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シンデレラの屍を超えてゆく

お金持ちの男との結婚が女の理想という刷り込みを「シンデレラ・コンプレックス」と呼ぶなら、そこから脱却し、学問にはげむことやキャリア志向を「ジェイン・エア・シンドローム」と呼ぶらしい。


シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』が脱シンデレラストーリーの原型であり、その後の女性作家にどれほど影響を与えたか、について論じる本を読んだ。※1


廣野由美子さんはNHK100分で名著の、『高慢と偏見』の回で知った。
最近は、シェリーの『フランケンシュタイン』に的を絞った批評を読んだが、フェミニズム批評とガイノクリティクスの説明が、面白く勉強になる。

その廣野先生による、『ジェイン・エア』に特化した本があるのを発見し、私は飛びついて読んだ。

論評の主な内容は、北米白人女性作家による少女の人格形成と自立の物語(『赤毛のアン』、『若草物語』、『あしながおじさん』など)の源流が、『ジェイン・エア』にあるとするものだった。

『ジェイン・エア』のあらすじをご存知ない方はこちらをどうぞ👇




🔸多様性を認めない?ジェイン・エア・シンドローム

『ジェイン・エア』は、シンデレラコンプレックスから女性を解放してくれる一方、例えば専業主婦として生きる女性への蔑視や優越感、社会的地位やスキルの高さを重視し競争心を煽る側面もはらんでいる。

重要なのは、シンデレラ・コンプレックスも、ジェイン・エア・シンドロームも、ともに無意識の状態から解き放つということである。それらの現象が、女性の心理、ひいては生き方にまで強い影響を及ぼし得るということを、まずは正しく認識することが、問題解決の第一歩となるだろう。
念のため断っておくが、これはシンドローム一般に言えることで、女性に限ったことではない。文学は、影響力が大きいからこそ、素晴らしい。しかし、影響受けている自分を客観的に引き離してみることができなければ、それはあらぬ方向へと引っ張っていく呪縛ともなりかねないし、逆に、単にノスタルジーに浸って愛好するだけの消費の対象になり下がって終わることもあるだろう。その結果、当の文学作品を正当に評価することができなくなるのは、実に残念なことである。

※1  p209-210


多くの女性がキャリア志向を盲信するあまり、シンデレラ・コンプレックスを脱しきれない女性が肩身の狭い思いをするなら、多様性を認めるどころか、つぶすことになりはしないか。

廣野由美子さんの書く‘無意識から解き放つ'というのは、「実は意図的に無視していたことに気づく」、なのだと思う。

故意に無視されているものが差別であり、意識に強力なブレーキをかけてしまうのだ。



🔸ヴァージニア・ウルフの論評に固執してしていた自分


無意識から解き放つと言えば、一年ほど前に、私は『ジェイン・エア』を読み、ヴァージニア・ウルフの論評も読んだ。

ウルフはシャーロット・ブロンテを高く評価しておらず、エミリー・ブロンテやジェイン・オースティンの方が優れているとしていた。


私は『ジェイン・エア』の方が好きなので、その理路整然とした隙のないウルフの立派な論評にモヤモヤした。


オースティンの代表作に『高慢と偏見』がある。私はこの作品があまり好きではない。だが『高慢と偏見』は傑作という見方が主流で、ウルフの論評でも高評価だ。そのため私の読み方が浅く、作品が理解できていないから好きになれないのだと思い込んでいたが、違った。

私は、女主人公がラストに玉の輿に乗る、シンデレラ・ストーリー要素が気に入らなかったのである。

人生は結婚後も続くが、シンデレラ・ストーリーではそれが描かれない。

今回の廣野由美子さんの論評を読んでわかったが、高名な批評家の意見に圧倒され、私は故意に自分の考えを無視していた。
 
『高慢と偏見』は、シンデレラコンプレックスを脱しきれていなかったのであり、私自身はウルフの権威から脱しきれていなかったのである。




おしまい



※1    廣野由美子 『シンデレラはどこへ行ったのか ー少女小説とジェイン・エア』
2023年 岩波書店

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