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「奇跡」をアテにするデメリット


「奇跡」をアテにするようになったきっかけ

最近はそうでもないが、私は「神頼み」に走ってしまうことがあった。自分の努力より「目に見えざる力」を信じ、うまくいかないと
「そういう運命のもとに産まれたのだな」
と思ってしまう。

こういう人は、自分で決め、精一杯努力するということを怠りがちである。
うまくいかないのは自分の努力不足のせいなのに、他人のせい、運命のせいにする。すごく迷惑な人間なのである。

私がこういう考えに陥ったきっかけは、何度か書いているが、高校一年の冬、周囲の予想を覆し、放送コンテスト(朗読)で県1位をとったことである。

大会に先立ち、部員同士で点数をつけあう「校内予選」というものがあったのだが、私はこの校内予選で最下位(4人中4位)であった。2年生の先輩に負けたのは当然のことであるが、他の1年生よりも点数が低かった。とはいえ僅差であったが、校内予選で私に勝った1年生は、なぜか私に対して上から目線になっていた。

その私が本番では県1位になってしまうのだが、高校生の部員同士の採点より、本番では、審査委員長のNHKアナウンサーの目(耳?)が優先される。
校内予選の結果なんて考慮されるはずがないし、審査員は知ったこっちゃない。
だけど、私が校内予選で最下位だったことを強調し、何度も
「最下位だった校内予選から1ヵ月ですごい上達したんだねえ」
と繰り返す同級生がいた。
彼女はアナウンス部門の校内予選で4人中3位だったのだが、県大会の予選落ちであった。一方、校内予選で4位だった同級生は県大会3位であった(県大会2位、3位はそれぞれ複数人いる)。
彼女が何度も校内予選の話をするのは、自分の結果に納得いってないからで、
「どうして私は3位なのに予選落ちで、4位のあの子が県3位だったの!?」
と言いたいのであろう。
誰かから、
「校内予選では、あなたが上位だったのに、おかしいね」
と言ってほしかったのであろう。
当時の私はそこまで考えが及ばなかったので、彼女にそう言ってあげることができなかった。ごめんね。

周囲から「奇跡だ」「予想外だ」のように言われることにちょっとむっとしつつも、誰より私自身が「奇跡が起こった」と思っていた。
同時に、2年の夏の大会では誰も文句の言えない朗読で優勝してやる、という気持ちもあった。滑舌が弱いと自覚していたから、とにかく滑舌を練習した。だから努力もしたのだが、心のどこかで「神頼み」「ゲン担ぎ」をアテにしていた。
もし自分の努力を信じていたら、滑舌を磨くだけでなく、もっと素晴らしい朗読ができるように努力したことであろう。はっきり言って、私は滑舌しかやらなかった(苦笑)。


私の成果は「奇跡」ではなかった

私が1位に選ばれた理由は、大会後に聞くことができた。審査委員長のNHKのアナウンサー氏によると、
「いまは粗削りだけど、すごい将来性を感じる」
ということであった。
この講評のとおりであれば、私の成果は、べつに奇跡でも何でもない。プロのアナウンサーが「粗削り」と言うのだから、現時点で上手なわけではなく、高校生同士の採点で「僅差で」下位であっても不思議ではない。技術が高く、耳の肥えたプロは「将来性」を見出すことができたが、高校生には理解できなくても不思議ではない。
なにより私は、大会前に先輩や同級生が談笑していても仲間に入らず、ひたすら練習をしていた。大会直前に期末試験があったが、テスト直前の休日も学校で練習していた。こんなに努力していたが、優勝しようなどという欲はまったくないので、本番でリラックスして読むことができた。「いまできる最高級の朗読」ができるだけの技術的、心理的な準備がしっかりできていたのだ。

このとき「奇跡が起こったのではない、必然の結果だ」と自覚できれば、私は2年夏の大会に向けて、滑舌練習だけでなく、必要な努力をしたことであろう。自分の朗読にある「強み=将来性」とは何かを考え、それを伸ばす努力をしたことであろう。私は滑舌が悪かったが、それ以上の何かがあったから、半ば特例のような「優勝」を成し遂げられたのである。
「次は全国優勝、それを自分の力で成し遂げてやる」と決意し、何をすればいいか、大谷翔平の曼陀羅図チャート並みにしっかり考えて努力できれば、
たとえ目標が達成できなくても、もっと謙虚かつ賢い人間になれたのではないかと思う。


「奇跡」をアテにするデメリット

上記のように考えることができれば、部活だけでなく、その後の人生にも影響を及ぼしたはずである。神頼みなんてせず、目標を決めて、そのために何をすべきかを冷静に考え、努力できる人間になっていたことであろう。
しかし、「私の人生はうまくいくはず」という甘えがどこかにあったので、勉強もできるようにならず、大学受験に失敗した。
就活もそうだったし、その後も自分でどうにかしようとせず、
「どうにかうまくいってくれないだろうか」
という神頼みに走ってしまったことは何度もある。

こういう人間は、自分でどうにかできることを努力しないくせに、自分ではどうにもできないことを変えたがる。
なんせ「奇跡」を経験した私である、どうにか状況が「奇跡的に」変わると期待してしまうのだ。
当然ながら、それでうまくいくはずがない。それでも自分の努力が足りないという自覚がなく、うまくいかないと周囲のせいにする。

そうやって生きてきたが、ここ数年、仕事で経験したあるプロジェクトを通し、他人や神様に頼らず、自分がやるべきことをコツコツやれば、スムーズに大きな成果を出せることに気づいた。
プライベートでも、英検準1級受験にあたって「予想問題を解きまくる」という当たり前の努力をすれば一発で合格した。
いまさらであるが、奇跡が起こらなくても、やるべき努力をすれば目標は叶うことを実感している。
もう一度言うが、奇跡などアテにしてはならないのだ。奇跡が起こらないとは言わないが、奇跡は「やるべき努力」をしっかりやった人にしか降ってこない。


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