「迷った時に読む”初心者のための詩の書き方”」

「迷った時に読む”初心者のための詩の書き方”」

以下は、「初心者のための詩の書き方」114章を、読む時の目的に分けて並べ替えたものです。だいぶ前に、あるところで詩の講演を依頼された時に、話の材料として用意したものですが、その講演は大きな台風が来て中止になってしまいました。このあいだMacbookの中を整理していたら、これが出てきました。ああこんなのをせっせと作っていたことがあったなと思い出し、それで、せっかく作ったのだからと思い、ここに載せることにしました。2024年のゴールデンウィークに、もしも何もやることがなくて、退屈している人がいましたら、ちょっと覗いてみてください。

「迷った時に読む”初心者のための詩の書き方”」なんて、安っぽい実用書のようなタイトルを付けましたが、これを読んだから詩の悩みがきれいになくなるなんて、ぼくだってもちろん思ってはいません。ただ、もしもどこかに、詩のスランプに陥っていて、一人で堂々巡りに悩んでいる人がいたのなら、これを読めば、もしかしたら、ちょっとしたヒントか、あるいは気晴らしくらいには、なるかもしれません。

言い訳はこれくらいにして、どうぞ。

目次

(1)詩ってなんだろう、詩の気持ちを知りたいなと思った時に読む章
(2)詩って普段の言葉とどう違うのかなと思った時に読む章
(3)詩人であるってどういうことなのだろうと思った時に読む章
(4)何を書いたらいいのかなと迷った時に読む章
(5)生きて行くってどういうことだろうと思った時に読む章
(6)どんな詩を書くか迷った時に読む章
(7)書けなくて途方に暮れている時に読む章
(8)詩を読むってどういうことだろうと思った時に読む章
(9)詩はどういうふうにでき上がっているのだろうと思った時に読む章
(10)詩はどのように人に差し出せばいいのだろうと思った時に読む章


(1)詩ってなんだろう、詩の気持ちを知りたいなと思った時に読む章

3章
いくらきれいな詩を書いても
なんにもならない
それはただそれだけのことなんだ
この世に何も付け加えないし
自分の中のなにかが変わるわけのものでもない
それはただきれいな箱をひとつ
こしらえただけなんだ
作り上げたときには
その中にあらゆるものが盛り込まれるだろうと思う
でも
だんだんわかってくる
いくらきれいな詩を書いても
なんにもならない
何も書かないのと違わない
きみがすわっていた椅子にその詩を
そっと置いてみたって
それはただそれだけのことなんだ

5章
うっかり失くしてしまった詩を
思い出しながら書く時ってある
 
同じ雨が降らないように
一字一句同じものはもう書けない
 
でも
前よりもどこか落ち着いた詩になってくるのは
二度目の人生だからか
 
どうしてもしっかりした詩が書けない時は
ワザと失くしてしまうのは
どうだろう

9章
詩を書いていると
新しいものを生み出しているというより
もとの形に戻しているような感じがする
 
特によい詩が出来た時には
もともとあった詩に
散らばっていた言葉をはめ込んだだけのような気がする
 
だから
詩が完成した時に
それがどれほど懐かしく感じられるかによって
完成度が分かる

12章
言葉に溝が掘られていて
流れ行く先の決められたものを詩とは言わない
詩は舟ではない
 
制御できるもの
宥めることのできるものを詩とは言わない
 
言葉が自身に溝を掘り
渦を巻いてこの世もろとも落ちてゆくものを詩と呼ぶべきか
 
詩を侮ってはいけない

13章
ホントに書かれなければならない詩って、たぶん一篇だけだと思う。あとの詩はただその周りをうろついているだけ。でもその一篇は、必ずしも代表作とは見做されない。一見地味で、そっとノートに残されたまま。ノートは時々開かれるんだけど、詩は殊更訴えない。たいてい詩人よりも物静かにできている。

16章
今夜書き上げた詩は
君にとっては何十篇目なのかもしれない
でも
その詩にとっては初めてこの世に出てきたことなんだ
 
詩が出来上がることに
慣れてはいけない
 
君だって自分で選んで生まれてきたわけじゃない
 
一篇の詩が生まれることを
なぜ奇跡と言ってはいけないだろう

17章
「星の王子さま」に、酒を呑んでいるのが恥ずかしいからさらに呑むという話があった。詩も似ている。前に書いたのが恥ずかしい出来だから、さらに新しいのを書く。でも、人に見せるのが恥ずかしくない詩なんて、詩ではない。恥ずかしさを共有することにこそ、作る喜びがあるのだと思う。

23章
書かれた詩と読まれた詩は
いつもかすかに同じではない
詩を読む人は遡って
その詩を書き換えようとする人
 
詩はどんな器にも入らない
溢れたところから詩になる
 
詩は鏡に映らない
通り抜けた向こうでちゃっかり別の詩になる

33章
現代詩という呼び名は妙だ。でも中也の詩とは違うということはわかる。どんなジャンルも、創成期の優れた人たちが肝心なところは書き終えてしまう。だからその後の詩人は、やらなくてもいいような飾り付けをひたすらするだけ。それでもいいんだと思う。飾り付けの行為の寂しさにも、詩の震えはある。

36章
詩は育て上げるもの。作りながら欠けているところを埋める。ナヨナヨしていれば背中をどやす。あっちから眺めこっちから眇めして、一人前にしてから発表する。でも、生まれつき育ちたがらない詩もある。あるがままの姿で、そのままでこの世に出してくださいとこちらを見つめる詩もある。そうしてあげる。

