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「僕は愛なしには生きられない」

本文のタイトルは、娼婦のクリスティーヌと結婚しようとしたゴッホが、反対する家族を説得するため弟のテオに宛てた手紙(※1)の一節である。

ゴッホはクリスティーヌと家庭を持ち、正式な結婚はせず短期間で別れた。

         
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ゴッホの作品に360°囲まれて体験できるアートイベントを見るため、三月初旬、りんかい線天王洲アイル駅から徒歩5分の位置にある寺田倉庫に来た。










ゴッホの作品は、2、3点のヒマワリと、2、3の自画像しか知らなかった。

今回、イベントに来たことで、他の作品も良いものをいくつも知ることができた。

特に知って良かったのは、「アイリス」の絵数点と、「夜のカフェテラス」だった。


アイリス


活きている色彩。
青が青々しい。
さらにその青い色のグラデーションの花弁が琉球紅型模様みたいだ。

この絵をもっと長く見たいのに、画面が切り替わって残念。


青が良いのはこれも同じ👇


夜のカフェテラス


夜のカフェテラス


アーケード部分は、ヒマワリでお馴染みのゴッホの黄色と煉瓦色。


街路の奥行きの青と藍に吸い込まれそうになる。



その他、この展示会場では、ゴッホの作品から着想を得た香りが焚かれていた。

香りの詳細


ホテルのロビーのような、高級ルームディフューザーの香りがした。


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私はゴッホの人となりも、ほぼ知らなかったため、(極貧のため弟が面倒を見ていたこと、でっちあげの日本を夢見ていたこと、ゴーガンと喧嘩して自分の耳切った事件は知っていた)図書館で、『もっと知りたいゴッホ  』(※1)を借りて読んだ。



興味深かったのは、

① ゴッホが牧師をめざしていた時期があったこと
② アルルで芸術家の共同体を作ろうとしていたこと
③ 弟のテオがゴッホの死後すぐ病死していたこと


だった。


①について
父が牧師だったことももちろん一因だが、ゴッホの作品には多くの聖書の物語から着想を得た部分がある。

当時(1853年生まれのゴッホの青年期)、オランダではドミノクラシーと呼ばれたプロテスタントの権力を持った牧師が存在したが、フランスからの自然主義の影響を受け、その次世代の牧師候補たちが辞めてしまうケースが頻発したらしい。
ゴッホもその一人だった。

ただし、それだけでは無い話もあって、ゴッホという人は、どんな職についても解雇されてしまうことが多かった。

牧師への道に挫折してからも、聖書の物語をモチーフに多くの作品を描いた。


②について

ゴッホは、”芸術家のユートピア”を作ろうとした、と書かれている。
むしろ私は貧しい芸術家が共同生活で食いつないで行くというのは合理的かつ現実的だと思った。


③について
支えられていたのはゴッホだけではなく弟のテオの方もだった?
二人はお互いに支え合っていたのだろうか。

弟のテオとの関係ももっと詳しく知りたいので、また別の本を読んで調べたい。


・おまけ
帰り際の物販コーナーで衝撃的なゆるキャラを発見👇

おしまい


出典・参考資料
※1    『もっと知りたいゴッホ』著者 圀府寺司  東京美術 2007年

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