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2024年3月31日(日)詩というものの枠を広げる

昨日は急に暖かくなって、天気もよかったので午前中に東松原へ。お寺へ行って、護寺会費を払って、墓を洗った。手を合わせて、目を閉じ、このところあったことを報告した。

それから帰り道に小さな古本屋(古本屋というのはたいてい小さい)に寄って、現代詩文庫を何冊か買った。かつては持っていたけど、人生の揺れでなくしてしまったものばかりだ。

それから東松原駅近くの喫茶店に入って、伊藤比呂美さんの『森林通信』(春陽堂)を読み直した。前半の顛末を書き記しているところもよいけれど、なんといっても最後の方の、「わたしはあんじゅひめ子である」の朗読について書いてある箇所がすごい。読んでいて引き込まれる。

それで、午後7時からのイベントに向かった。

渋谷から山手線で五反田駅へ。池上線に乗り換えて午後6時半に荏原中延駅で降りた。池上線沿線には、亡くなった先妻の実家があったし、若くして亡くなった姉が通った高校もあった。だから若い頃には何度も乗った。久しぶりだった。渋谷をはじめ、あらゆるものがひどく変わってゆく中で、池上線はひそと昔の姿を残していた。そんなことを思いながら商店街を歩いて「隣町珈琲」に到着した。

「隣町珈琲」は、前から来たいと思っていた。名画座のように、地下へ階段を下りると、そこには思っていた以上に大きな空間があって、すでにイベント参加者が何人もいた。

実は「隣町珈琲」で対談をする話も出ていたし、会場の様子も知りたかったから、今回の伊藤比呂美さんのイベントはありがたかった。

平川克美さんと挨拶をして、話をしていたら、伊藤比呂美さんが通り過ぎたので、話しかけた。「ああ松下さん、ちょっと待って」と言って向こうへ行き、三人の若い人を連れてきた。早稲田で詩を教えていた若い詩人たちに紹介された。自分のことよりも人のことを思うっていいなと思った。

伊藤さんの語りや人生相談は、なるほど滔々と言葉が出てきて、いつまで聴いていても飽きない。

それで、『森林通信』でどこか朗読してほしいところがあったら書いてくれと、紙が用意されていたのだけど、ためらって出さなかった。

ところが、リクエストしていないのに、イベントの最後に、ぼくの聞きたかった「わたしはあんじゅひめ子である」を、幸運にも朗読してくれた。

朗読というよりも芸の域なのだろう。こういったものを初めて聴いたし、見た。貴重な体験だった。話の中で「私は詩というものの枠を広げようとしてきた」と言っていたけれども、朗読も確かにそうなのだなと思った。

夜も9時を過ぎていたので、池上線に飛び乗った。亡くなった姉の通っていた高校(今はない)のあたりを過ぎ、亡くなった先妻の実家(義兄が住んでいる)のあたりを過ぎ、今の我が家に帰った。

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