38章
詩は貯蔵品ではない。いくらたくさんの詩を書いたからといって、いつまでも倉庫の棚にしまっておくものじゃない。生れ出た時のかけがえのない体温が、徐々に失われてゆく。晴れた日には倉庫から連れ出し、適度な時期に適度な舞台へ背中を押してあげる。その勇気を含めて、創作というのだと思う。

43章
青年 詩はわたしに書かれるまで、どこで何を、していたのでしょうか。
老人……
 
青年 どんな姿勢のときに詩は、わたしを訪れるのでしょうか。
老人……
 
青年 詩が私を避けていると、思うのです。ときどき人のように。
老人……
 
青年 詩のいったいなにを、信じればよいのでしょうか。
老人……
 
青年 詩を思いつく瞬間が、こわくてしかたがありません。
老人……
 
青年 発想とはつまり、激しく襲われることでしょうか。
老人……
 
青年 詩がわたしに、何をしてくれるのでしょうか。
老人……
 
青年 詩をにぎりしめるような気持ちで、生きてゆくことはできるでしょうか。
老人……
 
青年 私は詩を、開け放つことができるでしょうか。
老人……
 
青年 詩は私を、どこへおくりとどけようとしているのでしょうか。
老人……
 
青年 詩が老いてゆくのを、どうしたら平気で見ることができるでしょうか。
老人……
 
青年 詩をなぐさめることにも、飽きました。
老人……

64章
昨日書いた詩を
疑うのが詩ではないか
 
昨日書いた詩を
消し去るのが詩ではないか
 
昨日書いた詩に
復讐するのが詩ではないか
 
昨日書いた詩に
絶望するのが詩ではないか
 
昨日書いた詩から
逃げ去るのが詩ではないか
 
昨日書いた詩を
笑いとばすのが詩ではないか

78章
詩とは何かという問いは困る
その問いがまさに 詩だから
 
鏡がどうしても自分を映せないように
左手が左手をつかめないように
詩とは何かに答えることは至難
 
少なくとも
問いへ向けて伸ばした腕の伸びやかな悲しみだけは
分かっているけど

107章
詩もねむります

詩も夢を見ます

詩もうなされます

詩も
夢の中で人に怒って
大声をあげることがあります

それで目が覚めて
涙をためていることがあります

詩も
守ってもらいたくて
あなたの方を向くことが
あります

詩も
あなたのように
いつかは死にます

113章
わたしには体がありません

匂いもありません

ため息もつきません

包み込む両腕もありません

見つめる瞳も持ちません

お金持ちにしてあげることもできません

自慢にもなりません

そばにいることがつらくなることだってあります

わたしは詩

あなたのなんでしょう

114章
頼みがある

そのうちに
僕が逝ってしまったら
その晩はせめて
そばにいてくれ

そうして僕が最期に書いた詩を
探し出して
顔の脇に置いといてくれ

若い頃の詩のようには
鮮やかな比喩も
驚くような飛躍もない

もう輝きを失った
でも
僕が最期に作った詩を
僕と一緒に
置いといてくれ


(2)詩って普段の言葉とどう違うのかなと思った時に読む章

8章
詩を書いていると
自分のための単語に出会うことがある
恥ずかしげに君の方に近づいてくる
もう
日本語であることを捨てて
君のための言語になる覚悟を持つ
その言葉が入るだけで
詩は確かな奥行きを持つ
そんな単語が幾つか集まったら
君は君の中庭に
静かな厩舎を建てておこう

19章
翻訳詩って、グッとくるものがあまりない。詩というのは、母国語を裏切ることで成立している。だから、よその国の詩を翻訳しても、その裏切っている部分がこぼれてしまうのだと思う。イイなと思うものは大抵、詩の中の散文的なところだったりする。詩は国境をまたげない、内気なジャンルだと思う。

21章
細部にわたって綿密な文章を書いている人が、座談会や講演になると浅い内容のあたりまえのことしか言えない、ということがある。手加減をしているとは思えない。語り言葉は何を取り落すのか。あるいは、文章というのは活字を通すと読者をケムに巻けるのか。

77章
散文は書けば書くほど熟練してくる。積み重ねがある。でも、詩はそうではない。詩は出来上がったそばから技がその場で崩される。身につけた技術は、一篇の詩に持ち去られる。もし自分の詩に、以前の詩から受け継いだものが見えたら、それはもう詩とは言えない。

81章
言葉に意味があることに 慣れてはいけない
言葉に意味があることを ただ許してはいけない
言葉に意味があることを 無視すればいいというものではない
言葉に意味があることを 逆手にとればいいというものではない
言葉に意味があることが 詩人の最も大きな悩み

88章
散文よりも詩が恥ずかしいのは、ツクリモノだからか。不自然だし、いていいのかどうかの自信も持てない。なかなか顔を上げられない。でも、いったん突き抜ければ、ツクリモノの凄さに辿り着く。ツクリモノはケダモノ。詩人の手にも負えない孤独を持つ。

