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  <連載小説> 沈み橋、流れ橋

―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―


第1章(14)


(*文末にお知らせがあります)
 美津とは所帯を持ち、「京縫」の女将である千鶴との間にも男児のいる駒蔵だったが、だからといってお茶屋通いが収まったという訳ではない。近頃頻繁に足を伸ばすのは、心斎橋界隈で一、二をあらそうという待合茶屋で、そこで商売仲間と「会合」という名の宴を開いていたときのことだった。
 厠に用を足しに行った際に、別の座敷のちょっとした騒ぎと出くわした。二人の客が一人の芸子の奪い合いをしている、と廊下を足早に往復する仲居が駒蔵に耳打ちした。客は老舗の大旦那と銀行員らしい。厠の順番待ちをして前にいた男が、その騒動を横目で見ながら、
ほんそ・・・すんのも大概にしいや」
 と、眉を顰めて呟いた。
 男の言葉が理解できなかった駒蔵は、四十になったばかりの自分より禿げ上がってはいるが若い、と踏んだその男に、
「ほんそ? ってなんでっか?」
 と気安く尋ねた。
 男は驚いた顔を駒蔵に向け、しばらくぽかんとしていたが、やがて笑みをこぼした。
「ああ、すんまへん。大阪では言いませんわな。ほんそする、で、可愛がる、大事にする、ゆう意味ですわ」
「ほんそする……」
「はあ、お恥ずかしい。出雲の田舎もんですが、うちの方言でしょうな。奔走する、から来とるようですわ」
「なるほど、奔走。可愛いもんのために奔走するから、ほんそする、か」
「はあ。ほんそご、ゆう言葉もあります。可愛い可愛い、目に入れても痛うない我が子のことですわ。ああそや。家系を継ぐであろう子、ゆう意味もあるらしいでっせ」
「ほほう。おもろいでんな。まあここでは、おまはんら、たかが一人の芸子やで。可愛がりすぎて喧嘩するとはアホちゃうかと。ええ加減にせえ、ちゅうことですかな」
 男はニヤリとして答えた。
「へえ、そうだすな。だんさんは大阪のお人だっか」
「へえ、生まれも育ちも」
 そんな立ち話から始まって、駒蔵は、松江から出てきて大阪で事業を始めたばかりという男と意気投合した。男は岡坂愛之助おかさかあいのすけと名乗った。

 先祖は兵庫県の浜坂町の出身で、三代目から島根県に移住し、愛之助は三代目の八男なので、全く「ほんそご」ではないと笑う。駒蔵が踏んだとおり年下だったが、禿げ上がった広い額に太く濃い眉は、意志の強さと溌剌さも感じさせる。特に駒蔵の目を引いたのは、話をするときに顔の前で躍動的に動く肉厚の手と器用そうな指先だった。駒蔵はその手に我が手を包まれてみたいような感覚を抱いた。
 ともに大阪に出てきた九男の弟、武一ぶいちとともに立ち上げたのが、鉱山機械を製造する会社だという。
「ほんで、その会社であんさんは何しますねん」
 愛之助が再び、驚いた顔で駒蔵を見つめた末に、口角を上げ、とんとんと指でこめかみを叩きながら言った。
「うちは弟と二人しかおらんのでっせ。ここ・・をぎょうさん使つこて考えますねん。これからの日本の産業に一体何作ったら役に立つんかを、だすな」
 自分が日本を背負っているような自信たっぷりな物言いと、子供のようにキラキラした目の光は駒蔵の気に入った。用を済ませた後も、二人は待合の中庭を囲む廊下に佇んだまま、しばらく話を続けた。興味のある話題になら我を忘れて没頭できるところは、自分に似ている。駒蔵自身、彼との話の間中、今日、明日に子が生まれそうなことなど微塵も思い出すことはなかった。すっかり打ち解けた二人は、別れる間際に次に会う約束も忘れずに交わした。
 その同じ夜、美津は、泊り込みで来てくれた産婆のもとで四男(四郎は養子に出したため、実際は五人目)を産んだ。富郎とみろうと名付けられた。明治三十(1897)年、秋のことである。最初は男児の誕生に狂喜した駒蔵だが、三人目あたりから「ああ、生まれたんか」くらいの反応になってきたので、いつもお産が軽いこともあってか、美津も「へ、産みました」とばかりにケロっとしていた。夫の不在が不安で辛いと思う気持ちは、いつしかどこかへ消えてしまった。

 岡坂愛之助との邂逅は、日本の工業化という時代の要請と相まって、駒蔵の商売を大きく躍進させることになった。
 彼が弟と設立した「岡坂鉱業所」はその時、鉱山資源を採掘するための機械製造所にすぎなかった。松江の実家は、兄、伊三郎が四代目を継ぎ、松江の目抜き通りで「悦笑軒えっしょうけん」という料亭を営み、川辺に船宿も開業する事業家であった。長姉のりんも宍道湖を臨む料亭「臨水亭りんすいてい」の初代亭主に嫁いでいた。武一とともに九男二女の末の二人である愛之助は、その華やかな家系図の端っこで我慢できる性格ではなかったようだ。愛之助は貪欲に、駒蔵に夢を語った。
「松江を飛び出すんは必然やった。この、俺の手で、大阪で兄たちを超える何者かになる」
 国力増強が求められるこの時代に、一丁やってみいひんか、の一点で共鳴しあった彼らがしたことはまず、「正栄社」と「岡坂鉱業所」の株をそれぞれ持ち合うことだった。日本が国力増強を目指す時代にあって、小さな会社がそれぞれ小さな花火を打ち上げたところで、時代の波を渡ってはいけぬと踏んだのである。さらに愛之助は馴染みのお茶屋で、さるお役人からはっきりと聞いたと、面白い話を持ち出してきた。
「勧業博覧会、ゆうもんがありましてな。日本の商品を世界に紹介するっちゅうわけですわ。初めは東京で、(明治)十年、十五年、二十三年とやって、第四回を二年前に京都、ほんで今度、大阪やそうですわ。三十六年の開催らしいでっせ。で、ですな。そこへうちらでなんか作って、出品しまへんか? 何か月も展示して、日本中だけやなしに、世界から人が見に来るんでっせ。どうだっか?」(つづく)

*駒蔵ファン(笑)の皆様に、お知らせです。 
テレビ東京系列の人気番組『開運!なんでも鑑定団』に、駒蔵が遺したお宝が登場することになりました。さて、結果は?
放送日は以下のとおりです。よろしかったらどうぞご覧ください。
・4月16日(火)20:54〜21:54(テレビ東京系列)
このほか、以下の枠で再放送があります。日は未定です。
・(木)19:54〜20:54(BSテレ東)
・(日)13:00〜14:00(テレビ東京系列)
また、見逃し配信(TVer)でも、4月24日(火)までご覧いただけます。
(一部、情報を変更しました。)

*なお、次回・5月1日は、番外編を掲載します。

* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。




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