見出し画像

あの日、あの街で、彼女は。〜大井町駅〜

尻拭いの行方と、梅雨のある日。

「前にも御社のAさんって人が訪問に来てくれたんだけど、なんか微妙だったんだよね〜。あれから状況変わってるの?あ〜、その日なら空いてるから来ていいよ」

アポが取れた日の電話がすでに不穏だ。この「Aさん」は、ひとつ歳上の先輩で、お客さんに同情してしまうくらいには、いろいろと問題のある人だった。尻拭いシリーズが作れそう。

なんでいつもマイナスから這い上がるしか選択肢がないのだろう。どっぷりと憂いに浸れる余裕はなく、達成が見えない予算目標と足りないアポ数に切羽詰まっていた。尻拭いだろうとやるしかなかった。

「大井町駅」は、尻拭い客(と名付ける)の訪問が初上陸で、社会人3年目の梅雨ごろだった。訪問日も連日の予報通り雨降り。りんかい線に乗るのも初めてで、予定より1本早い電車に乗って向かう。

大井町駅に着いたものの、出たい出口に辿り着かなくて早々に迷い、ひらけた空間に出たかと思えば、地上への降り方がわからない。思いのほか距離のある住宅街を彷徨った挙句、小走りでなんとか間に合った。2本早い電車に乗っておけばよかった。

靴を脱ぐタイプのマンションの一室。過去にも同じような企業に訪問したことがある。平気なフリをしながらも、やはり密室は緊張が走る。得意ではない。

前任のAさんより彼女のほうが好感触なのは言うまでもない。ただ、あくまでマイナスがゼロになっただけで、プラスに転じたかと言われると自信がない。担当者もごく普通のおじさんで、最後には他支店の担当者も紹介してくれた。悪くない終わり方だった。

雨粒が流れ落ちるビニール傘越しに、住宅街をぐるりと見上げながら歩く。滲んだ景色も嫌いじゃない。次の訪問までどこで時間潰そうかとぼんやり考えてるうちに、大井町駅前に戻ってきた。行きは気づかなかったスタバの存在が目に留まる。即決で入る。

窓際のカウンター席に座って、街ゆく人々の流れを見つめる。傘をさす人よりささない人が増えてきて、雨がおだんできたみたいだ。「おだむ」は「おだやかになる」という意味で、彼女の出身地長野県の方言だ。

悪くない初回訪問の終わりが、「悪かった」に傾くまでそう時間はかからなかった。電話もメールも一切の連絡がつかなくなって、他支店の担当者に聞いても教えてもらえなかった。

悪い夢は雨がきれいに流してくれたらいいのにね、嵐に巻き込まれただけの彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?