100章
目の前にあるよく知った言葉を
並べても
詩はできない
 
いちど手放して
好き勝手にさせる
 
そのうち疲れた顔をして
裏木戸をあけて
帰ってくる
 
そんな言葉しか
使ってはいけない
 
もちろんたくさんの言葉が
君の生涯に与えられるわけでは
ない
 
夕暮れの窓辺で
一編の詩を書きあげるためには
 
君に似た
貧しい動詞がひとつ
あればいい

101章
どんな文字も
線でできあがっている

あれはね
端っこを切り取って
そこから血液を注入するためなんだ

どんな言葉も
血がたっぷり溜まっているから
おろそかにつかっては
いけない

話しているとこぼれてくる
詩を書いていると吹き出してくる

詩人よりも生きていない詩なんて
書いてもしかたないよ

112章
昨日は鐘ヶ淵から
浅草に向かって歩いていた

日なたをひろって
歩くうち

詩を
言葉でごまかさない

いう言葉が
浮かんできて

ああそうか

思い

それからまた
ビルの陰に入って
風にうたれた

一瞬わかったと
思ったのだけど


(3)詩人であるってどういうことなのだろうと思った時に読む章

82章
自分に詩の才能があるかどうかに悩まない詩人はいない。でも、だれもその悩みに答えてあげることはできない。ただ、自分が詩に向いているかどうかと、悩んでまでも詩を書こうとするそのことが、すでにある強固な才能を証明していると言えないだろうか。

7章
詩を書くためには特別な道具はいらない
特別な出来事もいらない
 
特別な能力も 特別な知識も 特別な勇気も 特別な自信も
特別な資格もいらない
 
面倒な申し込みもいらない
 
雨が降ってきたら窓を閉じて
いつもの時間にいつもの部屋へ
そのままのありふれた君が集まってくれれば
始められる

11章
詩を書くことの喜びは、書いたものが自分を超えてくれることだ。爪先立ちしても届かない場所に、手型をしっかりと残せることだ。ありふれていて、なんの取り柄もない自分が、人と違ったものをこの世に残せるという驚きだ。感じたこと以上の輝きを、文字の中にひっそりと閉じ込めることができることだ。

15章
どんなに経験があっても、新しく詩を書くときにはわからなくなる。でもそれってあたりまえ。もともと詩の書き方なんてどこにもない。どうやって書くかを見つけるそのことが、詩なんだと思う。自分の感性の弱々しさを見つめる。その眼差しが、たまに君を詩に導いてくれる。

30章
夭折した人をよく天才詩人と呼びたがるけど
そんなに沢山の天才がいたわけはない
 
君を好きな人の評価は全くあてにならない
騙されないで
君の詩は君が正当に評価してあげる
 
あらゆる可能性で貶めてみる
イヤなやつになりきる
 
それでもまだかすかに光るものがあった時にだけ
作品と名付ける

31章
詩を学ぶということは
自分の詩のつまらなさを知ること
 
なんとかしなければと思うことが
詩の奥に触れる取っ掛かりになる
 
だからと言って俄かには変われない
相変わらずダメな詩しかできない
 
どうすればいいんだろうというひたすらな疑問
まっすぐな問いだけが君を救ってくれる

35章
学歴と仕事の能力には関係がないように、学識と詩人の深さにも関連性がない。日本の詩人は怠惰だと、言われ続けて依然懲りない。言い訳ではないが普通に学ぶと却って詩が迷走する場合がある。学ぶべきところが違う。ひたすら徹底して書いていれば、自ずとどこを補えばいいかが見えてくる。

37章
作品を発表してもいいのは、その人の能力を超えた時だけなんだと思う。自分を超えるって、容易じゃない。でも、モノづくりにのたうちまわっているうちに、自分の背丈が上から見える瞬間がいつか訪れる。その過程は覚えられない。書き始めるたびに、箒にまたがって、自分を信じる。

42章
詩人では食べて行けない。だからみんな、別に仕事を持っている。ただ人によって、詩と仕事と、どちらかに傾いた人生を送っている。僕はたぶん、詩人よりも勤め人。詩なんか書かなくても生きて行ける。だから書く。

44章
いったん詩を作ってしまうと
もうそこから抜けられなくなる
 
一度詩人になってしまうと
定期的に詩を作り上げないといたたまれなくなる
 
慢性病の一種か
 
完璧に詩人が抜けて退院した人はいない
 
一見そのように見えても
永遠に詩作品にたどり着かない詩人が
一人出来上がるだけ

54章
詩人に任せても同じ場所でウロウロするばかり。日本の詩は、編集者がもっと導いてもいい。かつては原稿は大抵、総武線沿線の喫茶店まで持って行った。コーヒー越しに原稿を差し出す。編集者がそれを読んでいる間は、いつも逃げ出したくなった。日本の詩人は、もっと追い詰めれば、ましなものを書く。

57章
詩人に二種類ある。衝動の果てに詩人になる人と、学問の先で詩人になる人。書かれる詩はずいぶん違う。用語法も違う。詩の読み方も好みもかなり違う。ただ、双方が理解しあえないかというと、そのようなことはない。書かれるべき詩はただひとつ。とても敵わない部分を、しっかりと認めるならば。

