社会人になる話

Eは、営業成績はそこそこな男だった。ただ、フットワークが軽く、酒が好きで、顧客から好かれるタイプではあった。顧客からのヘルプには直ぐに代替品を持って飛んで行き、解決したらそのまま顧客と一緒に肩を組んで居酒屋に繰り出して直帰するような男だった。
そして、後から知ったのだが、Eも例に漏れず過去、私の上司に当たる女・Fに恋心を寄せた数多の男性社員の1人であった。


私はといえば、事務員としては酷く使えない新入社員であった。指導係は女性で、当時、既に三十路過ぎだったFとバツイチ子持ちのG、2個年上で大卒ストレートの大人しいHがいた。
職場は男が多かったが、私が配属された事務課(便宜上こう表現する)には女しかしなかった。
その事務課には、大昔からFを筆頭にヒエラルキーが出来ており、入社して直ぐに「Hさんは使えないから、なんでも私に聞いてね」と恐ろしく綺麗な顔で微笑んだFの事を覚えている。

今まで1番下にいたのであろうHは、より年下の私が出来てどこかほっとしていたに違いない。ただ、故にこれからの仕打ちを哀れに思うのか影ながら手助けをしてくれた。それもあり、私はHのことは好きだった。
そんなHは私が2年目になった頃に新しく出来た別の事務課員となり、いずれ疎遠になってしまうのである。

Fは、俗に言う典型的なお局というものだった。しかし、背が高く、キツイ印象があるものの、とても美人だった。恐ろしく美容への執着がある人で、うっすらと腹筋の割れた抜群のプロポーションを持つ人だった。当然のように社内からも人気の高い女性社員で、仕事もできる素晴らしいキャリアウーマンだった。
しかし、自分の気分次第で私やHへ八つ当たりをし、部下のキャパシティなど考えずに仕事を振り、ミスをすると一対一で個室に呼び出して1時間以上責め立て、泣いて謝ると解放するような人だった。
私はFからの個室呼び出しで人格否定のような言葉を受けるのを恐れ、その恐れ故に常時くだらないミスを繰り返し、Fのイライラを増やす日々を過ごしていた。

そうこうしているうちに私とEは付き合って3ヶ月が過ぎ、少し早いのではないかと思いつつも身体を許していた。会社近くに一人暮らしをした私の部屋を、ホテルのように利用されていたことにも気付かず、夕飯を用意して待つ私の、なんと滑稽だったことだろう。
今思えば、私がEに求めていたのは、仕事をうまくやるアドバイスやFの攻撃から身を守る術だった。社会人になると同時に一人暮らしをした私には、仕事での悩みを聞いてくれるのはEただ1人だけだったのだ。
半年も過ぎると、7つも歳下の私には、Eの言葉が全てに思えてきていた。それはマインドコントロールの一種だった。直接会えない夜は、泣きながらライン電話で相談し、アドバイスをくれるようお願いした。会社内で唯一自分を認めてくれる存在で、いまEを失ったら、心が折れてしまうと本気で思っていた。

Eのアドバイスは、もっと頑張れ。もっとFに認められるよう早出して仕事したほうがいい。残業もして、たくさん働くべきだと思う。努力が足りないからFに認められないんだと思う。などなど、もう本当に色々あった。私を責めるような、いつもどこか私の努力が足りないというような口ぶりだった。Fに非は全くなく、Fの考えが分からない私の方が可笑しいという洗脳。今思えば、それを毎晩毎晩、泣きながら電話口で聞いて2時過ぎに寝て6時に起きていたのだから、正常な判断なんて出来るはずが無かった。
他にも、私の被害妄想癖もあり、Fに認められないと会社の女性陣からもはぶられるというような、女社会故の強迫観念もあった。
それだけでなく、Eは私に色々な洗脳のような、呪いの言葉を残していった。社会人になったならメイクはこうあるべきだ。可愛らしい服装より大人っぽく・セクシーな服装をするべきだ。持ち物もハイブランドを身に付けるべきだ。車で送ってもらったらこうお礼をするのが常識だ。彼氏への誕生日プレゼントはこれくらいの価格にすべきだ。結婚したら男親と同居すべきだ。男がみる映画に付き合うべきだ。女はこうあるべきだ。………。

Eはたくさんのアドバイスをくれたが、いつしか私はそれに疲れきっていた。

Eの誕生日に私が選んだBEAMSのキーケースは、確かに今思うと大学生同士のプレゼントで選ぶブランドだったかもしれない。一生懸命選んだけれど、お気に召さなかったのだ。
それが酷くショックだった私は、その後に来たクリスマスは奮発してPaul Smithのネクタイピンをあげた。とりあえずブランド物ということは分かったらしく、初めてEの「社会人として当たり前アドバイス」や嫌味のお返しがないプレゼントとなった。
その後に、手作りをあげたバレンタインで、また傷付くことになる。バレンタインチョコは大量に作って余れば義理チョコとして色んな人に配るのだから、高いブランドチョコを1つ買ってくれた方が嬉しいと言われて落ち込んだ。
私は料理やお菓子作りが好きで、自信作で、今もまだスマホにあげる前のラッピング完了したチョコレートの写メを撮ってあるけれど、見るたびにちょっと泣きそうになる。
そのお返しに私は、ホワイトデーにEから珍しいお菓子だと言われて、桜味のカステラを手渡された。なんだか揶揄されたような、見下されているような気持ちになり、思えば私の我慢はそこで途切れ、あとはぼんやりと過ごしていたように思う。
私からEへのラインは、この頃から極端に減っていったと思う。

話はホワイトデーの後に戻り、やがて来た私の誕生日に、Eは白蝶貝とパールのピアスをくれ、銀座のリストランテでお祝いをしてくれた。
その時、だいたい今回のご飯とプレゼントで2万円はかけたからね、と言われた時にひどく傷ついたような、馬鹿にされたような気持ちになった事を覚えている。

そこで弾けた私は、Eに対してより、よそよそしい態度を取るようになっていく。特にEとその話をしたことは無かったが、お互いに職場恋愛のリスクを理解していたのか、周囲には内緒にしていたので、この点は救われた。

恋心は砕け、Eからのマインドコントロールのようなアドバイスから解放されたくて、けれど一年記念日がもうすぐ来るという変な情から私はGW頃まで、別れを切り出せずにいた。


#恋愛 #日記 #社内恋愛
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