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116基の古墳が身近にある「古墳の町」広陵町

「家を建てようものなら遺跡が出る」
「地面を掘れば土器が出る」
奈良県あるあるです。
そんななか広陵町には116基の古墳がある「古墳の町」と言われています。ぜひこのページを読み、古墳を身近に感じてください。


💡巣山(すやま)古墳 (国指定特別史跡)

奈良盆地の西部にある馬見丘陵には、4・5世紀に造られた大型古墳が多く、馬見古墳群と呼ばれています。なかでも巣山古墳は最大級の古墳で、周辺の新木山(にきやま)古墳(陵墓参考地)とともに丘陵中央部に集中する古墳群の中核をなし、昭和27年には国の特別史跡に指定されています。

⚫︎調査

周濠が農業用溜池として利用されており、水位変動や波によって墳丘と外堤の裾が大きく削り取られ、埴輪列が露出していました。このため、史跡整備と発掘調査を平成12年度から継続して進めています。
第1次調査では当初の墳丘規模が、全長約220m、後円部の径約130m、高さ約19m、前方部先端の幅約112m、高さ約16.5mであることが判明しました。
第2次調査では前方部北西隅から墳丘完成時に行われた祭祀に係わる木製鋤、周濠の北西隅では古墳に邪気が入り込まないように結界として立てられた靫形木製品が出土しました。
第3・4次調査は整備事業として行った周濠泥土の浚渫工事中に発見した出島状遺構の調査を行いました。水鳥・蓋(きぬがさ)・盾(たて)・家・囲(かこい)・柵(さく)形埴輪が出土しています。埋葬施設は後円部中央に竪穴式石室が2基確認され、前方部にも小石室が造られています。出土遺物は、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、棗玉(なつめだま)等の玉類と鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧(いしくしろ)等の石製品、滑石製の刀子(とうす)、斧が知られています。
周濠の北東角から準構造船の部材が出土している。馬見古墳群中最大の規模を誇り、古墳時代中期初頭の王墓と考えらています。

⚫︎遺構の概要

前方部の西側ほぼ中央部で墳丘から周濠へ張り出す出島状遺構は、高さ約1.5メートル程あり2段で築かれ、葺石を施しています。基底部で南北約16メートル、東西約 12メートル、上端で南北約11.5メートル、東西約7メートルを計測します。出島の東側は方形で、東辺(墳丘側)から南辺及び北辺へは直角に西方向に延び、南辺から南西方向、北辺から北西方向に突出部を設けています。南西突出部は幅約3メートル、長さ約4メートル、北西突出部は幅約3メートル、長さ約3メートルを測ります。突出部先端から続く石積みは、西辺の石敷きに結合させます。石敷きは幅約2.6メートル、長さ約8メートルで、州浜状に拳大の礫を敷き、他の辺より傾斜角度を緩くしています。出島状遺構の南東隅には大型で平板な石を立て、葺石傾斜角度を緩やかにし、西へ直線的に進み、突出部の基部で南西方向に大きく屈曲させ、先端部にも石を立てています。北東隅でも倒れた平板な石を確認しており、北辺へ葺石傾斜角度を緩やかにして西進し、突出部基部で大きく北西に屈曲させています。東辺には墳丘へ連絡する渡り土手があり、墳丘第一段テラスより約2メートル程低い位置から、上幅約2メートル、基底部幅約5メートル、長さ5メートル程残っています。渡り土手斜面には、出島状遺構の東辺から連続して葺石が葺かれ、前方部の墳丘葺石とは界石列を設け区別します。頂上部は蓮の根などにより撹乱されていましたが、石英の白礫を敷き詰め、形象埴輪を配していたと考えられます。
周濠は丘陵を大きく掘り込むことから、出島状遺構は当初から地山を削り出して造られと考えられ、渡り土手の取り付き位置を前方部3段目の前面前端に合わせることも計画的に築かれた証となります。
また、州浜状の石敷きの西側には直径約4メートルと3メートルの連続する円形の石積みが築かれていました。

