好きな人が結婚したことについて

ポルノグラフィティのお2人においては、東京ドーム2DAYS、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
興奮が冷めぬまま、過去のライブDVDを見ながら、16年間ずっと好きな人に想いを馳せていたら、たまらなくなり綴ることにした。

初めて私がポルノグラフィティを認識したのはスカイハイの主題歌、渦だったように思う。ただ、その時はアーティスト名から他の曲を検索して出たしだけの音源を好きなだけ聞ける環境なんてなくて、それはその時の思い出として終わってしまった。
オタク気質のある中学生だったので、鋼の錬金術のOPであるメリッサに出逢い、心奪われるのは必然に近かった。
リビングに1つだけある家族共有のデスクトップパソコン(ブラウン管テレビみたいにデスクトップがデカイやつ)で、ポルノグラフィティの公式サイトを毎日チェックして、ファンが作成した交流掲示板を見たりして、ファンクラブがあることを知った。

まだ中学生だったので、母親に頼み込み、メリッサが発売された2003年から1年遅れ2004年12月に会員になる。
なので、手元にはNo.17からの会報がある。久々に取り出して、表紙が紙だったことを思い出したのでびっくりした。

2008年に、ギターの新藤晴一さんが結婚した。それは高校生だった私には衝撃で、朝、滅多につけないテレビをつけて涙を零した。
そのテレビが「長谷川京子「が」ポルノグラフィティ新藤晴一と結婚!」とテロップを出しており、逆じゃないのかと思いつつも涙が止まらず、友達の話ではその日学校をおやすみしたという。
あまりの出来事に覚えていない。
さらに言うと、ファンクラブの会員向けに来た晴一さんからのお手紙もない。入会が2004年で1度も辞めてないし、会費振込が遅れたこともないし、引越しもしてないので、あまりにも辛すぎて捨てた可能性すらある。多分捨ててないと思うのだが、あまりにも衝撃過ぎて別の場所に保管したのだろうか。

とにかく悲しくて、ずっとずっと好きだった憧れの人が誰かのものになってしまった事実は衝撃だった。
独身でいてくれたなら、もしかしたら、どこかで偶然出会って、知り合いになって、もしかしたらもあるかもしれないと。
そこまで思うほどの想いだった。

泣いて泣いて、こんなにも好きなのにと何度も思ったけれど、それでファンをやめるとかライブに会いに行くのをやめようとは思えなかった。そんな軽い気持ちで好きでいる訳ではないのだ。
私と晴一さんを別つのは、今度こそ本当に死しかないのだと思えるほどの強い想いだと気づく。それこそ、沸いたお湯が蒸発するほどの、想い。
だから、つらくて悲しくて、本気で恋をしていた人が結婚して幸せでいることを、見守ると言うか、遠くから見つめると言うこともやがて理解していった。
その指先が紡ぐのは音や言葉だけでは無く、特別な愛になってしまったことが切なかったけれど、そこに嫉妬とかは生まれなかった。やはりネームバリューのある美しい方だから、勝ち目なんて無いよね、と変な納得をしてしまったのもあるかもしれない。
晴一さんは、街で偶然出会った一般女性ではなくテレビの世界に住む美しい人がお好きなのだ…という、自分では、到底敵わないスペックの持ち主が奥さんになったからまだ正気を保てていた可能性は大いにある。
これが一般女性だったら、私は本気でストーカーをしたり出待ちをしたり地の果てまで追ってでもして接点を作らなかった自分を絞め殺していたところだ。

結婚を知ってから、約束の朝を聞いてめちゃくちゃ泣いたのも懐かしい。ワイラノクロニクルや自宅にてを読み返して、温かい家庭を持つのは理想のロックバンドの姿じゃない。ポロシャツじゃなくて革ジャンがロックバンドだしホットドッグには苦手でもマスタード掛けないとカッコつかないみたいなことが書いてあって、今は違うじゃん!と感情が昂った末に泣いたこともあった。

しかし、というかやはり、というか。
私にとって新藤晴一さんはテレビの人で、どんなに憧れて夢小説を読んでも恋人にはなれない人だった。
更に、当時ポルノファンが友達にいなかった私と一緒にライブに行ってくれていた、昭仁さん派の母の言葉もあった。
「もう2人とも30歳超えてるし、結婚していい年頃よね。きちんと結婚出来る人なのね」と。
その時は別に年齢関係ないよね?と思ったりしたし、何歳になってもハードボイルドの雰囲気を纏いつつお茶目さを隠せない素敵なロマンチストでいてくれればいいと思っていた。それだけで一生ファンでいるのに、と。

そんなことを思った17歳の頃から歳をとり、27の時に結婚をした。
ポルノグラフィティの詞の世界観で生きてきたから、身を焦がすような恋に憧れて、それは晴一さんが教えてくれた。その失恋相手がくれたお気に入りのバラードを聴いてわんわん泣いた夜もあった。
幾つか恋をして、少しずつ晴一さん以外の人を好きになったり嫌いになったりした。
晴一さんの描く恋愛観が普通なんだと思っていたから、私はいつか、ラブレターの最後、そのピリオドに特別な想いを込めるのだろうと思っていた。暗いBarでバーボン片手の相手にふられることもあるだろうと思っていた。いけない恋をして、恋の芽を自ら摘み取る経験もするのかな、とも思っていた。そのうち、丸山町で一夜を過ごし、朝、広いベッドで千切られた紙切れに青いインクで書かれた手紙を貰うのかな?なんて。
大人な恋愛を夢見ていたけれど、脚の長い椅子があるBarへは1度も行くことなく、平凡で幸せな結婚をした。
当時、旦那は29歳で、旦那に続くように旦那の友人たちも結婚をして行った。男性の30歳ってとても大きな壁なのだな、と知った。

結婚。
晴一さんが、当たり前にある幸せを日々、当たり前に過ごしていてくれることを願えるようになっていた。
けれど、ライブの時は。私たち、いや、私だけを見て欲しい。こんなに、16年間も私の心を捉え続けてるのだから、ライブの何時間かは、私のために呼吸をしていて欲しい。

こんなに恋を拗らせているのだけど、ネットの広い海を彷徨うと同年代で同じ経験をしている方が多くて、なんて罪作りな人なんだろうと思う。
これからもずっとずっと好きでい続けると思います。


#ポルノグラフィティ #新藤晴一

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