2024年3月7日(水)方向音痴の日

方向音痴という言葉が、かわいらしくて好きだ。この言葉を思うと、自信のない「方向」君が、無理に歌を歌わされているような感じがする。方向君とは、だれでもない、わたしのことだ。勤め人の頃は、接待でカラオケへ行かざるをえないことが何度もあった。音痴なのでカラオケは楽しくも何ともなかった。なんとか歌わないですまし、早く帰りたかった。ひとりになりたかった。

ところで、昨日は小さな雨の中を新宿へ行った。紀伊國屋で友人と待ち合わせていたので、30分ほど前には埼京線のホームに降りた。ホームはプラットフォームのことで、日本語では歩廊というのかなと思っていた。「駅の歩廊」って言葉、しっとりとしていて、いいなと、呑気に考えていた。

それで南口から出て、左に向かって下り、さらに左に曲がって、東口の紀伊國屋へ向かうつもりだった。

ところが、歩いてもそこにあるべき南口の改札が見当たらない。それでもこの辺りかなと思って改札を抜けたら、知らない風景の中にいた。

空の場所には空がない。高い天井が明るくある。ともかく左に向かえばいいのだと思って歩いていたが、行けども行けども、知っている下り坂がない。新宿南口に行きつかない。人人はみな確信を持って目的地へ向かって右へ左へ歩いているのに、私だけがどちらへ行けばいいのかを見失っていた。

散々あっちこっちを歩いていたら、完全に方向がわからなくなってしまった。時折、巨大な新宿駅の先端が目の端に現れるが、駅の構造のどのあたりの端っこなのかがわからず、ただからかわれているようで、なんの参考にもならない。

あげくに、先程出てきた改札口の前にまた戻っていた。友との待ち合わせ時刻はどんどんせまってくるし、泣きたい気持ちで改札の脇で冷たい風に吹かれていた。スマホは持っていたけど、スマホの中の地図と、現実の世界のつなぎ方がわからない。もう、この世にいてはいけない人のような気持ちになった。情けなかった。

結局、その改札からまた駅構内に入った。構内の方がわかりやすいだろうと思ったが、そんなに容易なものではなかった。ここでも自分を見失い、それでも見当をつけて、どこかの歩廊を突っ切って、知らない階段を地下へ降りて、そうこうしている内に、やっと東口の改札を見つけた。ホッとして改札を抜け、知っている風景に入り込んだ。

雨の中を急いで小走りに紀伊國屋に向かった。たどり着いた。

詩集のコーナーあたりに、友人が待っていた。立っていた。遅刻してホントに申し訳ない思いで近づいた。ほっとして、友と詩のそばへ近づいた。

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