⚫︎遺物の出土状態

本来、出島状遺構の頂上部平坦面に配列されていたと考えられる形象埴輪が数多く出土しました。原位置を保つものはありませんが、蓋形7点、家形7点、盾形3点、水鳥3点、囲形4点、柵形10点以上が出土しています。蓋形埴輪の傘部には四方に張り出す肋木飾りがあります。家は切妻、入母屋、高床があり、このほかに小型の家で囲形の中に入れ、配置されたと考えられるものが2点あります。水鳥は出島状遺構の南西突出部付近に置かれたと考えられ、頭部がまとまって出土し、周辺に胴、翼の破片が集中していました。平たい嘴をもつ雁鴨類を模したと考えられ、大きさが異なることから雌雄と子を表現したと思われます。囲形埴輪は平面が鉤形で入口を表現する鉤の手を右に置き、上端部に山形突起を設けています。柵形は出島状遺構の西側頂上部から転落した状況で検出されています。

⚫︎まとめ

巣山古墳は、大王の墓域が佐紀から河内へ移動する時期に築かれた前方後円墳で、大阪府藤井寺市の津堂城山古墳とほぼ同時期と考えられ、周濠内に島状遺構を設け、水鳥形埴輪を配する点は非常によく似ています。

墳丘から渡り土手を設け、出島状遺構に蓋、家等の埴輪を置き、王の居館を埴輪によって再現するところは、三重県松阪市宝塚1号墳の埴輪配列にも共通するものと考えられます。出島状遺構の埴輪は、外堤から臨場感をもって眺められることから、王の威厳を埴輪で表現し、広範に人々に見せる場所であった可能性もあります。
また、前方部に設けられた出島状遺構の祭祀は、造り出しで行われる祭祀とは異なると考えられ、出島状遺構の突出部や立石が三重県上野市城之越遺跡に酷似することから、外堤から途切れることなく湧き出す水を神聖視し、首長が司る水に関わる祭祀を表現しているのかもしれません。大王墓に匹敵する巣山古墳で執行された様々な祭祀は、古墳祭祀を考える上で極めて重要な資料であるといえます。
(広陵町HP「観光 古墳」「観光 巣山古墳概要」から引用)

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📍 場所はここ
🅿️一番近い駐車場
馬見丘陵公園 東側駐車場(場所はこちら)

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💡 史跡牧野(ばくや)古墳

牧野古墳は、古墳時代後期末葉に造られた直径約60メートルの大型円墳で、墳丘は三段築成で造られ、二段目に横穴式石室が開口しています。
全長17.1メートルある奈良県下最大級の石室があります。被葬者は、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の成相墓(ならいのはか)の可能性が高いとされています。

\ 内部特別公開 /

普段は閉鎖しており、事前申込みによる見学のみ受け付けていますが、公開期間中は、どなたでも事前申込みなしでご覧いただけます。
また、この期間は、広陵町文化財ガイドのみなさんによる案内があります。

天井が焦げていて誰かが野営をしていた可能性があります。入り口付近の地面には何かを擦った跡があり、夜盗に荒らされた古墳だと推測されています。

🎥2023年春季特別公開の様子
5/3、5/4、5/5  10:00-15:00

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📍 奈良県北葛城郡広陵町馬見北8丁目6−4
🅿️牧野史跡公園駐車場(場所はこちら)
📞問い合わせ
0745-55-1001(内線1351)
広陵町教育委員会事務局 教育振興部 生涯学習文化財課


💡三吉石塚(みつよしいしづか)古墳

近くの「新木山(にきやま)古墳」の西に築かれた東向きの帆立貝形古墳で、墳丘全長45メートル、直径41.4メートル、高さ6.5メートルの後円部に幅22メートル、長さ7メートルの短い前方部が付きます。

周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、さらに外堤があり、堤を含めた全長は62メートルとなります。

墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家形埴輪が立てられていました。墳丘と周濠には葺石(ふきいし)が施され、葺石の作業単位がよく残っています。前方部の南東隅には張出部が設けられ、周濠幅が狭くなっています。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられます。

古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿に復元整備されています。円筒、朝顔形埴輪は、出土遺物に基づいて製作した複製品を設置し、葺石も築造当時の積み方で葺いています。

奈良県の指定史跡ともなっています。
(広陵町HP「観光 古墳」より引用)

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🅿️なし

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💡新木山(にきやま)古墳 (陵墓参考地)

丘陵中央群のうちでも南に位置し、前方部を東に向ける墳丘全長200メートルの前方後円墳である。後円部径117メートル、同高19メートル、前方部幅118メートル、同高17メートルを測る。くびれ部には造り出しが付き、周濠、外堤が伴う。周濠は後円部で幅20メートル、外堤部で幅25メートル、外堤部は幅20~22メートルで高さ3メートル以上あったと考えられる。

古墳の築造時期は円筒埴輪から古墳時代中期前葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられる勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、棗玉(なつめだま)が宮内庁に保管されている。

巣山古墳とともに馬見古墳群で中核をなす大型前方後円墳である。
(奈良県広陵町HP「観光 古墳」参照)

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🅿️なし

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💡佐味田狐塚(さみたきつねづか)古墳

馬見丘陵公園にある佐味田狐塚古墳は、南北方向の主軸をもつ古墳時代前期の帆立貝形の前方後円墳です。巣山(すやま)古墳の西北方に位置します。墳丘全長約78m、後円部径約55m、前方部幅約31m、くびれ部幅20m、と復元されています。後円部では周壊が確認されています。

後円部中央の墓は南北約10m、東西約4.5mです。盗掘抗内から銅鏡細片1、カ子1、などが出土しました。

何か模様がありますがその模様が何なのかは
僕には分かりません。

都市計画道路により墳丘の真ん中を南北に分断されています。道路の緑色の印は、「ここは古墳だ」という目印です。

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(馬見丘陵公園 南エリア)
🅿️ 一番近い駐車場
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💡倉塚古墳(スベリ山古墳)

馬見丘陵公園のカリヨンの丘から北に歩いたところに丘があるのをご存じでしょうか?
何気なく登ったり、ここで鬼ごっこをした人は多いと思います。
そうこの丘こそが古墳なのです。

●詳細不明な古墳

墳丘主軸を東西方向にとり前方部を東に向けた前方後円墳です。
発掘調査されていないため詳細は不明です。

● 大きさ

墳丘全長約180m、後円部直約106m
前方部幅約70mを測ります。
後円部南西側には幅約10mの濠状の窪みがありその外側に幅約15mの外堤状地形が残っています。

● 西暦400年に造られた

1951年の採土中に北東側外堤の円筒輪列の間から円筒輪をに使った埋葬施設が発見されました。
その輪の特徴からこの古墳は西暦400年を前後する時期に造られたと見られます。

●疲れたらベンチもあります
古墳近くにはベンチも複数あります。
木陰になっていますので涼みながら読書をされる方を見る機会は多いです。

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(馬見丘陵公園 中央エリア)
🅿️一番近い駐車場
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💡 一本松古墳

ここを古墳と知らずに歩いている方も多いでしょう。場所は倉塚古墳の目の前にあります。
古墳の上でピクニックできるのもこの公園の魅力かも知れませんね。

⚫︎墳丘の測量調査によると

前方部を北東に向けた全長130mの前方後円墳であることが判明しているます。後円部直径は約80m、前方部幅約80mを測ります。
2006年に後円部南東側隣接地において発掘調査が行われ周壕の一部と外堤が確認されました。
※現地設置の看板から引用

⚫︎4世紀末ごろの円筒垣輪

外堤上面では輪墓と土坑墓がそれぞれ1基
検出され、輪墓に使用された円筒輪は4世紀末ごろのものと見られます。
なお、この外に接して一辺12~14mの方墳(一本松2号墳)も検出されています。

