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健康マインド(昭和の女流歌人❗)「山口洋子」              

1937年(昭和12年)名古屋市に生まれた山口洋子。
16歳で名古屋市内に喫茶店「洋子」の雇われ店長になった経歴ですので、早熟な才人ですね〜❗
1957年 東映のニューフェイス4期生になり佐久間良子・花園ひろみ・山城新伍・室田日出男が同期です。
女優業は2年ぐらいでやめて、東京の銀座でクラブ(姫)の経営者になります。当時の銀座のクラブとしては気楽に楽しめる店として人気だった様です。

山口洋子が19歳で銀座にオープしたクラブ(姫)

その後1967年(昭和42年)友人の歌手(神楽坂浮子)に提供した(銀座化粧)で作詞家としてデビューします。
その後数多くの作詞と小説の執筆で直木賞を受賞、テレビ出演他多方面で活躍しました。

今回は作詞家としての山口洋子です。

1971年 大ヒットした(よこはま・たそがれ)は34歳の時ですね。もうその頃には男女の裏表も知り尽くした大人の女でした❗

♫よこはま たそがれホテルの小部屋  くちづけ 残り香煙草のけむり  ブルース 口笛女の涙  あの人は行って行ってしまった あの人は行って行ってしまった もう帰らない♫

未だに大人になりきれない私には、男女の仲はよく理解できない分野ですので、山口洋子の作詞の魅力を伝えきれません。

五木ひろし再デビュー作品(よこはま・たそがれ)が大ヒット❗

五木ひろしのヒットを量産します❗
1971年(長崎から船に乗って)
1972年(待っている女)
1973年(ふるさと)(夜空)
1975年(千曲川)(ふたりの旅路)1976年(愛の始発)

他の歌手にもヒット曲を❗

1970年 野村真樹「一度だけなら」
1974年 中条きよし(うそ)
1976年(八代亜紀)「もう一度逢いたい」

「もう一度逢いたい」 :山口洋子 作曲:野崎真一

♫ あんな男と 言いながら  今日も来ました 港町  波のむこうは また波ばかりの 片想い  さようならも 聞こえない  情なしの うつり気の後影 もう一度逢いたい


私は勘違いしましたが、トワ・エ・モアが歌った「誰もいない海」の作詞は山口洋子さんですが、この方は同姓同名の詩人で詩集「舘と馬車」を出版した1955年生まれの女性です。

私の山口洋子ベストはこの曲❗

1969年 猪俣公章の曲に詩をつけて、作詞家山口洋子の名前が刻まれた最初の曲です。

青江三奈「酒場人形」


♫ おとぎ話をまともに受けて 酒場人形が 夢を見た あなたの書いた 筋書きどおり 泣かされたのは ああ ああ 私ひとり

♫ 無理にはずした指輪のあとが 燃えた名残の 恋の傷 雨と一緒に 泣き泣き帰る 捨てられたのは ああ ああ 私ひとり

♫ 別れ言葉を 背中にきいて 涙見せずに さようなら どうせ酒場の恋物語 騙されたのは ああ ああ 私ひとり


銀座のクラブ「姫」の店内

成瀬巳喜男監督の「銀座化粧」や「女が階段を上る時」は1960年の映画ですが、山口洋子の歌の世界はこの頃を彷彿させます。
小説「演歌の虫」に描いた昭和の世界があります。

1985年 直木賞受賞作品集

2014年 77歳で亡くなります。
(お別れの会)では山口洋子の歌(渚の女)を五木ひろしが歌って送りました。

逢いたくなったら ひとりで海に来て
名前をお呼びと云ったひと
別れてはじめて あなたの優しさが
しみじみわたしにわかります
渚によせる
しろい哀しいさざ波
女ごころをぬらして
二度とかえらぬ 夢を呼ぶ

合掌

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