「鮮やかで瑞々しい死後」 ― 粕谷栄市詩集『楽園』(思潮社)

粕谷栄市氏が十年ぶりに新詩集『楽園』(思潮社)を出した。恐らく多くの読者は、これまで氏の詩集を何冊も読んできたその後の一冊として、本書を読み始めるだろう。そしてそのことは、他の詩人にとってよりも重要な意味を持っている。というのも、粕谷氏の詩というのは初期の頃からすでに、散文詩形式の見た目も、書かれている内容も、一つの型として私たちの中に既に組み込まれているからだ。それゆえ粕谷氏の新しい詩集を開く時、私たちは常に、以前の詩篇の型の記憶に照らして読むことになる。あるいは、これまでの粕谷作品のイメージを追加修正するようにして読むことになる。他の詩人にも似たようなことはあるのだが、粕谷氏の場合、過去の詩の型の衝撃があまりにも大きいため、新しい詩集を読む時に先入観なしに立ち向かうことが難しいように思う。
 しかし読み始めてみれば、考えていたほどには過去の作品に囚われることなく夢中になって読み進めている自分がいることに気がつく。優れた詩集を既に残した詩人が、その後の詩をどのように展開してゆくのか、積み重ねてゆくのか、あるいはそこに留まって深めてゆくのか、それは著者の思惑とは別の所で、読み手が勝手に判断しているだけのことなのだ。であるならば本書は、作者の創作の喜びの結果としての詩を、素直に受取るだけで充分なのだろう。本書には間違いなく38の区切られた世界が込められており、ページを繰ることはその世界にわくわくした思いを携えて入り込むことだ。

 詩集の内容を見てみれば、次のようないくつかのパターンが見られる。
(1)肉体の一部に執着している(頭が失われたり、笑顔が木に実っている。)
(2)一人がいつのまにか複数になっている。
(3)動物になる。(犬や豚や馬になったり、動物ではないが案山子になったりする。)
(4)動物をミニチュア化する。(手のひらに乗る馬や象。)

しかしこれらのパターンはいくつかの詩にしか当てはまらない。全編を通して最も多く見られるパターンは、
(5)「病い」や「貧しさ」や「死」などの人生の暗い側面を描き、その側面がその作品の中でなんらかの理由によって救われているというものだ。
なんらかの理由によっての救いと書いたが、その内で最も多いのは、所詮すべては夢か幻の中の出来事である、というとらえ方による救いだ。この、生きている所から死へ、その死の恐れから救いへ、という道筋は、実に多くの詩において繰り返されている。死を描くことへの執着は、これまでの詩集においてもなされてきたものではある。それにしても、とりわけ本書において、死を描き、死から救いへ向かおうとするパターンの多さが目に付くのは、作者が歳を重ねてきたことと無縁ではないのだろう。詩の中で、命へ差し伸ばす手の必死さを堪能することが本書を読む醍醐味の一つであり、今でなければ書かれなかった作品だということをも意味している。

本来、多くの同じパターンの詩を書き続けることは、詩人としては避けたいことだ。普通に考えれば、同じパターンの詩はそれと分からないように隠すようにして置いたはずだ。しかし本書では、冒頭の詩から無防備に同じパターンの詩をこれでもかと言うほどに並べている。その無防備さは、逆に、一編一編を作ろうとするたびに、それまでの金型は壊し、新しい一編のための金型を新たに作り上げていたということを、示しているのではないか。つまり一編一編の意味と価値は、その構図が似ているとか似ていないなどという瑣末な基準に拠るのではないということだ。ひたすら目の前の一編に真摯に立ち向かうことによって、その独自性を生み出し、詩として生きえていると言える。多くの詩に「死」が折り込まれているのは、その都度作者が、本当に死ぬ思いで生み出したか、実際に死んだ後の自分が、この世に腕を伸ばして生み出したからなのだ。氏がひたすら守り続けているのは詩の型ではなく、生きていることの救いへの、ひたすらな希求なのだ。

「死んだ老人にも、自由な夢をみる機会はあるのだ。それを実現しようとするのは、素敵なことである。」(「死んだ老人」)

 この作品の中にある「死」は、絶望の比喩としてとらえるのが普通なのだろう。しかし私は、「死」はそのままの「死」として受け止めたい。生きているものだけが自由な夢を見るのではない。生きているものだけが詩を書き、詩集を出せるのではない。死んで後にも詩は書かれうる。それが幻想であろうと夢の中の思い込みであろうと、信じられたことと現実は等価なのだ。それにしてもこの作品で「死んだ老人」が始めたのは新鮮な品ばかりを売る果物屋だ。なんと鮮やかで瑞々しい死後なのだろう。その果物屋からは苺に添えて次のような便りが届く。「人間は、どんなときにも、希望を失ってはならない。」本書からのメッセージでもある。

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