79章
もしも君が
詩と真剣に向きあってゆく気があるのなら
 
もしも君が
これから多くの時間を詩のために費やす覚悟があるのなら
 
もしも君が
君の才能を大切に育ててゆきたいと思うのなら
 
もしも君が
さびしげなひとりの詩人になりたいと思うのなら
 
もしも君が
そのほかにはなにも望まずに生きてゆけると言えるのなら
 
もしも君が
それで後悔をすることがないであろうと確信するのなら
 
もしも君が
言葉をいきもののようにはぐくむことができるのなら
 
もしも君が
言葉をこいびとのようにまもりぬくことができるのなら
 
もしも君が
言葉に真実をいわれても耐えることができるのなら
 
もしも君が
言葉よりもすぐれた詩を言葉に隠れて書きたいと願うのなら
 
もしも君が
この世に生れ出でたことを今でも驚いていられるのなら
 
もしも君が
守るべきもののためには命をかける覚悟があるのなら
 
そしてもしも君が
詩についての助言を欲しいと思っているのなら

87章
詩の中でなら何をしてもいい。ここまでなら書いてもいいという、暗黙の約束を破ってもいい。生きてる意味にしつこく絡んでもいい。ダイの大人なのに駄々をこねて泣いてもいい。君であることをバラバラに壊して、壊れたまま寝転がっていてもいい。美しいものを正面から、きちんと抱きしめてもいい。

92章
躊躇いがなければモノなんて書けない
臆病でなければ書くことなんて見つからない
寄り添わせてあげるのでなければ詩なんて懐かない
面倒くさがりやでなければ最後の一行までたどり着かない
小さな手でなければ詩を書く鉛筆は握れない

94章
劣等感は才能の一種だと思う。言うまでもなく、モノを作る力になる。詩を書くためには、腕をさしのばすのではなく、小さく折りたたむ。人より劣っていると思えるからこそ、人の心の揺らぎを敏感に捕らえられる。自分でないものを優れていると思えるって、生命として素敵な才能だと思う。

98章
詩を書くことは詩について考えることと違わない
水を掬う手のひらの形が水の形を決める
身を低めて詩を書いているなら
その低さの読みで詩を考える
学ぶことは大事だけど
最も大事なことは
自分の言葉で詩を語ること
それだけだ

103章
詩が小説と違うのは
読者がほぼ書き手であること

ため息のようなものだから
習わなくても書ける

自分で書いて自分で読んで
それで幸せでいられるなら
上手くならなくていい

キレイな小箱を一つ
君の抽斗にしまっているようなものだから

上手くなるって
汚れることでもあるし

106章
地位や学歴では
詩は書けない

知識や読書量では
詩は書けない

恰幅やおしだしでは
詩は書けない

信仰や思想の深さだけでは
詩は書けない

血筋や資産では
詩は書けない

自らの栄誉を求めるなら
詩は書けない

自己愛の強い人は
詩は書けない

生まれつきの詩人だと信じている人には
詩は書けない

111章
詩人になるな
詩を書け

という声が
このあいだから頭の中をめぐっていて

詩人
という呼称は
よくもわるくも
妙な雰囲気がくっついていて

もたれ掛かりもし
誤解も されている

そんなものはいらない

しんとして
生きている途中に
うつむいて
詩を書く

詩人になるな
詩を書け

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(4)何を書いたらいいのかなと迷った時に読む章

1章
とても好きなものは
詩にできない
そのものが言葉よりも近いから
そういう時は詩なんかいらない
詩にできるのは
あるときとても好きだったもの
あるとき
というところが肝心
ある時点で意識から遠くへ放り投げられ
そんなものはもうどうなったってかまわないと思う
その「どうなったって」が詩になる
いまとても好きなものなんて
たいてい何の意味もない
ほんとうにせつなくなるのは
とても好きなものがそうでなくなる瞬間
そこにうすい膜がはりつめていて
それを通り抜ける瞬間なんだ
どうしてそうなるのかはわからない
わからないところを見つめて生きていけってことなんだ

32章
詩は体験の直接性、つまり真実を歌うものだと、与謝野晶子論で新井豊美が書いている。この言葉、自分の書いた詩を評価する確かな軸になる。来る日も来る日も地に足のつかないキレイゴトや感情語。もし突然、与謝野晶子が部屋に入ってきても、慌てずに見せられる詩が私にはあったか。

45章
震災直後に震災の詩を書くことを批判した文章を多く見た。ロクな詩がないと。私は震災の詩は書いたことはないが、どこか私のことを指しているように感じた。私はここにある。皮膚に触れる世界はいつも揺れていた。ただそのことを報告している。詩という括りはいらない。 

47章
「君の詩には飽きた」と、二十代の頃から言われていた。だからある時期、自分のものでない言葉で書いてみた。でも、それで何かが生み出せるわけがない。結局うなだれて戻ってきた。飽きようがどうしようが、よそ見なんかしなくていい。生きていればこの世とすれ違う。すれ違った時の痛みを書く。

48章
すぐれた詩人の詩を真似ても、ロクな詩は書けない。 どんなに器用に枝葉を変えても、ツギハギは見えてしまう。幼稚でも拙くても、発想の始めのところから試みることが大事。作品として成り立つかどうかの保証なんてない。一緒に恥をかくかもしれない。だから自分の詩は、愛おしい。

50章
君の詩が新しいと言われたら
それは褒め言葉じゃない
気をつけたほうがいい
むしろ
君の詩がかつてどこかで読んだことがあるような気がする
と言われたら
それは褒め言葉だ
ひねくれたものの言い方かもしれないけど
それは本当なんだ
真に新しいものは
いつかどこかで経験したことがあるという感じがするものなんだ
だからね
君の詩が新しいと言われたら
それはかつて書かれたことのある詩の内の
ひとつでしかないんだ
詩の世界では
「新しい」というのは
単に「風変わり」という意味でしかない
そして「風変わり」な詩というのは
いつの時代にもあったし
決して本当に新しいことではないんだ

