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ブラック部活で転落した中学生のはなし

中学に入学すると、迷わず陸上部に入った。理由は、小学6年の頃に読んだマンガの影響だったと思う。主人公の女の子が、陸上を通して成長する、というまぁ、よくある話に、なんとなく共感したのだろう。

しかし、実際に入部した陸上部は、いわゆる「ブラック部活」だった。
まず、水を飲ませない。今では考えられないような話だが、当時は「水を飲む奴は軟弱」という、わけわからん指導がまかり通っており、どんな暑い日の練習でも決められた時間以外の飲水は禁じられていた。荒川の土手で2時間、タイムトライアル、長距離走、ダッシュなど繰り返す練習量に比して、飲水は一回だけなので、時々、気が遠くなりそうになったことを覚えている。

仕方なく、許された飲水時間に、こっそりタオルに水を充分に含ませておいて、それをすするという荒技を編み出した。気の利いた子は、先生や先輩の目を盗んでこっそり飲んでいたが、変に真面目な私は、タオルに水を含ませ作戦くらいしか出来なかった。

家に帰るやいなや水やポカリスウェットをがぶ飲みした。喉が渇いて渇いてどうしようもなく、とにかく飲めるだけ飲んだ。お腹は水膨れでたぷんたぷん。水分で膨れ上がったお腹で、しばらく動くこともできなかった。そして時々、吐いた。

また、先輩がやけに厳しかった。練習内容に厳しいのではなくて、「一年生なのにジャージの裾を折った」というしょうもない理由で睨まれたり、呼び出されて叱られたり。また、「練習中、先輩を追い抜いた」という理由で悪口を言われたり。たった一年上というだけで、どうしてそこまで理不尽な威張り方をするのか不思議だった。不思議だったけれど、逆らうなど思いもよらず、ただ小さくなっていたことを覚えている。

そんなブラック陸上部だったが、当時の体育会系部活にはどこも同じような雰囲気がまかり通っていた。何回も辞めたいと思ったが、先生の指導は非科学的な根性論だったし、先輩は怖いし、とてもとても辞めます、などとは言い出せなかった。「途中で辞めるなんて人間のクズ」のような雰囲気があったように思う。

だんだんと練習に出られなくなっていった仲間のことも、なぜ出られないのかを考えるよりも先に「ズルい」「サボり」と悪口を言い合った。顧問の先生からして「あいつはサボりだ」「根性がない」など部員の前で平気で言っていた。

「仲間で支え合おう、助け合おう」という雰囲気はあまりなかったように思う。「自分がこれだけ辛い思いをしているのに、それをしないでいる人を許せない」との歪んだ感情が、「サボった人を罰する」という集団行動に結びつかせていた。皆、練習に来ない(来られない)同級生や下級生には、学校でも冷たい態度をとっていた。

ただ、ただ真面目に練習に取り組んだ。とりあえず走り込んでいると、だんだんとベストタイムが上がってくる。次第に、区大会や都大会で入賞することも増えてきた。顧問の先生からも「よくやった」「いいぞ!」など声をかけられる。先輩たちからは疎んじられてはいたけれど、ますますがんばらなきゃと必死で走った。水も飲まずに。とにかく走り続けた。走れない、走らない生活など考えられなかった。何も考えず、ただひたすらに。

しばらく経って、私は「鉄欠乏性貧血」になった。

原因は、陸上の練習中に適切に水分補給せずに家で水などをがぶ飲みし、食事を満足に取れなくなったことによるものだった。そりゃそうだろう。成長期に過酷な運動をしているのに、必要な栄養素が全く足りていないのだから。体重も激減し、いつも疲れていて、いつも眠かった。

もちろん陸上部での練習についていけなくなった。タイムトライアルでは全く伸びなくなったし、後ろの方を何とか走っているような状態になった。

けれど、誰もそのことを気にしてくれはしなかった。顧問の先生も、そんな私を励ましたり、相談にのってくれるようなことはなかった。
「たるんでる」「もっと根性だせ」「気合いを入れろ」
そんな言葉が虚しく響いた。

