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東京の大学生になれるなら、ガリ勉でもべつによかったな

ガリ勉扱いされた中学時代

中学は田舎の公立中学だったのだが、成績が良かったので、周囲からガリ勉扱いされた。成績が良くてもガリ勉扱いされない人もいるだろうけど、私は他に得意なこともなかったし、華やかだったり可愛い女子でもなかったので、ガリ勉扱いされた。
当時、塾通いはしていなかったが、勉強が苦痛ではなかった。勉強が苦痛でもないのにやらずに先生に怒られるとか、悪い点数をとるのはバカらしい。
勉強しないからといって、その時間にやりたいこともない。だったら勉強するしかない。
それだけのことなのに、同級生からはガリ勉扱いされた。いまとなってはどうでもいいことだが、14歳とか15歳の女子がガリ勉扱いされて面白いはずがない。当然憂鬱であった。

なお、高校に入ると早々に落ちこぼれてしまい、何をどうすればいいのかわからなくなったが、やっぱり「勉強が苦痛」というところまではいかなかった。
私のレベルで言うのはおこがましいが、勉強が得意な人は、新しい知識を取り入れることが自然にできる。教科書や参考書を読むことも苦痛ではない。
そうやって訓練を積んでいくと、大人になってからも、例えば書籍やWEBサイトをぱっと見て必要な情報を見つけたり、記憶したりできるようになる。仕事は情報収集力や記憶力だけで何とかなるものではないので「勉強ができる=仕事ができる」ではないが、こういう能力があると仕事の処理スピードが上がるので、高いに越したことはない。


ガリ勉の結果、得られたもの

前述のとおり、高校に入ると早々に落ちこぼれてしまったが、一浪して東京の一流(ということになっている)大学に進学した。卒業後は氷河期なのに優良企業に就職し、その会社は辞めてしまったが、転職しても東京でまあまあの生活ができている。大学受験、キャリアについては反省しかないが、東京都心で不自由なく生活し、たまにはお金のかかる娯楽を楽しみ、資産形成もできているのはまあ社会的には成功といえよう。

中学の同級生とはSNSでつながり、同窓会にも参加しているが、ガリ勉扱いされることはない。むしろ、いつも飲み歩いている遊び人のように言われる。たしかにコロナ前の私はよく飲んでいたし、近場にも遠方にも出歩いていた。
同窓会の常連で、なおかつ私と仲良くしてくれるような人はいい人ばかりなので、昔の話を蒸し返して「おまえ、ガリ勉だったよな」とか言う人はいるはずがないんだけどね(苦笑)。
私に面と向かって「ガリ勉」と言った女の子はちょっと距離を置きつつ、普通には接してくれる。

大人になって思うのは、私はガリ勉(とも思わないが)の結果、当時想像もつかなかった未来を歩んだ。
中学2年くらいまでは、地元の国立大学の医学部は難しいし医者にもなりたくない、教育学部を出て先生か、法学部を出て司法書士か(弁護士とはいわないあたり己を知っている)くらいの未来しか想像できなかったのに、その5~6年後には東京で一人暮らしをし、名前だけは知っていた大学の学生になっていた。さらに20年後、人生にまったく不満や後悔がないわけではないが、私にとっては東京でのサラリーマン生活はとても快適である。
こんな未来が手に入るのであれば、ほんの数年ガリ勉扱いをされても十分おつりが来るのではないか。むしろもっとガリ勉して、新卒で三〇〇事か三〇〇産に入れるくらい頑張ればよかったのではないかと思うくらいである。勉強ができるだけで入れる会社じゃないけどね!(笑)


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