「もっと才能を持った架空の私」

「もっと才能を持った架空の私」

世の中には奇跡としか思えない詩集というものがあります。それはもちろんわたしだけがそう思っているわけではなく、多くの人がそう思うわけで、そういう詩集というのは、自然、みんなが知っている有名な詩集になるわけです。

それは、萩原朔太郎『月に吠える』であったり、中原中也『山羊の歌』であったり、北原白秋『邪宗門』であったり、清水哲男『水瓶座の水』であったりするわけです。こういう詩集というのは、読んでいると、読者の立場から、いつの間にか書き手の立場になっていることに気付くことがあります。「ここはこんなふうに書きたくて、だからこのように書けたんだ」と、人に自慢したい気持を持ってしまったりするのです。「人の詩集」なのに「ひとごとでない」ものを感じるのです。出来上がった作品の見事さとともに、それを作り上げた詩人の発想のもとや、苦心のあとまでもが、はっきりと見えてくるのです。ひとつひとつが自分の創作体験のように想像されるのです。それがなぜなのかをわたしは知りません。しかしわたしには「ますぐなるもの地面に生え、」と、書き始めたときの、朔太郎の興奮が手に取るように分かるのです。どんなに震えるような気持で書いていたか、次の行へ進める指の動きと、はやく書きとめたいという、あせりの心まで分かるのです。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と、中也があたまに思い浮かべたときの、心の震えを感じることこそが、この詩を読むということなのです。それはつまり、読むたびに私たち自身が、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」というフレーズを思いついた興奮を、再び体験できるということなのです。詩を読むとはそういうことなのです。

そのように感じることの出来る詩集が、もう一冊あります。石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』。この詩集をはじめて読んだのは、大学の、政経学部の図書室でした。大学の図書館と違って、学部の図書室は開架式でした。スチール製の無愛想な書庫を自由に歩き、好きな本をきままに手に取ることができる、しあわせな場所でした。もうその学部を卒業する日も近かった頃だったと思います。その日はぶらぶらと本を見て回るのではなく、はじめから一人の詩人の本を探していました。石原吉郎という詩人がいることを、それまでわたしは知りませんでした。現代詩手帖の投稿欄ではじめてわたしの詩をとりあげてくれた詩人でした。自分の詩を理解してくれた、それも驚くほど深く分かってくれたこの選者の名前を、わたしはそれまで知りませんでした。

窓の少ない書庫に、かすかに夕日の光が感じられる中で、わたしは文字通り震えながら現代詩文庫版の『石原吉郎詩集』を読んでいました。一篇一篇が奇跡のようにするどくわたしを通過してゆきました。生涯、あれほどの衝撃を、本を通じて感じたことはありませんでした。そこに書かれているのは、別の世界の、もっと才能を持った架空のわたしが書いたであろう、詩集でした。

生涯、はじめてわたしの詩を理解してくれたその人のその理解の理由を、わたしは知りました。

そして私は、まさしく自分が今書いているような気持で、長い時間をかけてその詩集を読みおえました。

夜の招待      石原吉郎

窓のそとで ぴすとるが鳴って
かあてんへいっぺんに
火がつけられて
まちかまえた時間が やってくる
夜だ 連隊のように
せろふあんでふち取って――
ふらんすは
すぺいんと和ぼくせよ
獅子はおのおの
尻尾(しりお)をなめよ
私は にわかに寛大になり
もはやだれでもなくなった人と
手をとりあって
おうようなおとなの時間を
その手のあいだに かこみとる
ああ 動物園には
ちゃんと象がいるだろうよ
そのそばには
また象がいるだろうよ
来るよりほかに仕方のない時間が
やってくるということの
なんというみごとさ
切られた食卓の花にも
受粉のいとなみをゆるすがいい
もはやどれだけの時が
よみがえらずに
のこっていよう
夜はまきかえされ
椅子がゆさぶられ
かあどの旗がひきおろされ
手のなかでくれよんが溶けて
朝が 約束をしにやってくる

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