今まで先頭を走ってきたのに。大会で表彰もされたのに。練習も引っ張ってきたのに。水も飲まなかったのに。

何かがプツンと切れた。

「もう、いいや」
私の中で何かがそう呟いた。あれほど軽蔑した子たちのように、私は練習に出るのをやめた。

一度、練習に出なくなると、ますます出られなくなった。周囲の状況は一変し、私は学校でも陸上部の子達から距離を置かれた。恐らく悪口も言われてたと思う。自分を取り巻く不穏な空気に、居心地の悪さを感じつつも、どうしようもできなかった。

自信がなくなって常にオドオドとした態度になっていった。その分、勉強をがんばればよかったのに、全てにやる気を失って成績も下がっていった。勉強をしないので、授業についていけなくなってきたが、何とか赤点ギリギリで乗り切るようになっていた。

「このままじゃいけない」とは強く思うものの、やれる自分、やり切れる自分が全く思い描けず、ただ逃げるしかなかった。逆境に立ち向かう気力も体力も尽きていた。

急に変わった私の様子に、親は心配はしたと思う。しかし、特に何か言ってくることもなかったし、動いてくれることもなかった。私も親には自分の気持ちを伝えることはしなかった。陸上部をサボっていることも、成績が下がってきたこともひた隠しにした。とにかくこれ以上、自分を責める相手を増やしたくなかった。自分を守ろうと必死だった。どんどん自分の殻に閉じこもり、周囲との溝を深めていった。

一方で、学校では、いつも明るくふざけて過ごしていた。プライドが高く自意識過剰な私にとって、学校でのカーストが下がるのは耐えられなかった。すでに陸上部のメンバーや先輩からは睨まれていたので、それ以外のクラスメイトとつるんで「まったく寂しくないよ」感を出していた。虚勢を張って、面白くなくても笑い、楽しくなくても楽しいフリをしていた。

だから、学校が終わるといつもグッタリと疲れ切っていた。「ようやく終わった」と毎日、毎日、思っていた。家には親がいて、そちらも気を抜けなかったけれど、とりあえず学校を乗り切ることが精一杯だったと思う。

なぜ?なぜ、そこまでして?何をあなたは守りたかったの?何をしたかったの?どう生きたかったの?
大人になった私が、当時の私に問いかけてみる。

は?何言ってんの?毎日、毎日、生きるのが精一杯の人間に。ようやく生きてる人間に。その場その場をこなすのが精一杯の人間に。今、この瞬間を乗り切る、この瞬間を生き抜く。それ以外、何があんだよ?安全な、守られた場所にある人間が何言ってんの?テメェに何が分んだよ。上から目線でうんざりすんだよ。正論上等。勝手にほざいてな!

あの時の私の、煮えたぎるような熱い怒りが、真っ直ぐに私を刺していく。

そう。
あの時の私が心の底から欲しかったもの。どうしようもなく求めて求めてやまなかったもの。

それは、そっと寄り添ってくれる存在。

良いか悪いか、正しいか間違っているかの判断ではなくて。こうすれば良い、こうしなければならないとの忠告でも、べき論でもなくて。

ただ、そっと傍らにいてほしかった。私の気力と体力が整うまで、一緒に待っていてほしかった。大丈夫、大丈夫だよ、と寄り添ってほしかった。私がまた、自分自身を信じられるまで、前を向いて歩けるまで、未来からの風を感じられるまで、側にいてほしかった。

忘れない。忘れないよ。
寂しかったね。辛かったよね。苦しかったよね。私は、あなたを忘れないよ。
今、あなたを、どうしようもなくて息ができずにいるあなたを抱きしめにいくよ。
そっと。ぎゅっと。
ほら、いつでもそばにいるよって。怖くないよって。大丈夫。あなたはあなたのままでいいんだよって。いっぱい泣いてもいいんだよって。

そして、またゆっくり歩きだせばいい。あなたのペースで。あなたの思うままに。そう。もう走らなくていいんだよ。あなたを縛る何者かを解放しよう。赦そう。手放そう。
あなたは、あなたからも自由だよ。

時間はかかったけれど、今、私はあなたを、精一杯に生きたあなたを誇りに思うよ。
いつも、いつでもそばにいるよ。だから、ほら、あなたを楽しく思い出せる。あなたを、苦しんでいた頃の私を、優しく思い出せるよ。

ありがとう、あの頃の私。



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