53章
詩を書くとは
突飛な発想を追い求めることではない
ありふれた発想をとことん見つめることだ
ありふれた発想と我慢比べをすることだ
そのうちにありふれた発想の方が
目をそらす
その一瞬の悲しみを書くことだ

61章
死ぬっていうことはね
晴れた日にトラックに乗って
べつの町に引っ越すのとは
わけが違うんだ
自分がいないっていうことを
いまある自分に理解させることは
とてもむずかしい
本当は
はるかさきの手の届かないところに自分がいて
それをこの世でやらされていただけなのだということに
気がついてしまう
たぶん
自分がいなくなるということは
「恐い」という感覚とは
まったく違うことなのだと
思う
でも
それを的確に言い表す言葉なんて
だれが考え付くことが
できるだろう

70章
なにも書くことがない
ということが
詩にとってはもっとも大切なことなんだ
当たり前ではあるけれども
そのことの厳粛さを忘れてはいけない
私に書かれるまでその詩は
どこで
どんな息をしていたのだろう
まだ生まれていない詩がどこかで
(私のために)
うずくまっていたんだ
そう思う

80章
考えを説明するために詩を書くのではない
感覚を分かち合うために詩を書くのではない
信念を伝えるために詩を書くのではない
賢いふりをするために詩を書くのではない
この世に私があることに胸がつまり
止むに止まれず詩を書くのではない

83章
書いた詩が誰かの詩に似ていると言われることは恥ずかしいけど、そんなに気にしなくていい。その誰かだって、その昔の誰かを引き継いでいる。感性の剽窃は、とても自然なこと。突き詰めれば同じ場所に流れ着くことって往々にしてある。詩を書くと言う行為自体が、すでに先達の身振りに倣っている。

93章
こんな詩を書きたいとか
書くつもりだとか思うのは構わないけど
人に言うものではない
 
書きたいものが書きたいように書けたら苦労はない
 
それに具体的な願いなんて
願いじゃない
 
大事なことは大抵
言葉では説明できないはず
 
だから言葉の外で
詩を書こうとしている

96章
みんなが考える道筋で考えても作品にはならない。でも、みんなが考える道筋を外れてしまったら誰にもわかってもらえない。みんなが考えるその道筋の、さらに先のことを考える。あるいは、みんなが考えることとみんなが考えないことのすき間を見つける。見つけたらそれを詩に書く。

104章
巨大なものを見ると
もっと大きなものに比べて小さいと思う

微小なものを見ると
さらに小さなものに比べてその大きさを感じる

感覚ってあまのじゃく

だから詩で目指すべきは
普通なら人に話すほどのこともない
でもずっと感じて来たささやかな
違和感

生まれたことの

108章
みっともない詩を書きたい

そうでないとその先へ
進めないと思えるから

下手くそな詩を書きたい

そうでないと
ほかでもない自分が書いている意味がないと思えるから

失うものの多い詩を書きたい

そうでないとつまらないものを守ったままで
一生を終えてしまいそうだから

110章
もしもそうしたいのなら
君が触れるこの世のすべてのやわらかさを
詩にすればいい

もしもそうしたいのなら
憧れに差し伸ばす腕の筋肉の切ないひきつりを
詩にすればいい

もしもそうしたいのなら
誰にも分かってもらえない言葉よりもずっと深い俯きを
詩にすればいい

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(5)生きて行くってどういうことだろうと思った時に読む章

109章
生きるための詩
というものがあっていいと思う

生きて行くために
ただ書いている詩が
あっていいと思う

生きがいなんてない

感じる人が
俯いた先で書ける詩があっていいと思う

どこにもでかけたくなくて
誰にも会いたくない人が
この世の端っこで書く
生きるための詩が
あっていいと思う

14章
君がもっとも触れられたくないこと
君が見て見ぬふりをしてきたこと
だれにもわかってもらえないだろうこと
いつもの君には考えられもしないこと
この世に残しておくべきではないこと
 
それを詩に書く

58章
自分を大きく見せようとしている人とは話をしたくない
それと同じ
すごいことを書こうとしても
詩はできない
 
この世に君が生まれ
日々の呼吸をし
じっと瞼を閉じることができる
それ以上に凄いことなんてない
 
当たり前なことに打たれながら
少しだけカケラを
書かせてもらう

59章
詩は、常に書き続けていなければ新しいものは見つからない。格好つけているヒマなんてないはず。原稿依頼が来て、久しぶりに、さて書くぞと決めて書いたものなんて、たかが知れている。詩は、生涯のながい続き物。どこまでたどり着いたかにしっかりと目を凝らし、最後まで書き終えることが私の意味。

71章
出来上がるまでは、この詩で世界は確実に動くだろうと思っている。出来上がってしまえば、揺れているのは自信ばかり。書き物が現実に影響を与えるなんて、滅多にない。でも、書くということは、いつもそれを目指している。思い上がっていないと、詩なんて書けない。

