見出し画像

あの日、あの街で、彼女は。〜恵比寿駅〜

罪悪感に駆られた金曜日。

恵比寿駅は、彼女が通う美容院の最寄駅だ。上京してすぐの頃、お気に入りの美容院を見つけられず、新規クーポンを駆使して転々としていた。リピートしたい美容師さんに出会うまで1年半、出会ってからは今でもずっと恵比寿に通い続けている。

目黒区寄りの渋谷区、山手線の渋谷駅と目黒駅に挟まれた恵比寿駅。ホームで流れるヱビスビールのCMソングに驚きつつ、なんとなく飲みたい気分にさせられる。渋谷ほどの喧騒はなく、少し落ち着いた雰囲気の街。

梅雨の晴れ間、日が長くなって夏の匂いがかすめる日。今日は絶対に帰ると決意を固くして、なんとか定時退社できた。最後に定時退社したのはいつだったのだろう。久しぶりに明るい時間にオフィスを後にした。

電車に乗って急いで向かった先は恵比寿ガーデンホール。彼女の最推しデザイナーさんのファッションショーが初めて開催される日。小走りした後の息切れと混ざる高揚感のドキドキ。大好きな世界観にどっぷり浸かって、目に映るものすべてが美しくて眼福で。たった30分とは思えないほど、充実感と余韻で胸がいっぱいだった。

今日は金曜日、このまま飲んで帰ろうかな。そう思っていた矢先、組織のグループLINEの通知が騒がしい。金曜日がマイルストーンの締め日ということをすっかり忘れていた。定時退社して勝手にゴールテープを切った気でいた。

アポも取れてないのに定時退社した罪悪感が、じわじわと彼女の心を蝕む。「退勤」しているのだから会社には戻らないけれど。恵比寿駅東口の外にベンチがある。パソコンを開いて、コールタイムを始めた。街灯とパソコン画面の光を頼りに、「ひとりアポ取れるまで帰れま10」の開催だ。

ただの中抜けじゃん、と思いながら1時間以上テレアポを続ける。遅い時間帯にアポが取れるわけもなく、ただただコール数を埋めただけだった。打刻はしていないので、正真正銘のサービス残業。それでも、オフィスにいながらまだ数字を追ってるメンバーのことを思うと、なにか数字で返事をしなくてはという気にさせられた。彼女自身も業績低迷期で、正直言って肩身が狭かった。惨めだった。

罪悪感を埋めただけのコールタイム、自身の焦燥感は拭えないし、数字のことだけ慮ってもどうしようもない。ファッションショーを観たのは幻だったのか。この気持ちを抱えたまま週末を過ごすなんて嫌だ。同期を恵比寿に誘い、ふたりで赤ワインのボトルを空ける。「華金しか楽しみがない」「お酒は生きがい」と本気で思っていたし、インスタのストーリーに楽しそうな酔っ払いが映っている。

5年間で一度も担当顧客がいなかった街に、たった一度の罪悪感がトラウマのように消えない彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?