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大きな選択の先延ばしと焦燥感

こんばんは。
12月もあと10日とちょっとですね。
先週末は一体どこの季節に飛ばされて来たのかと思うほど生暖かい風が吹いていました。
夏の終わりか秋の始まりの台風が来そうな日の雰囲気でした。
違和感がすごくて原因を探しながら帰路についていましたが、どうやら風の匂いが本物のその時期とは異なるようでした。
当たり前ですがこの時期に風で飛ぶのは枯葉ばかりなので葉っぱの青臭い匂いが全くしないんです。他にも湿度とか色々あるのでしょうが、知らず知らずのうちに五感で季節を感じていたことをわからされました。

季節の変わり目、殊に年末はなにかと焦燥感に駆られるものです。
例に漏れず自分自身もその感覚に襲われております。
しかしながら焦りは大体空回り。空回りだから焦るとも言えるでしょう。
難しい顔でスマホが映す無限の情報とにらめっこしてるうちに時間が過ぎてゆきます。
30代ともなればしばしば人生の大事な選択を求められるわけですが、まだ目を瞑る猶予も多少残されているためできるだけ考えないように先送りしている自分に気が付きます。
「とりあえず年末年始休暇で考えよう」
「今は疲れているからまた後で」
それらを先送りしていることも心の奥で謎の焦りを呼んでいる一因だと思います。
「しかしだね、考える心の余裕がないのだよ。」
なんというか自分自身の内面と一対一で向き合う時間と熱量がなくなってしまいました。 
以前は(おそらく世の中の同世代と比べても高いであろう熱量で)毎日自分自身を覗く行為をやっておりました。
数年前急にそれがくだらないものに思えてしまい執着しなくなった。そうしたらなんというかゼロヒャク理論のように向き合う気も起きなくなった、そんな感じです。

たぶんこれでは駄目だと思います。あまり健全ではないというか、いい塩梅を探す必要があります。
 自分の人生をなにも決められず操縦を放棄しているわけですから。焦るのも当然です。
深く考える余裕がない焦りを紛らわすために、その穴を小さな選択肢で埋めてしまいます。
この洋服を買うか買わないか、今日の夕飯のメニューに人参を買って入れるか入れないか、そういう人生という大きさには直結しない小さな選択肢です。
小さな選択は無限につくれます。
そして本心以外の要素で決めることができます。
似合わないから、値段が高いから買わないとか。逆に今月頑張ったからとか、野菜足りてないからとか。
余談も余談ですが、なんだか自己理解の追求みたいな精神的な成長に充足を感じなくなると金銭的で俗物的な欲求ばかりに気を回すようになってしまってそれはそれで自分自身をつまらなくしているように思います。
兎にも角にも雑多な選択肢の渦の中に身を置くことで自分自身の形もよくわからない状態になっている気がします。

以上、現状未解決である自分自身の状況をざっくばらんに書いてみました。
みなさんはどうですか?謎の焦燥感にどう対処していますか?よかったら教えてください。
いつかこの自分の書き込みにアンサーを与えられる時期が来るような歩みをしたいですね。

(サムネ画像
みんなのフォトギャラリーよりでおきしりぼ子さんの作品です。こういう絵画昔から好き。この方と趣味合うかな?お話してみたいな、とかね。)









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