72章
君が君の詩に飽きた時
君の詩も 君に飽きている
 
君が君の人生に退屈している時
君の人生も 君に退屈している
 
君が吹く風に耳を傾ける時
吹く風も 君に耳を傾けている
 
君が君の過去を思い出す時
君の過去も 君を思い出している

86章
生きている内しか詩は書けない
 
ひと段落済んだら書こうなんて思っていたら
いつまでも書けない
忙しい時期だから
様々な思いに取り囲まれているはず
囚われている物の正体が見えているはず
 
詩は満員電車で肘を折り曲げて書く
吊革になんか掴まらない
 
次の駅に着いたら
生涯は終わってしまう

99章
詩を作ることは習慣化することが大切。毎日の出来事の、この時間のこの辺で詩を作ると決めてしまう。そうすれば必ずできてくる
 
詩を作ることは、屈託がある時にはさすがにできない。だから普通の日の、当たり前の時間を大切にする
 
詩が書ける日は、守られていた日なのだと、後に知る。

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(6)どんな詩を書くか迷った時に読む章

2章
遠いものどうしを並べると詩になるって
よく言われる
でも
遠いものどうしを並べても
詩になることはあまりない
むしろ
そばにあるものを並べたほうが詩になる
例えば窓と窓枠
窓と窓枠について
目をとじて考えてみよう
窓枠が窓に触れているその感触や
どうにもやりきれない感情
あれほどそばにいて
どうして平気でやってゆけるのだろうという疑問
瀬戸際はいつだってさびしい
それからもっとさびしいのは
たいてい窓ではなく
窓枠
中心ではなく枠のほうがいつだってさびしいんだ
きみのにのうでが
好きな人のにのうでにふれる
たしかにいつもさびしいのは
きみの外枠だろ

26章
よくやってしまう失敗に、1つの詩に複数の思いを入れてしまうというのがある。書きたいことなんて、もともと大したものではない。そんなのをいくつも詩に押し込んだら、ただわけのわからないものになる。削ぎ落として一番シンプルなものだけを残す。それでもわけのわからないものになったら、捨てる。

52章
いつもの内容の無難な詩を発表するか、冒険をして新しい角度からの詩を出してみるか、迷うことってある。せっかく感覚を試せるのだから後者にしようと、最後は決断する。ところが、ハタから見たらどちらも変わらず、君の狭い感性の中だったりする。真に新しいものって、大抵自分では気付かない。

60章
私が小学生の頃、先生はこう言った。「詩を作る時には、思っていることを素直に書いてください。」そんなわけはないと、私は感じた。子供なんて、みんな同じでつまらないことしか考えていない。詩を作る時には、だれも思いつかないことを、笑われない程度に書こうと思った。

76章
滅多に良いものなど出来ないから、まずはミットモナイ詩でいいから書く。人に見せたら恥ずかしくて逃げ出したくなるような詩を書く。ともかく毎日、詩と二人きりになって書く。不出来な詩と、じっと見つめ合う。読者抜きで真摯に向かった日々の経過こそが、君と詩を育ててくれる。

105章
思いのほか素敵な詩が書けてしまった時よりも
つまらない詩を書いている自分の方が
好き

詩を書いている時には
いつもどこかに
出かけていたような気持ちになる

見たこともない人の匂いが
私から
する

死ぬまでずっとどうしようもない詩を書き続けていたいと
負け惜しみでもなんでもなく
思う


(7)書けなくて途方に暮れている時に読む章

73章
詩が書けなくて、でも〆切があってどうしても書かなければならない時は、君がそもそも何で出来上がっているかを考えるといい。素材とか、部位の名称とか、機能とか、世界との繋がり方とか、その辛さとか。詩はどちらにしても君自身を描くことだから、まずはキレイに解剖すればいい。

10章
詩が書けない時は書かなければいい。でも、書けなくても書きたい時って確かにある。その思いが君を詩人にしている。実際に自分が書いてきた詩にがっかりしている間は大丈夫だと思う。書きたくても書けない詩が、君の中で少しずつ育っている。気がつけば君から、君よりも優れた詩が生み出されている。

41章
書けない時は、人の詩を真似るのではなくもっと自分らしい詩を書く。とっくにうんざりしていて、散々飽きて、またこんなのかというような詩の奥にしか、新しい詩は生まれない。どこまでひどい失敗作を書けるかをトコトンやってみる。一種類の君しかいない。なにも取り繕わない。君自身も、詩も。

62章
詩は器から創り上げるものだから、とんでもなくくだらないものを書いてしまう可能性がある。いつも安定してよい作品が書けているように見える人も、ホントは一篇ごとに恐がっているはず。確かに時々、どうしようもない作品を提示する人はいる。でも、そういう人こそ突き抜けた傑作が書ける人でもある。

63章
どうしても書けない時は書こうとしない。発想って、頑張れば湧いてきてくれるほど素直にできてはいない。詩を書くために生まれてきたわけではないし、詩なんかなくても生きていけるという所を何気なく見せてみる。ホントは命をかけて、書こうとしているわけだけれども。

75章
詩が書ける日に詩を書くのは当たり前
詩が書けない日に詩を書こうよ
 
詩が書けない日の詩はどこにいるのか
詩が書けない日に書いた詩はおとなしい
でも力みが抜けていてすごく自然
 
傑作って
時々おとなしい詩のすぐそばにある
 
詩が書けない日の詩がもしかしたら一番恐い

91章
詩が書けない日はある
でも
詩を書こうとする心はいつも持ち続ける
書こうとしなければ詩はやってこない
いつでも受け入れる姿勢で生きてゆく
寂しげな容器になりきる
詩が書けない日の私を
ずっと大切にしてあげる

