2024年4月18日(木)詩は、評価されるために書くのか

昨日はいつものように点ちゃんと留守番だった。今度の土曜日の、Zoom教室の詩に送られてきた読んでいた。

20篇の詩はすでに一度読んでいて、感想を書いてはあるのだけど、昨日はもう一度読んで、感想を書き直していた。

読み直して気づいたところや、読み間違えていたところがたくさんあった。冷や汗をかきながら、詩に謝りながら書き直していた。

むろん、詩を読んだときに感じたものを、できるだけ正直に書くわけだけれども、「詩を読んだときに感じたもの」というのが、そもそもあてにならない、というか、読む側の気持ち次第で大きく変わってしまう。

これはいい詩だな、という感じ方は、容易に、この詩はもうひとつだな、という感じ方に、変わってしまうし、その逆も多々ある。

それも仕方がないのだろうなと、思う。詩を読むための計算尺があるわけではない。

正直に受け止める、というのはあいまいなものでもある。

かと言って、自分なりの詩の評価基準をガチガチにつくってしまうのも、好きではない。やっぱり揺れている方が誠実だと思う。

詩は評価されるために書かれるのではなく、読む人の揺れる心に収まるためのものだと、思っているから。

詩は揺れている。読む気持ちも揺れている。

詩も、読む気持ちも、心細くて仕方がないから、たまに触れ合って、感動をするのだろう。

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