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(馬見丘陵公園 中央エリア)
🅿️一番近い駐車場
馬見丘陵公園 東側駐車場(場所はこちら)

\ 動画で見る一本松古墳 /


💡ダダオシ古墳

5 世紀後半に造られた全長約50mの 前方後円墳です。

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(馬見丘陵公園 南エリア)
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💡北今市1号墳

奈良県香芝(かしば)市今市(いまいち)3丁目にあった古墳時代後期の円墳です。
墳丘の規模は直径25m・高さ5.6mで埋葬施設は長さ5.5m・幅1.7m・高さ2.6mの横穴式石室でした。

⚫︎石室

二上山でとれる凝炭岩で作られた家形石棺が二つ納められていました。
二つとも、葺石3枚・側石6枚・底石4枚からなっており内側の大きさは、奥の程が長さ185cm・幅64cm・高さ55cm、前のの長さ180cm・幅76cm・高さ60cmです。

⚫︎ 石室内

盗堀であらされていましたが、石の中から琥珀・銀・ガラス製の玉や銀製の耳飾りが石棺の周囲から金銅製の刀の柄頭、鉄製の刀・矛・鏃・轡・鞍・鐙などの馬具、高杯・壺・甕などの土器が残っていました。

⚫︎ 実はベンチも

座っている人をほとんど見たことありませんが一応休憩が可能です。
屋根があるので案外雨宿りにはぴったりなのでは?

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(馬見丘陵公園 中央エリア)
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💡北今市2号墳石棺

香芝市の北今市3丁目にあった古墳時代後期の方墳(ほうふん)です。
墳丘の規模は一辺14~18m・高さろ.5mで、石室はなく、二つの家形石が直に埋めて込まれました。一方のは盗掘で破壊されていましたがもう一方は埋葬時の状態を保っていました。

⚫︎ 石棺

二上山(にじょうざん)でとれる凝灰岩を用い
蓋石(ふたいし) 3枚・側石(がわいし)6枚・底石4枚からなっています。
蓋石の1枚は、なぜか他の2枚と質や形が異なっています。

中には熟年の男性と4~5歳児の2体分の人骨が遺存していました。
遺物は、成人人骨の頸部から滑石性の小玉8個、体の右側から鉄刀1本が、石棺の外から鉄の鏃(やじり)8本が出土しています。
理薬の時期は、7世紀の前半頃と考えられます。

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(馬見丘陵公園 中央エリア)
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💡三吉一番地古墳の石室

●墳丘

平安時代後期に削り取られ、石室も盗堀を受けており、天井石を失っている。石室は尾根の南斜面に幅1.7m、長さ3.8m以上、深さ約1.0mの墓穴を掘って構築されている。

●石室

無袖(むそで)の横穴式石室で石室長335cm、幅84cm、高さは推定で約90cmと考えられる。南に開口し、石室主軸はN-5°、40’-Wにある。左側壁はほぼ中央にある長辺40cm、短辺30cmの縦に置かれた花崗岩(かこうがん)を基準とし、この石周辺では花崗岩をほぼ3段で積み上げ、奥壁までは輝石安山岩(きせきあんざんがん)を4段から5段小口積(こぐちづ)みにする。床面から約50cmの高さまでは、垂直に立ち上げ、それ以上は平らな輝石安山岩を主材として5段から6段、小口積みで持ち送る。右側壁は開口部付近の一辺50cmの方形の花崗岩を基準に積み上げられたと考えられる。基底部より3段から4段は垂直に立ち上げ、それ以上は持ち送る。奥壁は、側壁に比べ乱雑に積まれている。

●石材

凝灰岩(ぎょうかいがん)の家形石棺(いえがたせっかん)の破片が使用されたり、隅々の石材が小ぶりであることから、石室材は産出地から運ばれたのてはなく、周辺の大型前方後円墳の葺石(ふきいし)などから調達し、石室を構築したと考えられる。

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(竹取公園)
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