102章
詩の発想って
さて思いつくぞと身構えても
なかなか下りてきてはくれない

かといって
ただ暮らしていても永遠にやってこない

底辺のところを静めて
焦らず待っている

でも
傍目には詩のことなんか考えたりせずに
笑顔で暮らす

そんな時ではないだろうか

膝の上に詩の
小さな体重を感じるのは


(8)詩を読むってどういうことだろうと思った時に読む章

55章
詩は常に
一人目の読者を探している
この世にたった一人
その詩を読みとれる人がいるはず
でも
その読者に出会えたかどうかを
詩人は知るすべがない
詩人が死んでのちに
行き会えるのかもしれない
詩は常に
一人目の読者を探している
だから詩には
尋ね人の願いを込めたい

4章
人の詩に強く打たれたことがなければ
よい詩は書けない
 
優れた詩集を読んでいると
自分の感性に寄り添ってくれていて
まるで自分が書いたかのような錯覚をおぼえる
 
もし自分にもっと才能があったら
おそらくこの詩集を出していただろうと思う
 
詩を書くって
その思いを現実にしたい一心だと思う

18章
「現代詩手帖」は本屋へ行けば買えるけど、感受性はどこにも売っていない。ホントはもうひとつくらい力のある詩誌が、この国には必要だと思う。 いつもそばにいてくれる詩人は大切だけど、そばにいてあげたくなる詩人というのもいる。

20章
どこに隠れていたのだろう。5年前に書いた詩のつまらなさが、やっと見つかる。結局、最も読み取れないのは自分の詩。これを人目に晒していたのかと思うといたたまれなくなる。表現って、いたたまれなくなることから目をそむけること。そむけることによって見えなくなることも、もちろんある。

24章
人の詩は大人に見える。出来上がった詩は、みっともなくアタフタしたことを隠しているから。 こんなに年をとっても、数年前に書いたものが幼稚に見える。幾度も成長している、というわけじゃなくて。 書いたモノを家族に見られるのは恥ずかしい。家族だけ特別って、性のことに似ている。

29章
詩は好きで読むけど書きはしない
という人がいる
苦しくないのかなと思う
 
詩についてずっと考えていたら自分の詩に飽きてきた
という人がいる
飽きてからが凄いのにと思う
 
言葉さえあれば本当の世界はいらない
という人がいる
優しく手を握ってあげたくなる

40章
どんなに人の目に曝しても
詩の読者は増えない
 
詩に惹かれる人って
予めそう決められて生まれてくる
言葉の子供に生まれてくる
 
人の姿はしていても
カラダはテニオハでできている
息なんてしない
大切な言葉だけ吐き出して死んでゆく
 
どんな時代になったとしても
その総数は増えはしない

46章
一篇の詩が優れていると感じる時
実はその内のたった一行だけが優れている
 
一人の詩人が優れていると感じる時
実はその内の一冊の詩集だけが優れている
 
詩の一行が優れていると感じる時
実はその内のひとつの言葉だけが際立っている
 
詩を読むとは そういうことか。

56章
書いたものは通常、人に通じない。分かってもらえることは滅多にない。でも、通じさせるために詩の腰を低くしてはいけない。そこまでして増えた読者になんの意味があるだろう。詩を作り、手渡すことの厳粛さに立ち戻る。書き手と読者の関係は、深めあう孤独でありたい。

65章
著名な詩人ほど
優れた詩を書くのは難しい
 
投稿欄よりも劣った本欄の詩なんてザラにある
 
その詩人がかつて書いて来た詩は忘れて
詩は読もう
 
人の感想や世間の評判を無視して
詩は読もう
 
誰でもない君が君の内に育てた震えを基準にして
詩は読もう
 
そんな読みだけが
詩を書くことに繋がる

66章
現代詩独特の表現って、ある。無理に言葉を複雑にして言い回す。使うのは自由だけど失うものも多い。自信を持ち始めた詩人に多い。そもそも中身が希薄なのにどんなに表現を凝らしてもナニモノにもならない。書き上げた詩を一旦、真っ当な日本語に書き直してみる。それで耐えられるか見る。自戒を込めて。

67章
詩の読者を侮ってはいけない。詩を分かりやすくして読者を増やそうなんて、くだらない発想はもうヨシにしよう。歩み寄られる読者も迷惑だろう。どこまで先鋭でありうるかにかかる。言語内言語を共に育てている。もたれ合っている暇はない。

68章
現代詩とは妙なジャンルだ。読者は、自分の読みになかなか自信を持てない。むろん、優れた作品にはキチンとした受け止め方がある。その受け止め方も含めて、作品が担っている。理解度の検定試験があるわけのものでもなし。強く惹かれる詩を抱える腕の重さこそ、理解といえるかもしれない。

69章
読者がいるかどうかというのは、詩人にとってはどうでもいいこと。書くことに夢中な時は、特定の誰かに顔を向けている暇はない。ただひたすらに作品と顔を近づけあっている。どこまで思いが言葉に変わるかの果てを見つめている。読者が気になりだしたら、もう詩人としては弛んでいるのかもしれない。

85章
詩を書かない詩の読者は、尊く感じられる。書いてこそ知る微妙な曲がり角を、その人たちはなぜ平然と曲がることができるのか。人の詩を読みながら常に悔しがっている詩人の読みよりも、正当に作品を受け止めている。詩を読む動機が、その動機のまま詩に向かえるって、羨ましいし、美しい。

