友達の家の話

M橋の高円寺のアパート。
高校卒業まで、俺たちは地方住まいだった。
M橋とは赤ん坊の時からの付き合いである。
俺の母親とM橋の父親は、小学校で会長と副会長だった。M橋の母親と俺の母親とは、同じ女子校で同級生だった。
で、母親の実家とM橋の家は徒歩5分ほどだったのである。
だから、俺とM橋とは、精子と卵子の時からの付き合いと互いに言ってた。中学3年生になって、また同じクラスになり、深い交わりになってからの話であるが。
幼稚園は私立の名門を2人とも受けたが、俺は合格したがM橋は試験に落ちてた。高校大学と俺よりワンランク上の学校に進学したのだが、彼的にはそれが屈辱だったらしく、社会人になって飲んでる時にもその話はされていた。
小学校は1,2年と同じクラスだったが、3年の時に親の転勤で引っ越して行った。それからは没交渉だった。
中学の時にまた俺の転勤で、同じ中学校に通っていたが、クラスが違ってたので、絡みがなかった。
で、中3になって同じクラスに。そこで喧嘩を売られた。トイレに呼び出されて、顔面なしボディだけのルールで、1ラウンドのボクシングをすると言うのだ。仕方なく俺は、その喧嘩を買った。
で、殴り合って、それから昔のように仲良くなって、互いの家に遊びに行ったり、クラスでも同じ派閥を組んでつるんでいたのだった。

そして大学進学の時。M橋が大学の1,2年の時に住んでいた高円寺のアパートの事を話そう。
彼がアパートを決めた頃、少女漫画で高円寺あたりと言うのがあって、それを読んでいたから高円寺がピンと来た。
今は高円寺は商店街やショップとかで、それなりにメジャーだが、昭和の頃はもっとマイナーで地方民には知られてない地名だったから。

高円寺南口から、徒歩10分くらいだったかな?15分か?
高円寺の商店街を過ぎて、大久保通りを渡り住所は中野区だった。
高円寺だからそれなりの家賃だったかな?
二階建てのアパートで、玄関は共同。入り口には左右に靴箱があったが、入りきらない靴が叩きに並んでいた。
廊下がありその右側に部屋があった。いきあたりが共同のトイレだった。
部屋の入り口には半畳もないキッチン。
そして6畳一間。
風呂はなく、近所の銭湯だった。
部屋の壁は薄く、部屋でテレビやステレオつけてる時は、音量を小さくしていた。
泊まりに行っても、小声で話していた。少しでも大きな声、と言っても普通の声量、を出すと静かにと言われたなぁ。

流石に風呂なしトレイ共同はキツかったのだろう。
3年になるときには拝島に引っ越した。引っ越しは軽トラを借りて、俺と2人で荷物を運んだよ。
その資金稼ぎに高田馬場の喫茶店でバイトしていた。
通学は電車ではなく、スクーターだったなぁ。大学1年の頃は電車だったが。
だから拝島に移ってからもスクーター通学だった。駅からは徒歩結構あったと思う。俺は駅に迎えに来てもらって、スクーターに2ケツでアパートにあったからなぁ。
高田馬場の喫茶店は、大学3年まで続けていたのは覚えている。
俺は小田急沿線に住んでいたので、高円寺時代は行きやすかったが、拝島は遠いしアパートまで遊びに行く頻度は減っていったのでした。

社会人になる時、M橋は西武新宿線の下井草駅に引っ越した。下井草駅は俺が大学2,3年の時付き合ってた女の子が住んでいたので、俺にも土地勘があったよ。
ただ、社会人になってたから、毎月は行けなくなっていた。
またM橋は俺の部屋によく来てたが、2階の俺の部屋の台所の窓の開いてるところから忍び込んで、スーパーに買い出しに行ってた俺が戻って来たら、誰もいないはずの部屋からテレビの音が聞こえてビビると言う事件もあったなぁw

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