詩を書いていることがバレてしまっても

ぼくは、勤め人をしていた時に、大きな会議室で、財務状況についてプレゼンテーションをすることがたびたびありました。

その頃、ぼくはすでに詩集を何冊か出していて、自分が詩を書いていることが会社でバレてしまっていたのです。若い頃には社内報にまで載ってしまったことがあり、それからずっと同じ会社に勤めていましたから、特に年配の人はたいてい知っていたのです。

そういえば、詩を書く人には、勤め先で、自分が詩を書いていることを隠している人(あえて言わない人)と、明かしてしまっている人がいます。それぞれの状況や、気持ちの持ち方によって、違ってくるのでしょう。

ぼくの場合は、すでに自分が詩を書いていることが知られていたのですが、と言っても、だからなんなんだという感じでした。

おそらく、受け止める人によって違うのだろうと思います。

ある人は、「いい年をして詩でもないだろう」とぼくのことを変人として見ていたかもしれません。

ある人は、「自分もひそかに詩を読んだり書いたりしているので、財務の松下さんと、一度、詩の話をしたいものだ」と思っていた人がいたかもしれません。

でも、多くの同僚にとって、松下が詩を書いているということは、別段どうということでもなかったのです。

ただ、ちょっとしたジョークの材料にはなることもありました。

ぼくがプレゼンテーションをする前に、よく、「松下さん、あなたの詩よりも、わかるように説明をしてください」というふうに、何度か紹介されたことがあります。

ぼくの書く詩は、特に難解だとは思わないのですが、それでも、詩を読んだことのない人には、わけのわからないもの、という印象があるのでしょう。

そう言えば、詩がわからないものだと感じられているのは、日本だけの問題ではないようです。バングラディッシュでも同様のようです。アル・マームドという人の書いた「わからないことは同じだ」という詩を紹介します。

これを読むと、詩がわからないと思われている状況は、日本もバングラディッシュも、ほぼ同じに感じられます。というか、それって、世界のあらゆる国で、同じようなものなのかもしれません。

それって、なぜなのでしょう。不思議でしかたがありません。

「わからないことは同じだ」   アル・マームド

詩なんかわからない、このベンガルのだれも、
この国の数えきれない農民も小間使いも、
医者も法廷弁護士も事務弁護士も、
警官も警部も学生も教授もみな
詩に関しては語るべきものを持たない!

密輸業者に批評家たち、編集者に若者たち、
どんな人間の集まりも詩を解さない、
女優であれ、踊り子であれ、舞踏家たちであろうとも、
だれの心にどれほどの詩心があるというのか?
町の向こうに住む美しいロジェナ、
その体は波のように完璧で、でも彼女は
詩を解さない!

詩なんかわからない、ベンガルの虎も
犬も猫も黒い山羊も
兎もカメレオンも賢い猿も
とぐろを巻くすべての蛇も!

詩なんかわからない、このベンガルの森の雌鹿も
ジャングルの獣たちも、
鷲も鷹も鴉もシャリク鳥も雀も
家々に潜む土竜(もぐら)も白蟻も、
ベンガルの空を舞うすべての鳥たちも、
彼らも詩なんかわからない。詩なんかわからない、あの
ベンガル湾の鮫たちも!

(1) シャリク鳥 黄色い嘴を持つ黒い小鳥。鳴き声が良い。ベンガルでりふれた鳥。

                 (『バングラデシュ詩選集』丹羽京子訳)

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