妄言か虚言かの見極めについて

いつもスマートフォンで打ち込んで、パソコンから投稿してます。アプリだとタグをつけられないからね……。

Cから距離を置かれていることに気づいた私は、きちんと話がしたいとか悪いところがあったら治すとか、あれもこれも(例えば男女が付き合うと必ずするあれこれな訳だけど)をこれからはするからとか、とにかく思いつく事をメールしたりスカイプで送ったりした。
何個かは無視されて、何個かに返事がきた。その返事に私はほとほと呆れてしまって、悲しいとか悔しいなんて感情はこれっぽっちも湧かなかった。

Cは、私が身体の関係を拒みだした頃から、故郷にいる元カノと連絡を取り合うようになったという。悩んでいる、とのことで相談に乗っていたそうだ。
そして、つい先日思い悩んでいた元カノが自殺したので、私とももう付き合えないのだ、と言った。それから、元カノから連絡が来だした頃から、いやそれよりも前からだったか。私からのメールやスカイプの頻度が辛く、重度の鬱状態に陥って薬が手放せないのだという。その時は呆気にとられてしまって、Cの言うままにスカイプか何かで別れ話をしてさよならしたのだが、今思うと疑問しかない。
よくそんな精神状況で、元カノから語られる自殺を図るほどの重たい相談に乗れたものだな、とか。ノイローゼになるほど嫌ならさっさと言ってくれればよかったのに、とか。

色々とふられた理由とか、話されたことが嘘なのか本当なのかとか、考えてみたけれど何もわからなかった。結局半年も続かなかったから、何も思い出がないのだ。ネットで知り合っただけだから、相手に対して悲しさを覚えるには知っていることが少なすぎて、全く現実味がないのだ。
Aとは体を求められ始めた3ヶ月目くらいに別れた気がするし、Cとは大学入学後に付き合い出して夏祭りに行ったのが最後のデートで秋口には別れたような気がする。私は異性と、長く付き合うことが出来なかった。長く付き合えば身体を求められたからだ。それを断っても誘って来たり、挙句応じないのはおかしいのだとか諭されると、次第に私の心は凍て付いていった。よく言われる生理的に無理、というところまで墜ちてしまうと、どうでもよくなって簡単にさよなら出来てしまった。

ただ、今でも思うのは、Cの別れ話が本当だとしたら、元カノがとても羨ましい、ということだ。決してCに愛されてたからとかそんな野暮ったい理由ではない。
先に旅立ってしまえると言うことは、とても幸せなのでは、と考えるからだ。1人残された男(C)の嘆く姿を見て、私は「愛する女に先立たれた男の哀れな姿」に酷く心酔した。妄想癖が相まって、夜眠る前に思い出しては恍惚に浸った。エクスタシーと言ってもいいかもしれない。男というか弱い生き物は、自分を愛していた女を喪うとこうなる、という姿を見るたびに興奮した。精神病を患ったり、今生きている彼女を棄てたり、泣いたり、想い出してはツイッターにポエムみたいなのを呟いたり、朝日に感謝したり。
Cの行動が嘘を演じるものなのか、本当なのか今では分からない。けれど、ただただ愛する女を喪った男、としてのCは私の目にとても興味深く映った。

今では、私も旦那より先に死にたいと願っている。私が死んだ後、旦那には好きな人生を歩んで欲しい。けれど、Coccoさんがいうように、私の誕生日だけは私を思い出して泣いて欲しい。ああ、でもやっぱり私は欲深い女だから、些細なことで私を思い出して欲しい。
私がしたみたいに、見送りの仕草だとか、食器の並べ方とか、テレビを見ている時のポーズとか、そんな日常にありふれた全ての動作に私を思い出して、新しい奥さんに重ねて寂しくなって欲しい。

先に旅立つということは、残された人の心に永遠に残ることだと思う。綺麗なまま、思い出はどんどん美化されて、声も笑顔も香りも全て崇拝の対象となり、その人の中で神格化したとき、残された人間は、旅立った人間の生き様を信仰する忠誠な信者になると思う。強烈な思い出は残された人の神経を好きなだけ蝕んで、そして最後に後を追って命尽きるとき、その手を取ってあげたいと切に思うのです。


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