97章
書いている詩と、好きで読む詩は同じ傾向とも限らないし、その必要はない。自分とは対極にある詩に惹かれるということは、むしろ感性の豊かさを示している。詩人にとって詩を読むことは間違いなく学びでもある。だから、詩の可能性を伸ばすためにも、とんでもなく遠くにある詩に囚われていて構わない。

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(9)詩はどういうふうにでき上がっているのだろうと思った時に読む章

6章
最初の一行が担うものは大きい

詩の始まりは
現実との段差をできるだけ小さくする

いつのまにか詩の中に入って行くのでいい

いつのまにか詩の中で息をしていて
いつのまにか詩の中で叫んでいるのでいい

いつまでも詩の中に住んでしまって
帰るのも忘れてしまっても
かまわない

49章
詩は二度冷ます。まずはテーマにしている現実を冷ます。すぐには書かない。近すぎて顔を上げられないから。何年か後に、正面から見つめられるようになったら書く。それから書き上げた詩を、手元で静かに冷ます。熱すぎてとても読み取れないし、自分に公平になれないから。だから詩は二度冷ます。

51章
出来がよくなくても、一旦完成した詩を捨てるのは辛い。なんとかならないかと前後を入れ替えたり言葉をさらに飾ってみても、ただ壊れてゆく。せめて一部でも残しておきたいと思っても、鮮やかな一行があるわけでもない。ありふれた、いつもの君が作りそうな詩が、名残惜しそうに君の袖口を引いている。

89章
詩作には2つの局面がある。発想を掴むことと、それを描ききること。どんなによい想を得ても、作品にまで辿り着かなければ何にもならない。書き上げる技術が必要。日々訓練する。出来上がらなかった詩は捨てられる。石原吉郎風に言うなら、君が詩に捨てられる。

90章
ねえ詩人って
詩を書き始めることはできる
 
でも決して
書き終えることはできないんだ
 
決してだ
 
詩って
ひたすらな「書き始め」でしかない
 
最後の行まで勢いのある
「書き始め」でしかない
 
決着をつけられるものなんて
なにもない
 
見事にね
 
最後の行さえ書こうとしなければ
きみにもみごとな一編の詩が
書ける

95章
一編の詩を書き終わった時に、書き上げた言葉を読み直すだけでは足りない。空白行の姿をじっと見つめる。空白行の背筋が伸びるためには、前後の詩行がもたれ掛かってはならない。空白行が単なる沈黙に終わっていないかを、もう一度読み直す。書き始める前の草原が、そのまま残っていてはいけない。


(10)詩はどのように人に差し出せばいいのだろうと思った時に読む章

74章
詩集はよい耳を持っていなければならない
読む人の溜息をしっかりと聴き取れる耳を

詩集は柔らかな手のひらを持っていなければならない
読む人の傾きを大きく支えられる手のひらを

詩集はよい橋を持っていなければならない
読者がとぼとぼと帰って行ける橋を

22章
詩は、詩集にまとめられるとなぜか立派に見える。著者がまずそれに驚く。詩集が勝手に語り始めるものが、著者の思惑と遠ければ遠いほど作り物の輝きを持つ。興味深いのは、その詩集に選ばれなかった詩も、その輝きに与することだ。ノートに置き去りにされた詩の完成度が、むしろ詩集の価値を決める。

25章
僕はできなかったけど、詩を真面目に書いている人は、やっぱり五年おきに詩集を出した方がいい。夜寝る前に歯を磨かないと気持ちが悪いように、ずっと詩集を出さないでいるのも普通じゃない。「私の解釈した世界はこれですよ」と、しとやかに生存を提示できるのは、詩集しかないと思う。

27章
初めての詩集を作る時って、手元に詩が沢山ある。そんな時は、投稿で落とされた詩も丁寧に読み直してみる。一篇では目立たなくても、詩集の中では思わぬ役割をはたす詩がある。そんな詩はきちんとすくう。詩の並べ順を変えながらうっとりとみとれている。物書きの、滅多にない至福の時かもしれない。

28章
一度詩集を出したら、もう詩集を出す前の君には戻れない。嬉しくも悲しくも世界は変わってしまう。ひっそりと書いてますとはもう言えないわけで、むき出しで舞台に放り出される。ある日、思いもよらぬ人から深い感想が来ることがある。そうなのかって、知らない君が君に与えられる瞬間だ。

34章
ネットに詩を載せることは恐い。冷ます期間があまりに短かすぎる。旧来の詩集や詩誌ならば、もっと能力を飾る機会はある。しかし、だからこそこの媒体をその可能性の極限で乗りこなす必要がある。ここから詩は新しい次元へ導かれてゆくだろうと私は信じる。それを成し遂げる詩人がきっと現れる。

39章
キーボードに詩を打ち込む時代が来るなんて考えもしなかった。詩は四百字詰めの原稿用紙に、2Bの鉛筆で書いた。興に乗ると指に力が入って、文字はだんだん濃くなる。強い筆圧は、たぶん用紙の奥へ破れて別の世界へ入り込んでいた。私の文字たちは、それぞれの枠の中でじっと膝を抱えて待っていた。

84章
PCやスマホの時代になってから、詩は甘やかされた。以前は、ノートに下手くそな文字で書いていたから、よほど内容の優れた詩でないと、そのまま捨てられた。発想が即、キレイな文字になることは、有難いけど危険。目の前の画面の中の詩らしきものは、ホントに大丈夫だろうかと、目を凝らさなければ。

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