学の1年2年の頃は本当に昼間は暇さえあればボーリングに行っていたものだった。当時確か1ゲーム300円だった。靴はいくらだったかなあ、覚えていない。
 大学3年生になると、嘘みたいに興味がなくなり、あまりしなくなった。
僕などは、大学を卒業すると、片手でも余るくらいしかいってない。
 そのいつもいっていたボーリング場がついに今年3月終止符を打つ。1972年に建てられたとのことだから、丁度50年である。我々は1982年頃頻繁にいっていたので、40年になる。
 またひとつ思い出の場所が消えていく。仕方のないことではあるが。
 

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