与えられないということについて

唐突に、今まで綴っていた過去の恋愛遍歴の話に戻ります。


私は精神的に限界になっていた。
何もしてなくても、知人の中で私1人だけ内定を持っていないことを思うと涙が出るし、お祈りメールを見ると心がふさぎ込んだ。少なからず情緒不安定であったことに間違いはないが、それだけが理由ではなく、私はAと距離を置き始める。そして、秋が深まるにつれてAの本性が露わになっていくのである。

説明会が終わるとメール20近く、着信履歴10近くの通知があった。そのどれもが「おはよう」「なにしてるの」「暇だから電話しよう」「忙しいの?」「返事が欲しい」「こんなに連絡取れないなんて変じゃないか?」「ごめん連絡しすぎてるか」「控えるから返事ちょうだい」「もしかしてもう嫌いになった?」「とりあえず電話しよう」「話せばわかるから」「何時に帰るの」「話し合おう」etc etc...。
自分の中で1人勝手に疑心暗鬼になって、謝罪の言葉はあるが衝動的に送られてくるメールや電話の数を見れば全く反省の色が見えないのはすぐに分かった。
面接帰り、田舎の実家に着く前にお祈りメールが来たりして酷く凹んだまま帰路につき、リクルートスーツを脱ぎ捨ててベッドに横になることもあった。その最中、スマホのバイブ音が止むことはなかった。
次第に恐怖が芽生え、私は故意に連絡を避けるようになった。確かに就職活動に苦戦してはいたが、1日なにもない日もあるにはあったのだ。しかし、その時間を脅迫めいたメールや電話で迫ってくるAに宛てる気持ちにはなれなかった。

12月に入り、19時前後に帰宅した時だった。我が家の門の前にぼんやりと人影が見える。何だろう、と疑問に思うと同時にまさかな、という不安が過った。表札を照らす小さなオレンジ色の明かりの中、やはりというか、そこに佇んでいたのはAだった。
私が感じたのは明確な恐怖だった。それしかなかった。会話を覚えてはいないが、哀れっぽく訴えるAを突き放し、私は自宅へと駆け込んでいた。幼馴染で家が隣同士だから、これからも毎日毎日毎日毎日、きちんとケジメをつけるまで待ち伏せされるのではないか。いつかのタイミングで、もしかしたら殺されるのではないか。
1ヶ月以上Aからの執拗な連絡に悩んでいた私が、そこまでの想像に達するのに時間はかからなかった。

私は、クリスマス前の日曜日にAを近所の公園へ呼び出した。
自分のマフラーを巻いて、プレゼントをカバンに押し込んで、冷たい風の吹く川沿いの公園のベンチに並んで座った。
クリスマスだから、とプレゼントを手渡した。やはりマフラーをしていなかったAはそれをそっと巻いた。
就職活動が思わしくないこと。だから今とても辛いこと。忙しくて会う時間が取れないこと。Aからの電話やメールが怖くて仕方ないこと。
そんなことをぽつぽつと告白して、だから、別れようと告げた。
Aはごねてたような気もするし、呆然とそこに座り続けていただけのような気もする。もう連絡してこないで、私は返事をしないから。
そこまでキッパリといって、私は先に公園を後にした。

そのあと一週間くらいはメールがあったが、やがてそれも無くなり、私は漸くAから解放されたのだった。

#日記 #恋愛

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